'15年 2月6日(金) YRW 吉良町(御菓子所 東角園)を歩く 18q
                                               2.05 記
'13年1月の初歩き以来の 2回目訪問を計画
   その後も、いくつかのYRWを歩いたが、コースに案内板があったのはこのコースだけ
   MAPも 「ベスト3」 に入る  ・・・ A4サイズでやや文字小さい
 
 
 ウォーキングステーション
 御菓子所 東角園
  幡豆郡吉良町('11年4月 西尾市に編入)
   受付:9時〜18時 水曜隔週休み

 コース
  「吉良の三人衆 歴史と文化に出合う径」
  10q:名所が集中する、北回り
  18q:北回り+スピードコースの南回り
   いづれも、[500選:愛知-10]

 MAP:01.Oct.2009 新制版 となっていた
         WS 周辺の拡大図
ちょうど2年振り 今度はどんなみちに見えるだろう?
   ・・・ 欲を言えば、もう少し違う季節にしたかった

   2・3月はYRWをメインに検討中 ・・ (時には、WYR も織り交ぜて)
2月6日(金) YRW 御菓子所 東角園を歩いた 18q
9:45 基地の「東角園」到着 ・・ 店の横には広い駐車場があり、そちらに車を止めた
  店の入り口に、「IVV ウォーキングステーション」の看板

  数人の、お客さんが買物中 ・・ 順番を待って、ウォーキング「受付票」に記載
  スムーズに手続きも済み 即スタート ・・ 9:50
前回訪問時には、MAPを見落とした スタート直後の「尾崎士郎の碑」
   本コースから、ヒゲのように付いている見どころ ・・ 「横須賀小学校」の校門を入って まっすぐ
      【息子 俵士への遺言】
     しかし そこで くじけるな
     くじけたら最後だ 堂々とゆけ

   門柱の「愛知県西尾市立」の文字の小さいこと ・・ 西尾市への編入で、急遽追加したようだ
次の見どころ 「尾崎士郎 生誕地」へ向かう

  名鉄・西尾線 踏切を越える所に  (写真では読めないが)
   「日本ウォーキング協会 認定コース 愛知 吉良の三人衆 歴史と文化に出合う径 源徳寺 →」
   YRW の矢印看板がある
  車からでも判る、緑の案内板 右カーブ 「尾崎士郎生誕地 150m」

  MAPは次のポイント確認 ・・ コースはこうした案内で ほとんど迷わずゴールまで行けた
看板がないと、通り過ぎそう
   奥に入ると、横須賀小学校にもあった レリーフ
次のコミュニティ公園(人生劇場公園)
  入口の建物には 「赤馬」の絵と 解説があった

  ・・ 公園は野球・テニス・ゲートボールが出来る多目的広場がある
「尾崎士郎」の銅像と思っていたが ・・・
   銘文から 主人公「青成瓢吉」花の都へ 出立の像らしい
     もっとも、「人生劇場」は尾崎士郎の自伝的大河小説
     吉良から上京し、早稲田大学に入学した青成瓢吉の青春とその後を描いた長編シリーズ
   ・・・ なので 尾崎士郎の像と考えても、間違いではない?
住宅街を通って 「源徳寺」へ
義理と任侠で知られる 「任侠吉良仁吉の墓」 ・・ 一周忌に「清水の次郎長」が偲んで建立した

  仁吉が戦死した、伊勢・神戸の「荒神山の戦い」 ・・ 「荒神山」に、覚えがある
    昨年3月に歩いた「いきいき鈴鹿ツーデーウォーク大会」の初日
      ・・ スタートしてすぐ 「荒神山観音」を見ていた (レポ済み)
案内に従い 「福泉寺(尾崎士郎墓所)」へ向かう
  通りからでも、「尾崎士郎文学碑」の文字が見える
  墓地の入口に、「尾崎士郎之墓」 ・・ 綺麗に手入れされ、花も供えられていた

  このあと 「赤馬の径」と名付けられた 歩道を進んで、コース北部の「吉良家」ゆかりのお寺へ
住宅街を進んで、名鉄・西尾線を横断  (この線は 便数が多いようで、何度も電車を見た)
「赤馬の径」  ・・ 歩くのは、約 1q ・・ 2年前は、この歩道が工事中だった

