久留米つつじM:1日目へ >> | ||||||
'17年 4月14日(金) イヤーラウンドウォーク 佐賀市を歩いた 10q | ||||||
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名古屋〜博多まではひかりで1本:同じ車両に愛知の快速Wさんが乗り合わせていてビックリ 久留米の一駅手前の鳥栖駅で途中下車して佐賀駅へ 駅直前で WST(ウォーキングステーション:YRW基地)のコイケスポーツさんの看板が見えた 駅前通りから1本外れた通りで 通行量の少ないみち この日のコースは平坦な町歩きの10q 駅ビルで昼食してから訪問 |
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受取ったMAPは A4より一回り大きい B4カラー 「佐賀市内には様々さエビスさんがいます」 「街角エビスさんばさがそう!」 写真入りで入っていた 1225 IVV認証印も貰ってスタート |
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少し、南に下がってから「駅前交番西」交差点 県道29号線 北側奥に「佐賀駅」 |
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県道29号線 ・・ 落ち着いた雰囲気の並木道を700mほど南下 更に、800mほど南下すると 「佐賀城祉」「佐賀県庁」がある |
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「中央橋交差点」から、旧道?の「御幸橋」を渡って 運河?沿いへ MAPと微妙に川の角度が違うようだが ・・ 十間堀川 ・・ 説明板があり、この川沿いで間違いなし 旧藩時代、佐賀城下町の外濠の役割をもつ防衛上重要な川、 川幅は十間(18.2m)あったので この名があるが現在は狭くなっている。 流入する水路が多いので豪雨の際は氾濫しやすい。 ・・・ |
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大きな神社の裏道?を通る MAPに「龍造寺 八幡宮」 コースは、脇を通り抜けるようになっているが 折角だから参拝する事に |
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境内に入ると 「楠神社」 神社と 「楠公義祭同盟」 寛文三年(1663年)佐賀藩士が 「楠公」 をわが国で最初に祀った ・・ 神社 ( ・・ 楠公は 佐賀とは直接的な関係はない) |
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同じ境内に「佐賀八幡宮」 こちらが、表参道 ・・ 石の鳥居は危ういほど古い 地図には「龍造寺八幡宮」の文字が入っている |
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八幡宮の前の「札の辻(高札場)」説明板 「十間掘」と「八幡宮」の間を歩いたが 説明図では 「現在の八幡宮境内」を「長崎街道」が通っているとなっている この説明板の後 境内や十間掘が変更された?? 「長崎街道」は小倉(無法松2D)で その端っこ?を歩いたことがある |
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八幡宮を出て、本来のコースへ このみちは「長崎街道」 ・・ それらしい面影は、古道らしい道幅くらいだが 舗装色が少し変えてあり 両脇に |
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馬や駕籠など 旅人の姿が繰返し表示され 楽に 「長崎街道」を辿る事が出来た | ||||||
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最初に見つけた「半跏エビス像」 説明文には ・・・ このエビス像が造られたのは江戸時代中期の寛政5年(1793)で 市内における最も古い像の一つである。しかも欠失や破損部分が少なく 原形を保っており、福神の石像として、またエビス信仰をしるものとしても その価値が高い。 MAPに「街角エビスさんばさがそう!」となっていたが 幟には 「恵比須八十八ヶ所巡り」 ・・ 88ヶ所 ・・ 全部を探すのは 即断念 |
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長崎街道を辿って西へ 「善左衛門橋:ぜんじゃあばし」 多布施の資産家宇野善左衛門が、老朽化し通行困難になっていた土橋を 明和元年(1764)自費で石橋に架け替えた ・・ 現在橋の右側に古い橋脚部分が残っている 例大祭の行われた 「護国神社」境内を通り抜け |
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「長崎街道」を外れる 「実線コースがお勧め」のみちを進んで 「伊勢神社」鳥居 古そうな鳥居は 「都市景観 重要建築物等 2006 伊勢神社 佐賀市」 石組に隙間があり 下を通るのは少し怖い |
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「九州のお伊勢さん 伊勢神社」 ・・ 九州一の伊勢神社らしい | ||||||
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「本願院」前を通過 この辺りは寺院が集中 こちらは「真覚寺」 「旅人達の絵姿」 ・・ 側溝の蓋にも 「長崎街道」に復帰したのが判る |
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「→200m 龍造寺高房の墓(天祐寺)跡」 | ||||||
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「築地反射炉跡」の案内表示や 「佐賀市重要有形民俗文化財 旧城下町の道標」 「ながさきへ、こくらみち」「いさはやとかいばへ」 戦国・幕末・江戸時代 ・・ 様々な時代に重要な役割を果たして来た |
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マンホールは「ムツゴロウ?」 ここは、有明海も近い ・・ 長崎・熊本・福岡の真ん中 |
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「照栄中入口」交差点で 国道207号線(西いちょう通り)を渡って 長崎街道から分かれて、東へ向かう |
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前後を赤の鉄枠で守られた 石の鳥居をくぐる ・・ ここから 旧?参道らしい | ||||||
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途中には 「専修寺」 ・・ 脇には用水路があり感じのいいみち | ||||||
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ここにも、前後を鉄枠で守られた石の鳥居 ・・ くぐるのは、結構怖い | ||||||
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真直ぐ東に進んで 今度は、県道54号線「予賀神社西入口」を横断 (MAPや地図では「清和高校東」となっていたが、交差点の標識では「神社入口」 MAPの「清和高校」と表示している所は、スーパーになっている ・・移転したらしい) 奥に 社殿が見えた |
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通って来たのと 同じ石の鳥居 ・・ 最初の鳥居から約1q ・・ 長い参道があったらしい | ||||||
