'18年4月20日(金) イヤーラウンドウォーク博多阪急イングス | ||||
明 21日(土)からの 「久留米つつじ2DM」 に向けての移動日 切符購入の直前に 昨年閉鎖されていた イヤーラウンド基地(WST) 博多阪急 イングススポーツ ・・ 8F:イングスシューズの再開に気づき 「ついでにYRW」 は、ここを歩く事にした |
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JWAのHPから MAPを印刷したが、路地みちまで書かれているが A4サイズでは見づらい 旧コースの15・20qは どうやら廃止したようだ 新しいコースは 3・5・6・10・15q の バリエーション豊富?な 5コース 全部 WST スタート&ゴール で、市街地を周遊するコース 初めての 博多市内見物を楽しむことに |
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1110 WST 到着 1時間もかかったのは、弘前の切符購入に JR西日本の窓口で20分並び 「愛知県から青森県の切符は取扱っていません」と断られ JR九州 「全国の旅券取り扱い」と表示してあった、こちらに 20分並び直したため 博多駅の「JR西日本みどりの窓口」が 特別(制約的な取り扱い)かどうかは ・・ 知らない コインロッカーに荷物を入れ、WSTに移動 ・・ 駅ビル内だが、これが又遠い WST 4年振り3回目の訪問 柱に 「ウォーキングステーション IVV」 のステッカーがあった 前回までは 「100キロウォーキング」 関連の展示物だったが、今回は「ランナー募集!」 受付に MAPが用意されたいたが、15qコースは無くなっていて 棚から出してくれた やっぱりA4 ネットから印刷した物より鮮明だが 文字は小さい 「IVV認証は?」 「戻ってみえたら、お渡しします」 |
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この日の GPS 距離:16.3q ・・ 微妙なコースアウトはあるが、1qも余分には歩いていない IVV認証:15q ・・ 距離も 誤差集積されている? 最大標高差:109m ・・ 「上った」感のあるのは、「光雲神社」ぐらい ・・ 正味:20〜30m ビル街では 異常値が出やすい 獲得標高:441m ・・ これも ほぼ誤差の集約 ・・ 全体平坦路 距離も同じくらいの誤差が入っている? 白黒MAPでは判らなかった 港・池・川が判りやすい ・・ 見えなかったが、港がすぐそば |
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広い博多阪急の8FのWSTから降りてきて 「コースはどっちだ?」 慎重に確認して 1122 スタート 心づもりより 30分ほど遅いスタートになった 回り方が明示されていないので、「どちら周りもOK」らしい コース北側の真ん中より右寄り 「天神中央公園 10キロ・トイレ」の文字 ゴールが近い = 「半時計回り」 ・・ この方が、コースが判りやすいのだろう |
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MAPに 「H ANAクラウンプラザ」 の表示 前を通り過ぎて、次の目標 「住吉神社:トイレ」へ 「約500m:みちなりに進む」 |
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「官幣小社 住吉神社」 境内へ | ||||
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住吉大神をお祀りする神社は全国に約二千社ありますが、その最初の神社と云われ、 古くより式内名神大社、筑前國の一之宮として篤い尊崇を集めております。 禊祓よりお生まれになった浄化の神として多くのご神徳があり、ご本殿は日本最古の 住吉造りで国の重要文化財に指定されています。 「図は、下が北」で ちょっと戸惑うが 由緒ある大きな神社 |
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本殿で 参拝して 神社を出ると | ||||
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神社の前に 「天竜池」「天津神社」 案内板に その昔、満潮時には塩原の辺りまで海の水がさかのぼり、この池にも達しておりましたので、 一名、汐入池(しおいりのいけ)とも呼ばれ、イザナミノミコトが禊祓をした霊池と伝えられます。 「西の海 橘が原の 波間より あらはれ井でし 住吉の神」 天津神社 創建年代不詳 ご縁結び 開運除災 |
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「住吉橋」で川を渡る ・・ 予想通り 「那珂川」 | ||||
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信号の表示は 「春吉小学校前」? MAP表示に慣れず 行き過ぎに気づく 本来は「那珂川」を渡って直ぐ左折 200m (南下) 小学校の前を通り越して 本コースに復帰 |
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どれが 「那珂川」 なのかも判りづらい 距離感や川の色 ( 道路と同じ白色 ) 幹線道路や高速道は、グレー ホテル・学校・コンビニ ・・ しっかり記載されて ・・ 判りやすいが 歩きながら見るには小さい コンビニで 拡大コピーすればいいのだが ・・ そこまで急ぐ必要はない |
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「柳橋連合市場」を通り抜ける 1150 お客さんの減る時間帯? |
