'18年12月16日(日) 岡崎WA 12月例会 参加計画
 
                                             12.14 記
 岡崎W協会 12月例会 「北YRコースを歩こう」 に参加を計画
  集合:900
  場所:名鉄東岡崎駅
  距離:L18q・S11q

 このコースの Wステーションは 駅前の「デイリーヤマザキ」さん
   南北のコースがあり、何度か歩いた ・・  「スタート&ゴール」 手続きが厳密で ・・ つい買物になる
 
 見どころは
  岡崎城〜伊賀八幡宮の 「伊賀川桜並木」だが この時期 ・・・

 岡崎WAさんの例会参加は 久しぶり
  (10月下旬 岡崎市の「健康W21」を主管されていた)
 出発式は L・S 全体で開催するが
  スタート以降 別行動で 歩きやすい

 夕方から 雨予報
  午前中からに 早まると もちろんパスします

 昼食:瀧山東照宮?
 ゴール:1445 ?
  
 岡崎WA 12月例会 北イヤーラウンドコース:ロング 18q
 我家から1時間余り 840 名鉄東岡崎駅
  いつもの、駅南口に集合 受付を済ませる
 頂いたMAPは YRW用MAP(A3白黒)に
  この日の 日付・12月例会などの題名が追記されてる
  ( WST の情報が無いので その部分に上書きしたらしい)

 MAP 改訂履歴 2006年1月初版-06.6月2版-07.10月3版 のあと
  間が空いて 2018年5月4版の改定となっている
  何を変更したかは判らないが、メンテナンスされている YRWのMAPは珍しい

 白抜き文字は コーナーの交差点名や注意
  「見どころガイド」 もあるので レポはこれを引用しながら ・・ 歩いたコースの 「おさらい」
 900から 出発式 挨拶・コース説明・ストレッチ
  ショート・ロングのグループ分け ・・ それぞれの員数確認
  ロング 35名 ( 途中1名が追付き36名 ) ショートもちょうど同じくらいだった

 12月は 県下のWAも年末で やや変則的なスケジュールで
  この日開催は「岡崎WA」だけ
  それもあってか 「最近では 多い(参加者)」 らしい

 916 スタート
  「駅改札地下道」を避け 駅の外周を回り込み
   北口から WST「ディリーヤマザキ」の前を通り抜け
  MAPでは ひとつ下流の「殿橋」で 渡るとなっているが、そのまま直進  「明代橋」 を渡る
   まぁ 団体歩行 リーダーさん(今日は 会長さんがリーダー)の案内に、ついて行くだけ

 新橋を建設中
  その奥の ビルの一番左(写真には写っていない)に 岡崎城 ・・ に、向かう
 乙川を渡って、河川敷歩道を西の 岡崎公園(岡崎城)へ
  ショートは 「殿橋」で 河川敷歩道に下りて 沈下橋で こちらに渡ってくる
  MAPに 破線でコースが入っており、予定通りに歩いている
 「見どころガイド」から
 岡崎公園:
  家康公生誕の岡崎城は 1873〜77年に取り壊されたが、旧岡崎藩士を中心に
  1880年から城を「公園」として保存する運動がおき、1880年 全国でも最も早い時期に
  公園になった。
  1978年に 「日本都市公園100選」と「日本の桜の名所100選」に選ばれている

 石垣の上に 石の「(岡崎)五万石船」

 そばに 「岡崎城跡の石垣」についての説明があり
  岡崎城跡の石垣は地場産の花崗岩を用いて築かれています。
  現在では岡崎を代表する「地場産業」となっている 石工業ですが
  その萌芽は田中吉政が岡崎城主(1590-1601年)となり、
  城郭整備のため石工を招き、石垣を構築したことに始まるとされます。
  ・・
 「コースMAP」では、
  「殿橋」-「康生通南」交差点-「岡崎公園前」交差点-「岡崎城」 ・・
  と 「お城を北から回り込む」 ようになっているが

 河川敷歩道から 堤防に上がり 南からお城の脇をすり抜ける ・・ 微妙にショートカット?
  立木があり、知らないと 「天守閣」にも気づかない?

 「YRW MAPの連絡先(作成or監修?)」 は 本日のリーダー:岡崎WA会長さんになっている
  団体歩行で歩きやすいみちを案内?
 お城脇から 「伊賀川 河川敷遊歩道」へ
  伊賀川沿いを北上して 「伊賀八幡宮」 を目指す

 最初にこのコースを歩いた時は、見事な 桜並木だったが
  その後 水害があり 「河川改修工事」 ・・ 大工事で 大部分の桜がなくなった
  歩きやすくなったが、風情はなくなった
 1qほど北上し 「中橋」を渡って 50mほど 住宅地に入った
  「柿田川緑道」を北上
 赤い色が目立つ 「神橋」 の脇から 「伊賀八幡宮」へ 最初のWC休憩
 伊賀八幡宮:
 1470年、松平4代親忠が三重県伊賀より氏神としてこの地に移し、地名も
  伊賀になったと伝えられる。
 1611年に家康が建立した本殿、
  1636年に家光が幣殿、拝殿、本殿を権現造りの社殿としたもので、
  建造物のほとんどが国指定の重要文化財である