  青空が広がり 気持ちいいが  予報通りの風 ・・ 開けたところは風が冷たい!
華蔵(けぞう)寺 前の広場にある 「赤馬に乗る 吉良上野介義久公」
  広場には 吉良家菩提寺の「片岡山 華蔵寺」や「名門 吉良氏 盛衰のロマンを辿る」案内図がある
「華蔵寺」境内はひっそりとしていた
こちらは、東条吉良氏(中世)の菩提寺「花岳(かがく)寺」
  入口には、「赤馬」の像  ・・ こちらの境内も、ひっそりとしていた
重要文化財 ・・ 「散らし書き」
   メモ書きのような形式が、いかにも身内に宛てた手紙を示している
「黄金(こがね)堤」の案内に従い、コース北端の丘を回る
   途中には、「梅一輪」 ・・ こんな所に春が ・・
竹林を通り抜けて、川沿いを進む
黄金堤 こがねつつみ
  この辺りは古くは鎧ヶ淵(よろいがふち)と呼ばれる沼地となっており、
  大雨が降るとこの谷筋に洪水が流れ込み現吉良町の村々は大きな被害をうけました。
   そので、義央公はこの谷に全長180mあまりの堤防を築くことを思い立ちました。
  工事は下流の村人が率先して参加し、一夜にして築いたと伝えられています。
  堤により水害の難を逃れ、稲穂が豊かに実るようになったので、いつからか
  黄金堤と呼ばれるようになりました。    ・・ 説明文より

  ・・ 車が10数台止まれる、(トイレ)休憩所になっており
    我家からの往復とウォークで この日 3度通ったが、毎回数台の車が止まっていた

  コース的には1/4 超だが、見どころ的には半分を越えた?  11:10 (ほぼ 5q/80分)
黄金堤の角には 「鎧ヶ淵古戦場」の石碑とともに、解説があった
   桶狭間合戦の翌年、信長と結んだ 家康が吉良氏を攻めて 大敗を喫した
「黄金堤」を出て、「瀬門神社(白瀬南極探検隊長の墓)」に向かう
   途中、歩道のない 幹線道路を避けて、田圃道を進み ・・ 幹線道路を横切って「瀬門神社」へ
南極探検隊長 大和雪原開拓者之墓
   白瀬隊長の夫人と次女タケコさんが吉良町に住み、タケコさんがここに両親を埋葬した
瀬門神社を出て、お茶畑 ・・ そういえば、ここも 「西尾茶」? ・・ 丘を通り越して
1qほど南に下がると、「東条城跡」登城口
先ほど通った「鎧ヶ淵の戦い」で松平方は敗北したが、「藤波畷の戦い」では吉良方が敗れ降伏する。
  東条城は天正18年(1590年)に家康が関東に移った後廃城となった。
  それ故、現在の遺構は天正年間の姿を伝えるものである。

  砦の中に入っても、中は広場(本丸跡)になっているだけだった
ただ、田圃道に
  「史跡 藤波畷(なわて)古戦場」の表示石柱があるだけ
    矢印の下に小さく 「伴五郎地蔵」の文字が入っている
  矢印方向に進んで、「小牧陣屋跡」の案内看板で右折

  MAPには、ここを左折した所に 「富永伴五郎地蔵」が表示されているが、コース外で寄らなかった
    吉良方の勇将:富永伴五郎が討たれた所に「地蔵」が立てられた
    ・・ これにより、吉良方は戦意を喪失し 降伏する                  (Wikiより抜粋)
更に 南下 (この道は 2年前は工事中だったのが、完成?) 横断して
   人家の直前に 「小牧陣屋」 ・・ 吉良方の 東条城から、「家康の陣屋」まで約1q
       その間に、「藤波畷」  ・・ 見えている ごく近い範囲で 戦われたようです
「小牧陣屋」・・上の段右写真 突当たり右手前  ・・ 小さな公園になっており
    説明文がありました
  永禄4年(1561年)秋、家康は自ら出陣して東条城を攻略した。 ここは、その本陣跡である。 ・・・
    ここは、「攻略された東条城」の地元 ・・ 説明文が、素っ気なく感じるのは外野席だけ?