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「渡辺通り1」交差点 ・・ 目の前を珍しい、連結バスが通り過ぎて行った 2両目のタイヤは1対だけ ・・ なるほど、前車に追随しながらも あまり揺れない? |
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「西鉄:薬院駅」を通過 | ||||
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300mほど進んだ 変則五叉路 (七叉路)「城東橋西」 を慎重に 西北西へ MAP 「福岡筑紫野線:県道31号(大正通り)」 向かいは 「福岡市立 警固小学校」 横断幕には 「KEGO ・・ 2014年:130周年 → 2024年:140周年」 |
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「けやき通り」への曲がり角 「警固」交差点 微妙に通りが変わっており、 少し悩んだが 交差点前後のコンビニを確認してクリアー 「けやき通り(国道202号線)」 ・・ まだ ビル街だが、緑が増え 落ち着いた雰囲気の通り |
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「赤坂3」交差点で 国道202号は左カーブ ・・ ここから、道路呼称は「別府橋通り」となっている 正面に「護国神社」 |
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護国神社の樹林を見ながら | ||||
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南の鳥居から入り 境内を通り抜けて 表参道に抜ける |
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表参道「大鳥居」は、高さ13m、柱の直径約160pと本当に大きな木製鳥居 護国神社が現在地に遷座したのは、戦時中の昭和18年のことです 「大きな鳥居」とのことから材木として選ばれたのが、当時日本領だった台湾・阿里山の檜 御遷座祭に間に合わせるため、大鳥居の柱は原木のまま建立されることに ・・ 現在では、趣のあるたたずまいとなっています |
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「美術館前」交差点 ・・ 信号の右奥に 「広田弘毅銅像」 渡ると広い「大濠公園」 入口の「日本庭園」(茶室)も大勢の観光客?だった |
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広い 県営大濠公園に入る ・・ 「右下が北」 図左下(南入口)から、左に回り込んで 池の中心を通る 「さつき橋」〜「茶村橋」・・から 中央(北)入口へ |
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大濠(おおほり)公園は、福岡市の中心部にある、 福岡城址のお濠の跡の池を中心とした市民の憩いの公園 総面積40万u、うち21万uの池を有した、 国内でも有数の水景公園 池の周囲は 約2q 遊歩道や、ジョギングコース、野鳥の森、児童公園、能楽堂や美術館、日本庭園などがあります |
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MAPに従い、「さつき橋」を渡り 池の中みちを進む | ||||
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途中に 作者未詳 『万葉集』 巻12-3215 の歌碑なども しろたへの 袖の別れを 難(かた)みして 荒津の浜に やどりするかも 〜 あなたと離れてしまうのが辛いので、荒津の浜で一夜の宿を取ってしまったよ。〜 こちらは、「浮見堂」 公園出口で 「地元〇〇テレビです 博多の暑さをインタビューしています」 給水しながら歩いているのが、 暑そうに見えたのか 10分ほどのインタビュー |
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この日は 平日 小学生達の課外授業 ・・ この暑さで走り回る、先生たちも大変 コースは、ここから 北の「西公園・光雲神社」までの 約1qを往復 |
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神社鳥居の先が、この日初めての坂みち | ||||
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MAPは 坂の途中の脇道の 「平野次郎國臣像」まで往復になっていた 幕末期に討幕・国家統一を主唱したが、頼みとする薩長両雄が相争う「禁門の変」において あまりにも早すぎた「国家統一」論は断たれました。 1828年〜1964年:享年37 |
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「西公園」の中にある 「光雲神社」 如水・黒田長政を祀る神社 1317 GPS:8.0q /115分 + 35分 ・・ ほぼ 中間点 ・・ この日は観光歩き ペースは気にしない |
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境内には ・・ 筑前今様にまつわる像 手前の兜は、黒田長政が渡河中に馬もろとも流されそうになった時、 兜が川柳の枝に引っ掛かり一命を取り止めた 奥は、福島正則から「名槍日本号」を飲み取った話で有名な 母里但馬守太兵衛友信(黒田二十四騎の一人)像 |
