'16年 4月1日(金) イヤーラウンドウォーク 丸亀駅観光案内所13qを歩く
    翌 4月2日(土)〜「第14回 讃岐うどんつるつるツーデーウォーク」が隣の坂出市で開催
   参加に向けての前日 移動日 ・・ 愛知県の我家を 5時半に出て
   観光を兼ねて イヤーラウンドウォーキング

 この日の 懸念事項は
  「1日 雨」の予報 ・・ 風雨の中で、地図を見ながらのYRWは 気が乗らない
  いくつかコースがあるので、短いのにするか ・・ 丸亀城見物くらいにするか
    ・・ 着いてから、考えることにする

  予報では 06:1o/5m 09:0o/6m 12:1o/6m 15:3o/5m 18:2o/5m
    午後からの方が雨が強く 風も強いとなっていた
 3週間前の 倉敷2Dの鷲羽山から見た 「瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道)」を初めて通過
  (3年前に来た時は、「高松市のYRW」もあり、淡路島経由 ・・ 帰りも暴風で淡路島経由)
  覚悟していたほどの雨・風ではないが

 「制限速度50q」は この橋の通常制限速度?

 ウォーキングステーション(WST)の「丸亀市観光案内所(丸亀駅構内)」から
  10分足らずのショッピングモールに駐車 ・・ 雨の様子見がてら 早めの昼食をして
  「丸亀駅」へ
 一応 完全雨装備 ・・ (車だと、全部放り込んで来れるので楽だ)
  雨でリュックが濡れるのを嫌って、手ぶらで行くことにした
  最長16qコースとなっていたが、今日は短めのコース選択のつもり
 丸亀駅到着
 構内の「観光案内所」  入口最上段に「IVV:ウォーキングステーション」の看板
   3人ほどのお客さんが 説明を聞いていた
 

 WST:丸亀市観光案内所(JR丸亀駅構内)
  開設時間 09:30〜18:00 年中無休

 「ウォーキングをしたいのですが?」
 「どのコースを歩きますか?」
 「初めて来ましたが、雨でどこを歩くか迷っています」
 それだけで、話が通じ 3枚のMAPを用意してくれた

 「先にスタンプ押しましょうか?」
  距離記入なしで スタンプを押してもらった

 MAP1:丸亀城下町コース 13q [500選:香川-03]
  美しい勾配を見せる石垣の丸亀城、金毘羅五街道
  (丸亀、多渡津、高松、阿波、伊予・土佐街道)のうち、
  最も栄えた丸亀街道沿いの所々に残された目印の
  石灯籠や距離を印した丁石、市外に点在する多くの池を巡る。

 MAP2:金毘羅街道コース 14q [500選:香川-03]
  金毘羅・丸亀街道で 「JR琴平駅」までのワンウィ
   ・・ 皆さん電車で戻って見えます

 MAP3:本島コース A:16q B:11q
  塩飽諸島本島  戦国時代より塩飽諸島の政治、文化の
  中心地であったため、塩飽勤番所、寺、人名の墓、
  笠島町並み保存地区等の史跡、文化財が島のいたる所に
  多く残っている。
  16qコースは本島一周
 
 MAP2・3も 面白そうだが
  それぞれ、電車・船に乗ることになり 乗車(船)時間もあり
  次回 訪問時の宿題に残しておくことにした
 瀬戸内の 尾道・三原・高松 鬼の館(未訪問)など 島のコース
  こちらでは、船に乗るのは日常の事らしい
 「讃岐うどんつるつる2DW」の2日目に、「丸亀城」がコースに入っていることは知っていたが、
   2DWでは通り過ぎるだけになりそうで、じっくり観光しながら 歩く事に

 MAPは A3白黒で@〜Hまで、写真が入っている (雨がひどくなければ)・・ これを探しながら歩く
 MAPには縮尺と 目印間の距離が記載されている
     (丸亀駅-0.5q-太助灯籠-1.5q-丸亀城-2.5q ・・)
 12:05 取りあえず スタート ・・ 幸い、風はほとんど無い
 駅の北側にも 灯籠 ・・ これも、丸亀街道の目印の灯籠だろう

