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'15年 3月26日(木) 京都YRW 2日目を歩く | |||||
宿泊した宿の無料朝食は7時から ・・ 移動を考えると 「断念」 2日目 長めのコース1本にするか 短めを2本歩くか 長いコースも1日目同様 市内を中心にしたフラットコースでは飽きそうで 3ヶ所のWSTの中では、アップダウンのありそうな KWAの千本鳥居 15q(健脚コース)に 距離調整で なるべく、1日目のコースとも重ならない 高島屋 新撰組&錦市場コース15q (HPでは16qとなっていた) を組合わせることにした |
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右上のWSTをスタート(Aコース)し、反時計回りで 京都駅そばの KWAに立寄りBコーススタート&ゴール その後、Aコース残りを歩く |
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A:高島屋京都 新撰組&錦市場コース 15qを歩く | |||||
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京阪浜大津駅からの電車 ・・ 車両に「成田山の御守」 こういうのは珍しい? 三条京阪駅から WST:高島屋まで約1q ・・ 前日歩いた鴨川歩道を眺めながら歩く |
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7:50 「高島屋」前 これより スタート ・・ それほど早くはなかった 四条通りを西に進んで 250mほどで 右折「新京極」のアーケード街に ここも、1月のNHK「ぶらタモリ」で紹介されていた所 |
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・・京極とは もともと京の端という意味で平安京時代、都の両端にそれぞれ東西各京極通りが南北に走っていた ・・ 秀吉が市中の寺院を「東京極通り」にあつめ寺町と称した この寺町のひとつ東の通りが現在の「新京極」で、その名は明治5(1872)年につけられている。 新京極は、誕生当時から繁華街として京の人たちに親しまれ、現在では百余年の歴史を秘めながら 近代的センスあふれる街として・・・ 「ぶらタモリ」では、 衰退の危機にあった京都の街おこしの為に、寺院の境内をぶち抜く形で、繁華街通りを造った 鳥居の島木(梁)が貫いた店内も レポートしていた |
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京の台所 錦市場 400年 8時で営業していたのは、朝の早い魚屋さんだけだった | |||||
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「南蛮寺跡」のある通りと説明立て札 | |||||
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「本能寺跡」石碑 MAPでの矢印は「通りの右角」を指していたが、実際は「左折してすぐ」 この微妙な差も 探すのに5分ほど うろついた ・・ 通りに、ポツンと石碑があるだけだった 天正10(1582)年 「本能寺の変」 で炎上 天正17(1589)年 この地に再建せんとし、棟上げ式の当日 秀吉により鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜられた。 ・・ ここに再建される事は無かったようだ。 |
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ジグザグと通りを歩いて 「光縁寺」:新撰組之墓 | |||||
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店先に「誠」の旗印 左の道標:壬生寺 「壬生寺北門」 コース的には 「東門」から入るようだが、 通り過ぎていたようだ 途中の「新撰組(第一屯所跡)前川邸」も判らななかった |
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広い境内を MAP通り「南門」から抜け出る | |||||
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壬生の町中を通り 前日は横を通った「綾西公園」の中を通り抜ける (WC表示) | |||||
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「卸売市場」前の通りにある 「島原西門」から 「角谷跡」を通って |
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「島原大門」を抜ける ・・ そのまま東の 「西本願寺(第二中屯所跡)」に向う 信号の右奥が「西本願寺」 長〜い塀が見えた |
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石垣に続けて 土壁の塀 全部「西本願寺」 ・・ 塀の途切れているところが門 | |||||
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太鼓楼 -新撰組ゆかりの地- ・・ 隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり 慶応元年(1965年)3月10日屯所を、壬生から本願寺に移し、 境内に「新撰組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所と 太鼓楼を使用しておりました。 活動期間は約6年 |
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「阿弥陀堂」 境内は「重要文化財」と「国宝」のオンパレード |