  出だしの黄金堤にあった 「鎧ヶ淵の戦い」の秋の事  ・・ コースのこの区間は
  松平(家康) vs. 吉良氏 古戦場巡りだった
「小牧陣屋」の突当たりに、「ロングコース」と「ショートコース」の分岐矢印
    2年前の初回訪問時に 戸惑った所  ・・ MAPをしっかり見ると
正しい分岐点は、100mほど進んだ 317号線に出た所  ・・・(看板が付けにくい場所だ)

   「分岐矢印の取り付け場所が、違っていた!」 ・・ 私が 何度も、言ったらしく
   連れからは、すっかり「クレーマー」さん 扱い

   何でもアリがフリー・ウォーキング(?)なので、「マァ いいヤ」だが
   ・・ それでも、表示位置は 「違う!」
10qコースと分岐して、後半の 高速コースへ
   一旦、東端の「国友」信号交差点まで進んで、一本南の道へ「V字」折返し
「いっぽん橋」を越えて左折し 川沿いの堤防を南下
橋の上から見えていた、川の左手に迫る、丘の先端を回り込むまで
     ・・ 約 2q 「矢崎川」堤防は 風が強く 冷たかった
人家が見え出した所に お馴染の 「日本ウォーキング協会認定 ・・・ 金蓮寺」の案内矢印
   左折 正面電柱に大きな 「緑色の案内看板」がある  ・・ (逆光で ほとんど見分けられない)
国宝 金蓮寺弥陀堂(こんれんじみだどう)
  愛知県最古の木造建造物で、全国的にも数少ない平安時代の
  阿弥陀堂建築の流れを汲む優美な建物である。
  昭和29年に完成した解体修理により桧皮葺(ひわだぶき)に復元され、翌年国宝の指定を受けた。
横からの写真
 文治2年(1186)に三河守護安達盛長が建築した「三河七御堂」のひとつとの伝承をもつが、
  平安時代の阿弥陀堂建築では四本あるべき内陣の来迎柱が二本で、中央より後方へ
  ずれることなどから鎌倉時代中期の建築考えられている。

  屋根の曲線が なんとも微妙
 通りから 無造作に入れる所に 「国宝がある」という事にも感心してしまう
「金蓮寺」から 真直ぐ南へ
   MAPには「お花畑と出合う径」と表示されていたが、時期が悪いのか 「お花」は無かった
   「吉良町役場」の案内に従い 右折  ・・ 残り3qほど
難しい橋の名前の「饗庭新橋」で 先ほどの「矢崎川」を渡り
  名鉄・西尾線 踏切を越える
   ・・ 右折 交差点 角のコンビニで昼食用のパンをゲットして 
「吉良町役場」 ・・ Yahoo! 地図では 「西尾市役所支所」の表示に変更されている
           前の信号交差点は 「吉良町役場前」 の名前が残っている
   最後の、見学ポイント「←旧糟谷邸・尾崎士郎記念館」へ左折
右手が「図書館」その奥に 「旧糟谷邸 尾崎士郎記念館」がある
田園の中を進んで ・・ 交差する 「中央幹線遊歩道」に入る
まっすぐな 遊歩道を
   先ほどゲットした パンを食べながら歩く
   所々にベンチがあるが 風が強く座る気になれない (夏は暑そうな 歩道だ)
歩道わきの
   「丸石」 ・・斑紋の多い石だと思っていたが、どれも同じようになっている
    反射板を埋め込んだようには見えない
    似ているのは「ゴルフボール」? ・・ 何か関係があるのか?  ・・ 不明だった
13:45 ゴール
  この時間にも お客さん  ・・ IVV認証を貰って
  ・・ お土産を買う 2年に1回では、手ぶらでは帰りにくい?
2回目の訪問で もう少し早く歩けるかと思ったが、計算してみると コミコミ 4.6q/h
   青空だが、開けたところは風が強く 冷たかった
   吉良の三人衆 や 松平(家康)vs吉良氏の戦い を知っていれば、もっと興味深いコースかも
     ただし ゴールは保証できない?
 「500選 愛知-10」
    ・・ 以前ネット記事から取った魚拓では 左図がコース
  距離は13qで 【ポイント!】として
   吉良上野介義央はこの地の領主で、製塩業をおこし、
   私財を投じて洪水を防ぐ黄金堤をつくりました。
   「人生劇場」の尾崎士郎の生誕地でもあり、
   吉良の仁吉などの史跡もあります。
   吉良三人衆の足跡を訪れるコースです。
  説明文的には納得ですが、左図コースがどこから出て来たのか??
    ウォーキング一覧に戻る                          愛知県YRW一覧へ >>