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'16年 1月10-11(日月) 「歩いて行こうお伊勢さん」の後半 を歩く | ||||||||
1.08 記
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2日目から参加:1月10日(日) グルメコース 津駅〜松阪駅 23qを歩く | ||||||||
全員受付で 名簿確認 参加初日の私は、参加申込書を渡して コースMAPと参加者名簿を貰った グルメコース参加者 69名 大部分は愛知県・三重県のウォーカーさん 中には 宮城県・埼玉県・千葉県からの参加も (フルコースの方も 70名近い参加 ・・ こちらは、県外の参加が半分近い) この日は、豊田市WAの例会もあり、会員さんの何人かはそちらに参加したらしい 10時から 出発式 昼食休憩を「コースから少し離れた、スーパー マックスバリュー(周辺)で行います」 2日目という事もアリ、簡単に式は終わり ・・ 10:08 スタート 駅ビル隣のアストに 「津市観光協会 イヤーラウンド ウォーキングステーション」があったが 一度歩いて、「伊勢街道」を覚えたが 2回目の前に 廃止された |
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スタートして 15分 「塔世橋」を渡り 信号で分断されたため 1回目の列詰め 気配り十分のリーダーさん ・・ 津の市内は 歩道は広いが 信号はそれなりにある |
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この日は、団体歩行 ・・ 基本的には リーダーさんについて行くだけ ? コースは「北丸の内」交差点で曲がって、「津観音」に向かうが 通り過ぎてから、左折 ・・ 初めて歩く横丁に ・・ 意図したのか間違えたのかは不明 石碑には 旧町名 立町(たてまち) 由来 観音寺門前の町筋と直交して、西隣りは京口御門まで通じる 町筋であったことから立町と称した。 町の規模は小さいが、 城下町の中心的市街を形成しており、芝原浄林(しばはらじょうりん)を始め 光田庄右衛門、油屋善四郎(あぶらやぜんしろう)などの豪商が住んでいた。 |
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この方向から 「津観音」に入るのは 初めて 温度計は 22℃ 日差しがあり 暖かい 参拝する人達も大勢 |
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トイレ休憩と 津観音名物:はちみつ饅頭が配られた ・・ まだ温かい饅頭を頬張る リスタートして 門前町アケードを進む ・・ この日は 朝市? 通りに ワゴンが並び賑やかになっていた 昼食場所の「マックス」へ コースは ず〜と 南下 ・・ 太陽に向かって歩くので、ほとんどの写真が逆光 |
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本来は この斜め道を左折 ・・ 「閻魔堂」へのみちが 旧伊勢街道 今回は、真直ぐ進み スーパー「MaxValu」で 昼食休憩 周辺の店や 日だまりで 約40分の昼食休憩 11:20〜 スタートして5q足らずだが この後旧街道歩きで 適当な場所がない |
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12時 人員を確認して リスタート 「レクサス店」を通過して |
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「垂水南」信号交差点で 23号線を横断 休憩中に ロングコースの先頭組に追い越されるかもと思ったが 今年の2日目はスタートが四日市駅からの 54q と 4q長くなっており さすがのスピードウォーカーさん達もまだ追いつけず? |
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「垂水南」交差点すぐ西 JR紀勢本線 この辺りでは 真直ぐ すぐ両側に 住宅が迫っている |
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立派なお宅が並ぶ 旧伊勢街道 この辺りを歩く時は いつもその重荘な屋根に見とれてしまう |
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ここの歩道は忙しい 右側の歩道が無くなり 左に渡って用水路の上に突き出た歩道へ |
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高茶屋神社交差点で 信号待ちしている間に ・・ | ||||||||
ロングコースの先頭組5人が 一団になって 挨拶しながら 追い越して行きました 12:46 ロングの ほぼ40q地点 7時前後にスタート(らしい) ・・ 6.94q/h 3人以上が集団で歩いていたという事は 「7qクラブ」の人達には 「団体歩行」 (・・ の気分だった?) その速さに驚かされたり、あきれたり ・・ ひとしきり話題になった ・・ 「こちらも、(影響されて)少しスピードが上がった?」 グルメコースは スタートして2時間30分 7q地点で 残り 約14q スピードは 体感 5q/h オーバーだが ・・ 止まっている時間が多いので (まあ、津観音での饅頭タイム・早めの昼食休憩 など 楽しみながら歩いていた) |