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「西本願寺」を出て 堀川通を渡って 向かいの「門前町」に入る そのまま真直ぐ 東に進めば 「東本願寺」がすぐそば(400m)だが、 通り1本入っただけで、右折(南下)する 角の レンガ造りの建物は 重要文化財 本願寺伝道院 明治45(1912)年 真宗信徒生命保険会社株式会社の社屋として建築されたものです。 外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の携帯などにサラセン様式 日本の伝統的な様式が用いられています 現在は本願寺伝道院として布教・研修の道場として使用しています。 (説明文 抜粋) |
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歩道のチェンに 「石像は文化財です。 お手を触れないようにお願いします。」 の注意 1ブロック歩いて、堀田通に戻る ・・ 向かいは「興正寺」 |
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「堀川塩小路」交差点 歩道橋を渡って 正面の建物 「リーガロイヤルホテル京都」へ 降りてくる 通り越して ・・ 行ったり来たりして探し出したのは 「右の写真右下」 |
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ホテルのイルミネーションに気を取られ見逃していた 「不動堂屯所跡碑」 横の説明文では(抜粋) 近藤勇が幕府直参になった5日後 新撰組の屯所を西本願寺から不動堂付近に移転した 移転に際し西本願寺に、建築費並びに諸経費を負担させた屯所は 大名屋敷と遜色のない構えだった。 伏見奉行所へ引き払うまで6ヶ月間、屯所として使用した 現在もある「不動堂」は、碑から東へ200mほど離れている (コースは 一旦JR東海道本線まで下がってUターン してから不動堂に着いた) 「霊石不動堂」 ・・ 「不動堂縁起」には 「新撰組」については触れられてなかった 白い提灯に 「新撰組 まぼろしの屯所」 の文字があるだけだった |
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京都駅前から 「東本願寺」に向かう | |||||
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境内の案内板で 「只今、境内では宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌特別事業 阿弥陀堂・御影堂門の御修復工事を行っております。 つきましては、ご参拝の皆さまには、・・・」 1〜8月・9月〜12月末 の境内参拝コースを案内していた |
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「東本願寺 渉成園」 ・・ コースの残りは 鴨川を渡って 三十三間堂〜豊国神社を回ってから 高瀬川まで戻って 北上 WSTを目指す 約4q だが 一旦 Aコースはここで中断し 10:30 京都WAをWSTとする:Bコースに切り替える |
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B:KWA 千本鳥居と竹の下道コース 15qを歩く | |||||
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事務所を出て 「さて、どちら廻りにする?」 ・・ なんとなく、「反時計回り」に決定 | |||||
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京都駅の東側陸橋(115号線)を渡り、「烏丸通」で南下 | |||||
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「九条烏丸」通過 左は「地下鉄:九条駅」 通り過ぎてから 「WC」表示が 駅トイレの事に気付く |
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「十条通」で左折(東進) | |||||
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鴨川を越える ・・ MAPは、こんなに広い道ではなさそうだが | |||||
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雪を被っているのは「比叡山」? | |||||
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まだ真新しいような「相澤公園」 コース的にはまっすぐ 両側がまだ工事中 近くにコンビニを見つけて、昼食を仕入れた |
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高速道路(阪神高速8号京都線)以前のMAP ・・ 「疎水沿いを歩く」 交差点から斜め道で「疎水沿い」になっているが ・・ 斜め道が無かった このコメントで コースの向き(反時計回り)と判る ・・ レポ作成で気付いた |
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取りあえず、「疎水沿い」への道を探しながら 坂を上っていくと 途中に降口があった | |||||
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「疎水沿い」を歩く 「疎水」は イメージとして もっと狭いと思っていたが、広かった 1.2〜1.3q 途中 「WC」・「深草駅」を通過して 「点滅信号から2つ目の橋(町通橋)」 ・・ 今でも 「点滅」 ? (・・ 判らないので ) 「町通橋」を探しながら歩く |
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「深草駅」前を通過 疎水西側(こちら側)は京阪本線 一つ手前の「伏見稲荷」駅では人通りが急に増えた 疎水東側(向う側)には JR奈良線「稲荷」駅 ・・ 伏見稲荷大社には、こちらが近い |
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「点滅信号」は確認しなかったが、それらしき所で 「町通橋」発見! | |||||
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そのまま東に進んで 「JR地下道をくぐる」 | |||||