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「與賀(よが)神社」 大楠と重要文化財のある千四百年の古社 西暦564年勅願造立 鎌倉・室町時代は予賀御庄鎮守宮 現在の御社殿は江戸中期、鍋島六代藩主の造立です。 神社の奥(東)は 佐賀城跡の内堀に接している |
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1340 與賀神社の南に回り込んで 「掘端西通り」を南に ・・ この辺りがコース中間点 お掘りの中の大きな建物は 「佐賀県庁」「県新行政棟」「県議会議事堂」など 佐賀駅に近い 北側に集中している |
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堀沿いに500mほど南下して、「堀端南通り」で東へ 掘りの内側は住宅地になっていた 地図で見ると、佐賀西高・佐賀大附属中や佐賀城公園(中に県立美術館・博物館など) 掘沿いは すっかり葉桜に変っていた 南西の角にある小さな橋で お堀を渡る |
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掘りを渡って「城内」に入ると 「彫刻の森」 「古賀忠雄 彫刻の森」 「農場の朝」 「浴後」 |
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「工場の老夜警夫」 ・・ など26作品 同じ人の作品と思えぬほど 幅広い主題 気持ちの良い公園 ・・ 隣には県立美術館もある |
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公園内には「佐賀の役 十三烈士の碑」も | ||||||
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「佐賀城本丸歴史館 西門」・・ 左側の石垣の上が天守閣跡? 上り口はこの門の中には無く、左手に回り込んでから 石段を上る 「佐賀城天守台」にある説明には ・・ かってこの地に五層の天守閣が築かれていたという。 本丸からは、この天守台には上がれず、 二の丸西から本丸石塁北の犬走りを通って入るようになっている。 ・・ 享保11年(1726)焼失し、その後再建されないまま今にいたる。 |
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天守台の下に「佐賀城本丸歴史館」 「佐賀城本丸御殿」の一部を忠実に復元 本丸御殿の復元としては日本初、木造復元建物としては日本最大規模となる 2,500uの広さを誇ります 北側には「鯱の門」 歩いて来た広いお堀 ・・ お城の雰囲気が残っているのは、それくらいだった。 |
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天守台から見えた「鯱の門」 左の公家姿の銅像は「鍋島直正公」 幕末の難局を高い見識と先見性をもって指導 ・・ 大名としては最高位の大納言まで昇進 |
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「佐賀 城下町見て歩き」の案内看板 赤線:長崎街道コース 約6q:4〜5時間 黄線:濠端コース 約6q:4〜5時間 緑線:道祖元・高伝寺コース 約3q:2時間30分 歩いている、イヤーラウンドコースは かなりの部分をカバーしている 「熱気球国際大会」の会場も もう少し? 西にあったらしい |
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MAPで見ると 東側の「堀」が無いが NHKの隣に再建中だった | ||||||
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隣の「龍谷高・龍谷中」の校庭に流れ込む小川 ・・ その上に渡り廊下があった 小川は 桜の花びらが流れていた 県道30号線を100mほど 北上 「ヘアーサロン たんぽぽ」さんの 親切な看板 コースはこの後 「大隈重信侯 記念館」へ |
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MAP目印の「西村金物店」 ・・ 少し不安だったが発見 ここで右折し 住宅街を東へ |
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「大隈重信旧宅」 「大隈記念館」が併設されており 5.13(土)には「明治維新と大隈重信」のトークショウが開かれる |
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「榎橋」で 用水路の東側へ渡り 左折して、住宅街のみちを北上 | ||||||
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暫く見かけなかったエビスさんが沢山あった 夫婦の恵比須さんと言われている「仲良し恵比須」 畳屋さんの前にある「たたみ恵比須」 畳屋さんをお守りする恵比須さんらしく、畳の上に鎮座されています。 畳屋さんの角を曲がると 「歴史建造物が並ぶ長崎街道」に入る |
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「佐賀市重要文化財 旧牛島家」 県道の拡幅工事に伴い、佐賀市が元の持ち主から譲受け こちらに復元された 「佐賀市重要文化財 旧古河銀行」 |
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「よみがえった歴史街道 佐賀市歴史民俗館」として 「旧古河銀行・旧古賀家・旧牛島家」を公開している |
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県道30号線を横断して「呉服元町」の商店街へ 「長崎街道」の看板をくぐり抜けて、商店街を右左折しながら北上 佐賀の恵比須 その数”日本一 !!” |
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MAP目印の「エスプラッツ:S-platz」 を曲がると アーケード街 アーケードに熱気球が描かれていた |
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MAPの目印 「白山えびす足湯」 は 見つけられなかったが 県道28号線(駅前通り)の手前のみちを進んで 朝 渡った「十間堀川」を越えて ゴールに向かう |
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MPAに従い 復路は県道28号線(駅前通り)の東側歩道を北上 ・・ 何ヶ所かにエビスさん | ||||||
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「駅前交番西」交差点から WSTのコイケスポーツさんに ・・ 1509 ゴール (といっても、ゴール手続きは終了しているので 前を通過) 佐賀駅は丁度 下校時間で高校生がいっぱいだった 制服が真新しい 新入生もたくさんいた |
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10qのコースだったが 見所は沢山 観光地の華やかさはないが、歴史を感じさせる落ち着いた街だった ウォークというより、観光歩き ・・ もう少し勉強しておけば 一段と楽しめた? |
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久留米駅 1600 到着 コンコースには つつじが出迎えてくれた |
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宿は、JR久留米駅から 徒歩3分 部屋から 駅とバス停が見えた ・・ 明日から2日間バスで会場へ |
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