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折返して 「大濠公園」 に戻る | ||||
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10分ほどで 「大濠公園」 中央(北)入口から 左(東側)へ回り込む こちらに「日陰」が多く 休んでいる人も多かった |
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東出入口で公園を抜ける | ||||
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名島門(元は名島城の脇門)福岡市指定文化財(建造物)をくぐり抜け 隣の 「舞鶴公園」へ |
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舞鶴公園内の 「平和台陸上競技場」:福岡国際マラソン会場 ・・ 前を通過 | ||||
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ここも 舞鶴公園内 元の「福岡城」城内 ・・ 所々に、それらしい 石垣が残る 初代福岡藩主・黒田長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城 ほぼ現在の舞鶴公園にあたる内城は天守台・本丸・二の丸・三の丸の4層に分かれ、 潮見櫓・多門櫓・花見櫓をはじめとする47もの櫓がありました。 ・・・ 内城部分で41万u(東京ドーム9個分)の広さを誇った雄大さを今も感じることができます。 城下の武家屋敷まで含めると246万u(ドーム53個分)もの広さを持つ、日本有数の広大な城です。 |
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公園の東端に 広い円形の広場 左端では、テントが組まれ イベントの準備中 コースは 広場の右端を回り込んで |
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「鴻臚館跡展示館」 前を通り抜ける 鴻臚館(こうろかん) 外国からの賓客をもてなし、滞在させるために平安京・難波と筑紫の3ヵ所に設けられた施設で、 筑紫の鴻臚館は古くは筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれました。 ・・・ 平安時代になると、やがて外交使節の来日が途絶えて遣唐使も廃止され、 かわって唐や新羅の商人の来航が増加します。 鴻臚館は外交の場から交易の場へと変容していきました。 |
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円形広場の反対側に着くと 「平和台:多くのファンに愛され続けたお城の中の球場」 昭和62年(1987) の球場改修工事中に「鴻臚館跡」が発見されたこと、 また当時 平和台球場を本拠地としていたダイエーも、新しい本拠地として 福岡ドームの建設を進めていたことから、平和台球場を歴史公園として再整備することとなり、 平成9年(1997) に閉鎖されました。 |
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公園出口で イベント案内看板準備中だった 後ろの池は 「お堀跡」? |
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「明治通り」を東に | ||||
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通りを2本南に下がって 正面に「西鉄福岡(天神)駅」 | ||||
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「福岡市役所」脇を通り抜け | ||||
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「天神中央公園」を通り抜ける ・・ 正面は アクロス福岡:福岡県施設と民間施設(オフィススペース・商業施設)が同居した公民複合施設 福岡の新たなランドマーク、国際・文化交流の拠点を目指し、旧福岡県庁跡地 (県庁は1981年に博多区東公園へ移転)に建設された。 自然との共生、心潤う空間づくりをテーマにした公民複合施設であり、 南の天神中央公園に面した段状のステップガーデンは、「山」をコンセプトとした 大規模な屋上緑化であり、公園と一体となったランドスケープを構成している。 最上階展望台に登りつつ四季の植物を巡るような植栽計画がなされている。 5階から1階までは滝が流れている。 1996年、BCS賞(建築業協会賞)を受賞。 2010年、都市緑化基金主催の「生物多様性保全につながる企業の緑100選」に選出される。 MAP 「天神中央公園 10キロ・トイレ」の文字 ・・ GPS:12.3q |
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こちらは 「旧福岡県公会堂貴賓館」明治43年(1910)3月竣工 昭和59年(1984)5月 国の重要文化財に指定 明治43年に天神一帯で開催された第13回九州沖縄八県連合共進会(現在の博覧会)での、 来賓の宿泊・接待等の為の公会堂として建設されました。 現在では数少ない明治時代の木造公共建築物として、一般に公開されています。 |
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「福博であい橋」で 「那珂川」を渡る かつて川を挟んで商人の町「博多」と武士の町「福岡」に分かれていた二つの町が出会い、 つながってゆく、そんな想いをこめて名づけられました。 長さ 78.2m |