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JR:紀勢本線 「高茶屋駅」前を通過 トイレ休憩と 一部の人がここで ワープ ・・ 列詰め 165号線の高架をくぐり 紀勢本線踏切を通過する |
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田圃の向こうに見えてきたのは 雲出川に架かる「雲出橋」への 長い坂道 ここを歩く時は 曇って 風が強い事が多い |
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雲出川(くもずがわ) 大きな石灯籠を通り過ぎ 橋を渡る ・・ 案の定 風が強い | ||||||||
橋を渡り終えた 向かいに 「小野古江渡跡」 記念碑と東屋がある ・・ この風の中では 誰も止まらない |
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こちらは 長い坂を下って 真直ぐ進むと 「松浦武四郎記念館:小野江コミュニティセンター」で トイレ休憩と列詰め |
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(Wikiより抜粋) 松浦 武四郎(まつうら たけしろう) 文化15年2月6日(1818年) - 明治21年(1888年)江戸時代末期から明治にかけての探検家 安政2年(1855年)に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、 「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。 明治2年(1869年)には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに 国名・郡名を選定した。 ・・ 北海道へは6度赴き、150冊の調査記録書を遺した。 「北海道」の名付け親で 内陸部の山川から 国後島・択捉島までを踏査し26冊の詳細地図を出版 (左上の人の足元写真) |
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13:45 記念館をリスタート 残り約8q リスタート後も 旧伊勢街道を進む ・・ 水道管メンテナンス工事に向けて、道路脇には長い仮設水道管 トイレ休憩の間に ロングコースの後続が5名ほど通り過ぎたらしい ( ・・ トイレ休憩・列詰めはここが最後だった) |
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大きな道標 正面の文字は達筆すぎて? 右側は「右いがご江なら道」 ちょっと迷う 「Y字路」は ほぼ道なりで左へ ・・ ガードレールに 「←参宮街道」の矢貼り この辺り、集落の中を うねうねと曲りながら進む ・・ 今回は団体歩行中で地図も見ない |
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ここも目印にした「三雲矯正院」 (・・ 曲り角の目印だが、曲ってからしか 看板が確認出来ない) 小津西交差点 ・・ 向かいに「百五銀行」 14:25 残り 約5q ・・ 団体歩行の最後尾辺りを歩いて来たが リーダーさん ラストスパートなのか 列詰めの気配なし ・・ 追い上げる事にする |
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「格子戸の町並み」 玄関には「屋号」が掛かっている ・・ 昨年は夕暮れが迫る中 順番に写真を取りながら歩いた |
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MAPには 「神楽寺」(WC)マークがあるが、誰も立寄った形跡はない 近鉄・山田線を越えた所で 振返って撮影 (通過記録写真を忘れていた) |
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随分 列が長くなっているが 旧街道の住宅街を進む 756号線高架下を通り抜ける |
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紀勢本線・名松線の踏切を通過して ジグザグと進む目印の、「菜菜さいさい」前を通過 |
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昔入った事のあるうどん屋さん ・・ 正面の赤い橋を渡ると | ||||||||
左の建物が「松阪 商人の館」 ・・ ゴールは近い | ||||||||
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以前の「熱田-伊勢4DW」の頃のゴール カリヨンプラザ 今回は 隣の「日野町」交差点を左折して 松阪駅のゴールへ 15:32 ゴール 結局 リーダーさんには 追いつけなかった |
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序盤 休憩が多く どうなる事かと思ったが 終盤はしっかり歩いて、3日目のフリーウォークの練習が出来た グルメコースの「アフターウォークお薦めグルメ」は 松阪牛のすき焼き・焼き肉 とても手が出ないが、夕食時に出かけて 結局 駅で「松阪牛 焼き肉弁当」を購入 「弁当はまだありますか?」 「今日はよく売れて、先ほど補充が入りました」 これまで 日曜日はほとんどテレビを見なかったが 宿に戻って 大河ドラマ「真田丸」 初回放送を見てしまった 明日 3日目は ロングコース (といっても 31q) 集合場所は 宿から5分 |
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