'18年7月17日(火) YRW S.プラザヒビノ(岐阜県可児市) W計画 | ||||||||
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森蘭丸・明智光秀生誕の地を巡る 17qコース | ||||||||
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平日の火曜日 先週の「通勤渋滞」の反省から 我家を6時前に出て 705 岐阜県可児市 スポーツ プラザ ヒビノ 駐車場到着 店の入口に 「イヤーラウンドコースのMAP」と その下に早朝W受付ポスト 「早朝Wは 参加記録証・距離記録証をポストに投函して下さい」となっている 前回訪問時も、早朝スタートしたが その時は無視して ゴール後参加手続きとIVV受領 今回は 試しに パスポートを投函してみた MAPは以前貰ったものと同じ A3カラーで左半分がコースMAP(17・10q併記) 右半分にポイント注記 このレポ作成するのに、JWA HP掲載のMAPを確認したら 2005.4.1:V1.0 で「東海環状」が入ってなかった 受取っているMAPは、2005.4.1:V2.0 店頭のMAPと同一で「東海環状」が記載され コメントが2ヶ所ほど変わっている |
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710 スタート 3度目のコース アップダウンはあるが、信号は少ない 17q ・・ ゆっくりめでも 11時 暑くなる前に ゴール? @ 「可児川」に沿って「明智橋」まで堤を歩く 店を出て北上 右折 ・・ 200mで 「可児川」 袂の信号に 左折して 「可児川 堤」 に入る ・・ 次の目印 「明智橋」 まで、約3q |
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堤沿いを東へ 通学する 自転車の高校生が 何人か追い越して行った |
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名鉄:広見線を潜り抜ける 数日前の雨の影響か この辺りの水は多い |
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右手(南側)になった 名鉄広見線と 並行しながら 可児川沿いを東へ | ||||||||
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国道21号(可児御嶽バイパス)をくぐり抜ける | ||||||||
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堤沿いの ソメイヨシノの桜並木は 地元の故奥村富夫さんが、30年前私費を投じて植栽された「富さの桜」 |
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「平貝戸橋」そばの 「名鉄:明智駅」 に立寄り トイレ休憩 気温 27℃? ・・ 早くも、顔とハンドタオルを洗う |
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「市指定天然記念物 平貝戸の化石株」 ・・ 川の中に 木の化石 「千九百万年前の 可児市のようすを知るうえで とても貴重なものです」 |
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「明智橋」 で左折し 県道381号を北上 国道21号(中山道)に、突き当り「高倉口」信号 左折 正面の山(丘)の左端に 「伏見駐在所」 |
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「伏見駐在所」で右折 山裾を回り込んで 北上する ・・ 「旧中山道」は 右折後すぐ 「左折(西に向かう)」の道標 3度目に歩いたのは、3年半前だが シンプルなコースで だいたい覚えていた (1回目に貰った MAPにメモっていた) |
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A 「伏見駐在所」 を右折後、右手山沿いを進む 左手前方の山手中腹に「山田横穴古墳」が見える Aの個所を左折(右手に民家有) 正面の山に 「横穴古墳」 古墳の手前は 伐採されて見えるが、上からの枝が被さり穴の上が塞がっている |
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「Aの個所を左折(右手に民家有)」 ・・ この民家の手前で左折だが 「山沿い」を離れると日差しがあるので もうしばらく、山沿いを歩く ・・ 「意図的コースアウト」 |
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コース復帰して 県道381号(御嶽川辺線)に合流 花曇り状態だが やっぱり暑い 正面の山が これから向かう 兼山 |
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「東海環状自動車道」をくぐり抜ける すでに、緩やかな上り坂 |
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「城戸坂」の峠を越えたところに | ||||||||
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B トイレのある「第一駐車場」内を抜け階段を下り、登山道を「金山城址」方面に右折 同じ道をこの地点まで引き返す |
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「蘭丸ふるさとの森 美濃金山城址」 案内図 「現在地:P」 から右手の 「蘭丸広場」 を通り抜け、上に上がって「二の丸」から「本丸跡」へ |
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駐車場の奥から「大手道」 を進む 「マムシきけん みつけたら ちかよらない! 可児市 都市整備課」 の看板も ・・ 近づきたくないが |
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「森家の紋 鶴丸」を表現した植え込み その上の蘭丸広場に 「伝 森蘭丸産湯の井戸」があり、説明文には、 永禄八年(1565)秋、蘭丸がこの山頂にある金山城跡で生まれる 城には井戸がなく、ここから汲み上げて産湯に使ったと伝えられる。 |
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蘭丸広場から 更に「登城の径」で 本丸を目指す | ||||||||
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山道を登って ・・ 車道を横断 (近くにも 駐車場がある) 最後の階段みちに入る |
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多くの場所に「壊された石垣が残っています」と書かれているが 「これが、石垣跡」というのは 判らなかった 平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(143番)に選定 |