 駅から北に進んで、「丸亀港」 船の向こう側に 大きな灯籠
   太平洋側に住んでいると、「北に進むと海が見える」のも 新鮮?
     ・・ 普通、海は南 山は北にある
 @ 太助灯籠(江戸講中燈籠)
  かつて金毘羅詣でで賑わった丸亀港のシンボル。
  旧金毘羅五街道・丸亀街道の出発点 にあたり、琴平の高灯籠までの 150丁(約12km)の道のりを、
  参拝客はこの太助灯籠を 目印に丸亀港に入港したもの。
 そばに 「讃州丸亀港」の賑わいの様子が描かれていた
 MAPでは「鳥居のマーク」から南下となっている
  調べると、「玉積神社」 ・・ 鳥居の額束には「金毘羅宮」の文字
  こんなところにまで、透かし彫り

 JR予讃線をくぐって、市街地を 「丸亀城」に向かう
  幸い 雨は小降りに ・・ どうやら 予報より早くなっているようだ

 ゴール印は貰っているので、最後まで歩きたい

 「(WSTに)着いてから、考える」 ・・ 歩き出しているが、まだ「考え中」
  状況に応じて、「臨機応変に対応」 ・・ その実、「行きあたり ばったり」 
 いきなり、大きな高い石垣とその上の かわいい天守閣 が見えた

 史跡丸亀城跡 (昭和28年国指定・史跡)
  標高66mの亀山に築かれた平山城(ひらやまじろ)。 別名亀山城とも呼ばれています。
  本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m、南北約460mの内堀内
  204,756mが史跡範囲です。
 「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全国的に有名です。

 「大手一の門」 「二の門」 (昭和32年国指定・重要文化財)
  内堀の北側中央部に位置しています。
  城内側の櫓門を一の門、堀端の高麗門を二の門と呼びます。
  寛文10年(1670)頃の京極氏のときに、完成しました。
  一の門の上には、楼上に太鼓を置き、城下に時を知らせたことから、太鼓門とも呼ばれています。

  (説明文は 観光案内所で貰った 「丸亀城の見所」から 引用)
 広いお堀に、満々と水があった
   桜は満開だが 生憎の 曇り空 ・・ 雨は止んだ? ??
 城内に入ると かえって天守閣が見えにくい
 YRWのコースは 現在地(お城の北端)から ・・ 上端(からめ手門跡)に抜けるとなっている

   本丸・天守閣へは opt. か 単にコース線の省略かは不明
   これが目的だから、本丸まで入って天守閣を見に行く
 石垣の美
  一般に見帰り坂と呼ばれるこの坂は、新緑の頃は楓の若葉が、秋は紅葉が楽しい。
   右手頭上に三の丸の高石垣が、美しさと堅固さを誇ってそそり立つ。
  石垣の上端で垂直に立ち、徐々に緩やかな曲線を描き、遂に土に埋もれる
   優美な姿は、丸亀城壁の美しさである。
  この石垣の高さは約22mあって、本丸まで三段の高さは40mに近い。
   この城壁に丸亀城の風格を偲ぶことができる。
 急坂・階段を上るにつれて 視界が広がるが 生憎の曇り空
   雲を被っているのが 「讃岐富士(飯野山 422m)」?
 丸亀城天守(昭和18年国指定・重要文化財)
  3層3階の現存木造天守です。
   高さ約15m、1階北側には、石落や狭間(さま)があります。
   唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしています。
  この天守は、四国内で最も古く万治3年(1660)に完成しました。
  日本一小さな現存木造天守です。
 本丸広場から 市街地を見下ろせたが、曇り空で 眺望はイマイチ
  かわいい 天守を後にして上って来たみちを引返す
 かなりの 急こう配
  「からめ手門跡」から お城の南に出る

 1:08 コース的には 約3q地点 ・・ 残り10q
  見所は終わったが、雨もほとんど止み 後は、丁石・石灯籠を確認して歩くだけ
 大きなお宅や
 「山北 八幡神社」の大鳥居のある通りを進む
 「かしわ餅」の看板が出ている 和菓子屋さん
   広い門は屋根付き
 
 国道11号線に出て、右折(西進) 500mほど道路沿いを進む
   コース上では、讃岐富士に一番近い(約3q) ・・ 少し山頂の雲が薄くなった?
 歩道の植木は よく手入れされている

 こちらの「高憧神社」にも 透かし彫り
   この先の GSの交差点で左折(南進へ)

 目印としては GSやコンビニはちょっと不安
  MAPの端に 〈H21.1版〉 ・・ この数年で GSは激減している
 GSはない ・・ やや不安だが、距離から考えてここで左折

 300mほど進むと 大きな池が見えた
  看板はなかったが 「田村池」
  池の向こうに、見えているのは競技場屋根?
   ・・ (MAPでそれらしいのは、「総合運動公園」)