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「上川端商店街」 ・・ 金曜午後でも賑やかな商店街 | ||||
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「櫛田神社」前の路地みち | ||||
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櫛田神社は、古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社である。 7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう。 5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、 松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっている |
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神社の隣に 「博多町家 ふるさと館」 明治中期の博多織織元の町家(住居兼工房)を移築復元し、福岡市の指定文化財に 登録されている「町家棟」のほか、「みやげ処」「展示棟」の3棟で構成されています。 明治・大正の時代を中心に博多の暮らしや文化を広く紹介しており、博多の歴史、祭り、 伝統などを感じて楽しんでいただける施設です。 博多の祭とともにさまざまなイベントで賑わい、多くの観光客が訪れる博多の観光スポットです |
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博多旧市街をジグザグ進み 「東長寺:福岡大仏」前を通って 「聖福寺」境内へ | ||||
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聖福寺(しょうふくじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院である。 建久6年(1195年)に日本の臨済宗開祖の栄西が南宋より帰国後、 宋人が建立した博多の百堂跡にいち早く寺院を創建した。 これが日本最初の本格的な禅寺であり、禅道場である。 山門には元久元年(1204年)、後鳥羽天皇により贈られた「扶桑最初禅窟」の額が懸かる。 境内は国の史跡に指定されており、山門や仏殿などがある。山号は安国山(通称は安山)。 (Wikiより) |
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「緑橋」交差点 前方は御笠川に架かる「緑橋」その先の高架は「福岡都市高速環状線」 コースは橋を渡らず、南東に進んで 「JR博多駅」へ |
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「承天寺通り」を進む 左がその 「承天禅寺」 右は「祥勝院」 |
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通りの先に MAPには 「博多千年門」 門の扁額は 「萬年正續」 ・・ 門の名前ではない? |
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通り抜けて確かめると 「博多千年門」 「博多千年門(はかたせんねんのもん)」は、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る 博多の寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。 博多の繁栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、 平成26年3月に完成しました。 見返りの扁額「萬年正続(まんねんしょうぞく)」は、承天寺の開山聖一国師が修行した 中国杭州市の径山萬壽寺(きんざんまんじゅじ)の現住職、戒興(かいこう)氏によるもので、 千年も万年も長きにわたり栄えることを祈念された言葉です。 |
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博多駅 デッキ(空中回廊)を進んで 博多阪急入口でゴール 1513 GPS:16.3q /231分 + 68分 (= 4.23q/h) |
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広い博多阪急店内を8Fまで進んで ・・ WST 到着 1518 エスカレーターを使うので歩かないが、スタート&ゴールの2往復 ・・ この距離は入っていない? 「歩いてきました」 受付票の距離に合わせて、IVVシート:15qが用意されていた |
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初めての博多市内歩き 平日ということもあるのか 繁華街・公園もほどよい人通りで 落ち着いた雰囲気 「大濠公園」などでは 海外の観光客も多く 港の近さを感じられた 次回は 港や 見晴らしのいい所も歩いてみたい 4.2qペースは 初回コースでは 我家のいつものペース 快晴 気温は高めだったが 楽しめたウォークだった 靴 親指の先が当たるのか ゴール間際に 「ジンジン」 ・・ 明日からの「久留米」は旧靴で |
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快速電車で 約40分 JR久留米駅到着 「久留米つつじマーチ」の横断幕に迎えられ 駅前から バスで「西鉄久留米駅」まで 移動して宿へ 1650 ・・ 前日受付断念した |
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