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「二の丸跡」も 狭い 天文6年(1537年)に尾張国侵攻のため斎藤道三の命令で 近辺の14諸将の協力を得て猶子の斎藤正義が築城し、烏峰城と名付けられた。 城郭の形式は梯郭式山城。「兼山城」と表記されることが多い。 1967年に岐阜県指定史跡に指定され、2013年に国の史跡に指定された。 標高約277mの古城山の山頂に築かれ、天守台を山頂に配置し、 本丸を中心に二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配され、 天守台北東側に東腰曲輪と称する一郭がある。 |
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「天守台」があったという 山頂 判りづらいが 「縄を張り 柱石の並びを示している」 奥の立木は 「樹齢 約300年 岐阜県天然記念物 やまなし (梨の原種といわれる)」 ・・ 前回訪問時には ここには 「お社」があったはずだが |
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Yahoo!地図には 「烏龍神社」 と記載されている 無くなったのは 最近の事らしい (前回訪問時の写真) |
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他に城跡を示すのは 「史跡 金山城址」 の石碑くらい? | ||||||||
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山頂からの見晴らしは霞んでいた この後行く 「木曽川」に掛かる 「赤い橋」とその右手のダム ややズームして なんとか見えた 山頂(天守台)から 東に下りる「搦手道」もあるらしいが MAP通り、「第一駐車場」に戻って |
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「県道381号(御嶽川辺線)」 に戻って、坂を下り 信号を渡って | ||||||||
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C 車止めの下り坂を「浄音寺」まで下り 「兼山湊跡」方面へ |
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「浄音寺」に突き当たって、「兼山湊跡」へ左折(西進) 「兼山保育園」では 園児たちの元気な声が聞こえた 住宅地を600m進んで |
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「兼山湊跡」 (Wikiより) かつて湊には多くの川舟が往来し、室町時代には木曽川上流の始発湊であり、 木曽川上流域の唯一の商用港であり、 戦国時代には兼山城主森氏の政治的、軍事的要衝ともなった。 河運を利用し商圏を信濃や伊勢方面にまで広げ、兼山商人の名を轟かせた。 兼山周辺は蚕糸業を主産業としており、またそこから発展した呉服産業なども。 さらに山地の北側斜面に立地していた兼山の天然氷の製造に適しており、氷も卸していた。 江戸時代に入っても木曽川の最終荷揚港として重要な役割を果たし 兼山城周辺の町へ繁栄をもたらせた。 |
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木曽川は 下流に「今渡ダム」があり 水量多く静か 上流に 城址から見えた 「赤い橋」(県道381号) その上流には「兼山ダム」もある |
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「湊跡」から 道路へ上がり 300mほど東に戻って | ||||||||
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森可成公 菩提寺の「可成寺」に入る | ||||||||
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D 「可成寺」に入り、標識に沿って蘭丸の墓地まで上がる 境内を回り込んで、寺の裏へ 寺を守るように、「(東側)廃線跡」に コンクリート堤が出来ていた |
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蘭丸達の「森家の墓」は この階段の上 直ぐだが、前2回も見ているので 「まぁいいか」 微妙なショートカット ・・ 金山城址を下りてから 「ガリガリ君」を探しながら歩いたが ・・ 発見出来ず |
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コースの「(西側)廃線跡」は、そのまま残っていた ・・ 将来こちらにも塀が出来る? E 廃線跡を約400m歩く (砂利道で少し歩きづらいが ・・) 公衆トイレのある辺りから一般道を歩く 砂利は 半分土と草に埋まり それほど歩きづらくはなかった 「黒っぽい 変な紐?が ある」 と 何気に近づいたら 逃げて行った 三角形ぽい頭 ・・ マムシだったかも 925 GPS:9.6q / 135分 ・・ アップダウンはあったが、2時間以上で10q足らず コースは迷わず歩いているが ・・ 止まらず歩くのが精一杯 残り 7〜8q ・・ 2時間くらい かかりそう |
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「東海環状自動車道」を潜り抜けると 公衆トイレ 一般道を 400m ほど進んで |
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写真を取り忘れた 「ようこそ 蘭丸のふる里へ」 の 県道381号との合流点 |
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その先に 「ガリガリ君」 が見えて 写真をつい忘れた 一口 齧ってから 「証拠写真」を 思い出す |
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ガリガリ君から 200mで 県道381号から分岐し | ||||||||
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F 「消火栓」の手前を左折する ・・ ちょと 不安な目印だが |
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少し歩くと 左側に「廃線跡」があり 「可成寺」から繋がっているみちだと分かる 住宅街を進んで |
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G 左折し「伏見児童館」前のゆるやかな下り坂を進む その先道路ミラーのある個所を右折し往路に合流 「明智橋」方面に進む 以前歩いた時は 「児童館」は工事中だった |
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今回 工事も終わっていて スッキリ ・・ 建物は、写真の左側にあった 看板は判らなかったが、写真右端のバス停が 「伏見児童館」 ・・ 間違いナシ 左折して |
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「道路ミラー」 ・・ ここも、ちょっと頼りない目印(他にもミラーがあるのでは?)だが 向かいの山が 往路で歩いたみち そこまで戻って左折 |
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「伏見駐在所」で 国道21号を東に進み | ||||||||
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「高倉口」信号で右折(南下) 正面に見える山が これから向かう 「明智城址」 |