 MAPのコース表示線は 「丸亀街道」を示す 点線に変わった
  「500選」のみち
 A 正面寺の自然石灯籠
   アパートの駐車場にあった
    ・・ お寺は簡単には無くならないだろうが ・・ 「正面寺」らしきものは、判らなかった

 車がすれ違うには、やや狭く ・・ 緩やかな蛇行 ・・ いかにも、「街道」らしいみち
 「高松自動車道」をくぐった所に

 B 一里塚の灯籠と丁石
    灯籠に「西いよ こんそうじ・せんそうじ」 「北 丸亀」
    丁石には「是より鳥居まで百丁」
 C 両宮の石灯籠 ・・ 説明文の文字が消えて読めない
   石灯籠の下の方にはこんぴら道の文字もあるが ・・ MAPの写真と微妙に違う?
   MAP位置も 200mほど道から外れた田んぼの中?にある
     ・・ 街道筋から外れるのも変?  ・・ (一つくらい宿題も まぁいいか)

  隣は「神野神社」の鳥居
 鳥居をくぐっていくと 「左近の桜・右近の橘」
 境内は閑散としていた

 次の D 群家の茶堂 ・・ 説明に「横田輪業南側 車庫の中」? ??
   「車庫の中」 ・・ こんな所の史跡は初めて
 「横田輪業」さんは バイク屋さん
   通り過ぎた裏(南)の車庫に 石碑と説明文

 D 郡家(ぐんげ)茶堂跡
  江戸時代から昭和初期にかけてこの前を通る金毘羅参詣丸亀街道に面して
   茶堂と呼ばれる建物があった。
  茶堂は金毘羅参りの旅人達が休憩し接待を受けた場所で仏様も祀られていた。
  明治の鉄道開通により街道は次第にその役目を失い昭和22年茶堂は撤去された。
   現在はその跡に観音堂と賽祷碑(さいとうひ)、手洗鉢が残り当時の面影が偲ばれる。
                                  丸亀市教育委員会
 みちはコース最南端に来ており 「カーブミラーの前を西進」
  ・・ 「カーブミラー」も不安だが、茶道跡から20〜30mとなっており、ここしか無さそう
  ここで、丸亀街道からそれて 復路に入る

 「西進」は建物の間の狭い路地を進む
 露地路を抜けて「高松自動車道」の北側に戻る
 「自動車道」の下は 野外展示場? 作品名のプレートがあった
 交通量の多い道路脇を1qほど進んで

 「3差路交差点手前で 右折して池の堤防へ」
   説明の仕方が無いのだろうが 「・・ 手前で」、と言われても 引返すのは、面倒と思ったが
   池が見えており
 左が 来る時に東岸を通った「田村池」 右は、ずっと小さな「太井池」
 右手奥に 讃岐富士(飯野山 422m) ( ・・ のハズ)

 以下Wikipediaより
 讃岐七富士(さぬきななふじ)とは、讃岐国(現在の香川県)で
  古くから呼ばれている七つの郷土富士のこと。

 讃岐富士(さぬきふじ)は飯野山(いいのやま)。丸亀市・坂出市の境界にある標高421.87mの山。
 三木富士(みきふじ)は白山(しらやま)のこと。標高202.65m、三木町にある。
 御厩富士(みまやふじ)は六ツ目山(むつめやま)のこと。
  別名は六女山、娘山(読みは同じ)。標高317m、高松市檀紙町から国分寺町にかけて位置する。
 羽床富士(はゆかふじ)は堤山(つつまやま)のこと。標高201.55m、
  丸亀市と綾川町の境界に位置する。
 綾上富士(あやかみふじ)は高鉢山(たかはちやま)のこと。別名は鉢伏山(はちぶせやま)
  標高512.02m、綾川町にある。
 高瀬富士(たかせふじ)は爺神山(とかみやま)のこと。標高約214m、三豊市にある。
  採石で元々の山頂はなく、高瀬駅から見える南東部分の多くが削られている。
 有明富士(ありあけふじ)は、江甫草山(江甫山・九十九山、つくもやま)のこと。
  標高153.08m、観音寺市にある。有明浜からみえる南側の斜面が砕石のため削られている。
 ズーム ・・ この方向からの山頂が一番綺麗?