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「JR地下道」から出て、200〜300m 南東に下がって 「立命館高校」脇を通るのだが 見つけた「深草トレイル」の案内図には 高校が入っていない 他の目印 この案内図にはお寺が沢山あるのだが 突き合わせるMAPには |
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「立命館高校」はどこだ? ・・ 多分 上の看板で山に向かうのが正解だった |
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「真宗院」前を通る ・・ この時 だいぶ通り過ぎていた | |||||
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これが 「500選」の竹の下道? 竹林があったが 荒れていて ・・・名神自動車道?が見えて Uターン |
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所々で 「深草トレイル」や「京都一周トレイル」の案内板を見つけたが YRWコースとの関連は不明だが 取りあえず「伏見稲荷大社」に向かう事に |
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少し それらしき竹林の道になった ・・ 少し ホットして 昼食タイム |
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? 「弘法ヶ瀧」 途中にあった絵図では 方向が違う ・・ | |||||
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左上 「弘法ヶ瀧」を過ぎた 「案内板=現在位置」から 下って 「立命館高校」に戻っただけ 「竹の下道」は断念して ・・ 山裾を真直ぐ北に向かって 「伏見稲荷大社」に向かう |
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いきなり 超混雑の 「千本鳥居」? 案内図を探して 現在地を確認しようとした ・・ |
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案内板左上の方に 黒地の「三ッ辻」・「四ッ辻」を見つけた 前出の MAP(竹の下道)にもあり ・・ 「四ッ辻」を目指す |
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三ッ辻 「熊鷹社」 | |||||
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どこまで登っても 鳥居が続く | |||||
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「四ッ辻」から 京都市南部の眺め | |||||
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一ノ峰 (頂上)まで まだまだ残っているが ・・ 現在地(四ッ辻)から 東福寺へ向かう | |||||
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林道を下って | |||||
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MAP 「トレイルの看板」 無事に「東福寺」到着 | |||||
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Wコースは東福寺の前を通過するようだが 折角だから 広い 境内を散策しながら通り抜ける |
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どうやら(案の定というべき?) 出口を間違えたらしく 「雪舟寺」前を通過 ・・ 又 コースアウト (レポで MAPと地図と 見比べて判った) |
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「泉涌寺道」に合流し コース復帰 | |||||
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見当をつけて、「三十三間堂」への小道を曲る ・・ 途中 「此付近 坂本竜馬など 土佐志士寓居跡」 石碑 |
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赤くて長〜い 「三十三間堂」を通り過ぎて | |||||
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「京都国立博物館」 「豊国神社」を通過 ・・ こちらの境内はパス | |||||
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豊国神社のすぐ前に 「耳塚」 鴨川には 早咲きの枝垂れ桜?が 満開近し! |
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「高瀬川」もライトアップの準備完了! しっかり咲いている こちらは違う桜 BコースのWST = KWA まで残り500mだが、ここで ゴールとした 15:15 (スタートは10:35 ・・ 4時間40分/15q しっかり迷走した) |
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となると Aコース こちらのコース残りは 『鴨川を渡って 三十三間堂〜豊国神社を回ってから 高瀬川まで戻りWSTへ』 今歩いて来たみち ・・ 距離も時間も十分余分に歩いたので こちらも「OK」にして WSTに向い ゴール手続き ノートには この日の日付で数名の名前があった 「次回の予約をしますか?」と問われたが 「いつになるか判らないので・・」としか 言えなかった |
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