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「明智橋」を渡って | ||||||||
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「名鉄:広見線」通過 | ||||||||
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国道21号(可児御嶽バイパス)信号も通過だが コンビニに立寄り 顔とタオルを水洗い |
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歩くのがやっとになってきたので 「ドーピング」 で、即攻元気? | ||||||||
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バイパスを通り過ぎた所に 「川上屋」とコンビニ あまり記憶はないが、Yahoo!地図に入っているので 2年以上前からあったようだ (航空写真では、奥のコンビニの所は まだ田んぼ) |
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H 信号機のある交差点の40m先を右折し 「瀬田幼稚園」方面へ | ||||||||
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I 17qコースは 「瀬田幼稚園」を左折 (10qコースと合流) 「長山(明智)城跡」の標識に従って進む |
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幼稚園で左折して、次の道で右折 「瀬田自治会館」前で 左折 初めて歩いた時、「瀬田自治会館」が判らず 迷った所 ・・ その分、よく覚えている |
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「瀬田自治会館」左折して 田んぼみちを進む 正面が 「長山(明智城址)」 集落の中をジグザグ進み |
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お寺の案内板の下に 「← 明智城址」小さな案内板 ・・ 大河ドラマの始まる2020年までには 大きな看板になる? |
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突き当りに 「明智城大手口」の石碑 奥の細いみち 左下に 「桔梗坂」 の道標 左の駐車場の幟旗 「美濃国明智荘 明智光秀公生誕地 可児市」が 新しそうだった 右側が案内板のお寺 「横超山光連寺」 J 「明智城大手口」の標識を左折すれば「天龍寺」〜10qコースへ 「明智城址」までは 約450mの上り |
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「明智城址大手門」 ドーピングをしたが、効果は30分? すっかりバテバテ |
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低い丘だが 二度 三度 休み休み上る |
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「散策路マップ」 緑色のみち ・・ 右上のPから南に下がり 現在地 約400mの上りだった このあと、左(西)に向かって 「西出丸曲輪」から城外へ |
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「二ノ丸曲輪」を進んで、「本丸曲輪(三ノ丸曲輪)」に 「明智城址」の石碑 | ||||||||
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近くに 「土岐桔梗 明智城 明智光秀公」 隣の 昭和59年の「明智城址記」 から抜粋 ・・ 弘治2年(1556年)、斉藤道三の息子で稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け落城します。 そのとき、明智城代明智光安は弟光久ら 870余人を集めて籠城します。 しかし義龍軍は 3,700余の軍勢で2日間にわたり攻撃をおこないます。 光安は光秀に明智家再興を託し、一族もろとも落城前に自刃したといいます。 城は落城後 再興されることはありませんでした。 現在、本丸跡や曲輪・土塁などの遺構は比較的綺麗に残っています。 可児市指定の史跡となっており、また明智城址散策道として整備され、 ハイキングコースとして楽しめるようになっています。 |
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「西出丸曲輪」から 城外へ | ||||||||
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K 「明智城址」 からニュータウン内に入る その先のショップ 「ライフ」 を右折しなるべく右手の道を進む |
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ニュータウン内?を進んで その先のショップ「ライフ」 ・・ この店がいつも判らない ・・ 「右折しながら」 のタイミングを逃して ・・ (多分、ショートカットになるのだろうと 半分確信しながら ・・ 進む) 写真のバス停は 「広眺ヶ丘5丁目」 |
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MAPには 番地まで入っていない ・・ コースに一瞬 戻っていたのだが バテバテで、MAPをしっかり 確認する気力も無かった L 「美濃部山古墳」に上がる その先 木製の「いざないばし」 を渡り 「広見神社」 方面へ ・・ この項目は、無視する事になった |
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いきなり 見覚えのある 「ゆとりピア」 の交差点に出た | ||||||||
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まっすぐ県道341号を 市街地へ進んで ・・ 1ブロック右手に WSTが見えた | ||||||||
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1120 ゴール (GPS:18.1q / 250分 + 69分 = 4.34q/h) この日は 7時台:27.4℃ →→ 11時台:32.9℃ ( 更に →→ 15時:36.8℃) ・・ 路上は +α とてもペース云々の気温ではない ・・ 無事に ゴール出来て ヨシ!としよう ゴール受付は 連れに任せて、こちらは店の前のベンチで 一服&ドリンク休憩 お客さんで混んでいるのかと思ったら、スタッフさんはYRWを知らず 責任者さんを電話呼び出し ・・ パスポートを「ポスト」から取り出し IVVスタンプ押印 ・・ 完了 (まぁ 想定内の対応だった) |
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月末 「一宮七夕W」 に向けた トレーニング の一環だったが 予報では、「この暑さが月末まで続く」 などと 言っている この日は、早朝Wで ピーク前にゴールしたが ・・・ 今度の土日も所用 ・・ 来週 月or火あたりで 最終調整Wして 作戦会議に |
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