 Wikipediaより
 讃岐七富士の代表格が飯野山:讃岐富士 ・・ 422m
  讃岐平野にそびえ、近くには西に土器川、東に大束川が流れている。
   山が侵食によって、屋島のような台地状のメサと呼ばれる状態になり、その後さらに侵食が進み、
   ビュートと呼ばれる孤立した丘となった。
  麓付近は花崗岩で、中腹から上には硬い火山岩であるサヌカイト(安山岩の一種)で、
   山頂付近ではそのサヌカイトが風化した赤い粘土が堆積している。
  その整った形から地元住民の移動の目印となっている。

 2010年に丸亀市観光協会が4月22日を讃岐富士の日と制定した。
 身近な低山として人気を集めており、高齢社会を迎えた昨今、体力づくりもかねて登山者が
  増えている。
  南麓から山頂までの登山道は、丸太で階段が組まれ、途中にはアスレチック施設などが
  整備されている。
 「池の堤防を下り ヤマダ電機の東約15mの所にある国道11号線の下のトンネルをくぐり東進」

 池の堤防を下りるのが、MAPコースより 30mほど 早かったようだ
    ・・この日唯一のコースアウト?
 マンホールには 「丸亀城」をあしらった、団扇の絵 ・・ 坂出の特産物のようだ

 「小学校の前を北進」
 「田村天満宮」前を通過

 こちらの ハイカラな建物は ・・ 丸亀城南虎岳幼稚園
  HPには定員 11クラス 230名 幼稚園として、どれくらい大きいのか 見当がつかない
  右の赤い屋根「虎?」と 左の円形2階建て「UFO?」 その間の運動場は広そうだった
 住宅街を抜けて 県道33号線に合流
 「麻田病院北側の道を北進」 ・・ 県道を横断して

 病院の北側で左折(北進)のみちへ ・・ コース線は「丸亀街道」を示す点線に変わる
   交差点から 「丸亀城」が見える所まで戻って来た ・・ 残り 1.5q
 道の左右 どちらにあるのかとキョロキョロしながら進むと ・・ ありました
 E 中府の大鳥居

 F 百五拾丁石の起点石 「従是金毘羅町口 百五拾丁」
   MAPの写真は起点石だけで、小さなものかもと思い キョロキョロ
   これだけ 大きいと 見落としません
 街道筋(にしては、まっすぐなみち)の住宅街を進んで

 真新しい「丸亀城 0.5q」の道標の奥に
 G 百四拾丁石灯籠
 「たばこ屋前を東進」
   まだあるかな? と、思いつつ ・・ 変則 「T字路」 突当たりにありました
   いかにも、それらしき 店構え

 東進(右折)すると、
   路面に「こんぴら湊 まるがめ街道」の案内が出ました
 H 南条町の石灯籠  ・・ 住宅街に取り残されたようにありました
 
 灯籠左下の説明文に
 明和元年(1764)12月に、南条町と農民町(現在の中府町五丁目)の人々で結成された
  講によって建てられた常夜燈です。
 この灯籠南側の東西に延びる現在の道は、江戸時代は丸亀城の外堀で、この場所には
  橋がかけられていました。また、ここより西には、玄要寺の広大な敷地が広がっていました。
 堀は戦後に埋め立てられ道路となり、寺の敷地も住宅等に変わってしまいましたが、
  この灯籠は現在も建立時の場所に残り、往時の面影をいまに伝えています。
 この後 コースの左右に「卍」が沢山 ・・ 7ヶ所
  町名は「南条町」としかないが ・・ 寺町の雰囲気
 駅前に
 「猪熊<前篇>弦一郎展 」  〔私の履歴書〕「絵には勇気がいる」 開催案内
   屋外の展示から 現代アートの個展をやっているのだろうと思ったら
   地図を見ると「猪熊弦一郎現代美術館」(愛称:MIMOCA)となっている

 1991年 丸亀市が「市政90周年を記念して」縁の深い「猪熊弦一郎」の美術館を設立した
  公益財団法人 ミモカ美術振興団が(契約期間5年)の指定管理者となっている。
 
 「讃岐うどんつるつる2DW」の2日目コースの「沙弥島」での
  「瀬戸内国際芸術祭2016」も 現代アート展 ・・ 何か関連があるのだろうか?
    ・・ 沙弥島は坂出市で 直接的な関係は無さそう
  (国際芸術祭 前回訪問時も開催となっていたが、3年毎の開催となっている)

 15:25 雨の中のスタートで ゴールが危ぶまれた? が、無事に歩きとおせた
 丸亀城を出た所で 3q/1時間超 ・・ 残り10q こちらも、怪しかったが
  見所も少ない フラットコース みちも判り易くほとんどノーミスで 10q/2時間17分

 「丸亀城見物」 「讃岐富士観賞」
  曇りで見晴らしはいま一つだったが、
  出だしの「雨がひどくなれば ・・ 途中 ・・」から考えると上出来

 次回訪問時も このWST?
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