 GPS:3.7q地点 人数の割には長い(12分) WC休憩となった
 リスタート
   「伊賀川」から離れ北上 「県道56号」を横断
  通りの先 (西)400mに 「愛知環状線・北岡崎駅」がある
 コースは 「柿田川緑道」 の続きを 北進
  両側は住宅地
 「県道26号:鴨田町深田」交差点横断し 住宅地を進む
  「鴨田天満宮」参道まで直進のコースだが
  ・・ 燈籠前で左折し
 路地みちに入って北上
  「大樹寺小」 にぶつかり、小学校を回り込んで
 「大樹寺」 前へ
  この一角の道路は 石畳
  ・・ 歩行者専用にしたい?が、通行車両が多い
 ここに来ると撮りたくなる 「ビスタライン」
  「大樹寺小」正門から 南門 ( =大樹寺総門) の中に 「岡崎城」 (写真は少し ズーム)

 今に伝わる歴史的眺望:眺望ライン(ビスタライン)

 ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望」を意味し、大樹寺と岡崎城を結ぶ、
  標高差を利用した約 3qのちょくせんを「ビスタライン」と呼んでいます。
 これは徳川三代将軍家光公が、家康公の十七回忌を機に、「祖父誕生の地を
  望めるように」との思いを守るため、徳川家の祖先、松平家の菩提寺である
  大樹寺の本堂から山門、総門(大樹寺小南門)を通して、その真ん中に岡崎城を
  望むように伽藍を整備したことに由来しています。

 時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺と岡崎城を結ぶ歴史的眺望は
  往時のままで、門越しに望む岡崎城は、まるで額の中の絵のようです。
                                   岡崎市
 「大樹寺」 WC 休憩 5.3q地点
 大樹寺沿革
  ・・・
 桶狭間の合戦で 大高城から大樹寺に逃げ帰り、祖先の墓前で自害しようとした。
  大樹寺住職登誉天室上人はこれをとどめ 「厭離穢土・欣求浄土」 の教えを説き、
  家康公に浄土念佛の尊さを教えた。
 それ以来、家康公は熱心な念佛者となり、生涯この「八文字」を座右の銘とした。
  ・・・

 「見どころガイド」
 大樹寺:1475年に開山した松平氏・徳川将軍家の菩提寺として知られる大寺院である。
  ビスタラインは ・・・

 「厭離穢土・欣求浄土」 ・・ 「死を恐れない」 と思っていたが、
  私利私欲のための戦いで穢れた土を厭い離れ 平和な浄土を願い求めて、それを成す
   = 「戦のない世を作る」 という事らしい
 本堂から山門、総門を通して、その真ん中に岡崎城
  確かに、一直線だが ・・ 昔の人は 目が良かった?
  ( ・・ スマホやパソコン 細かな字の新聞もなく、空気も もっと綺麗だった)
 先ほどの 「伊賀八幡宮」 から 1.5qほどだったが 8分の休憩
  念入りに 員数確認して リスタート
  入れ違いに 「観光バス」 の一団が到着
 住宅街を東に向かい 県道39号を横断して北上
 「県道39号」 ・・ 車の少ないわき道に迂回して
 「百々西町」交差点で右折(東進)
  「滝団地北」交差点までの 2.5q 道路沿いを進む
 すぐに 人家はまばらになり
 田んぼの中のみちになる
  正面に 「東名高速道路」
  その奥に 「JAあいち三河:葵カントリーエレベータ」

 カントリーエレベータ
 収穫されたお米は、翌年の収穫までの一年間にかけて食べられるため、
  おいしさや鮮度を保つためには貯蔵方法が重要になります。
 そこで農家の負担を軽減する目的で穀物の乾燥、調製、貯蔵の
  三つの役割を担う施設として1964年に農林水産省によって導入がはじめられました。
 高速道路をくぐり抜けると 「おかざき 農遊館:WC」 8.0q地点
  ここでも 8分ほどの列詰め・WC休憩 員数確認

 昼食場所まで 2qほどなので ・・ 立寄る人を後続に、本隊は先発したかった
 隣には 「JA」とは関係のなさそうな
  「ギャラリー 鍛鉄・空間」 さんの作品
  イルミネーションにもなっているようだ
 いつの間に上ってきたのか 今度は長い下り坂
  MAPは このまま 「滝団地北」交差点まで 車道沿いを進むとなっているが ・・
 道路に並行する 「青木川」沿いに迂回して 500m
 「滝団地北」直前で 道路に戻り、交差点を左折
 車道下の 「常夜燈の通りを歩く」
  以前のMAPには この注記がなく 上の車道を歩いた気がする
 200mで 「青木川」を渡り 
  青木川と 山(丘?)に挟まれた みちを 東へ
  右手の建物が これから行く 「瀧山東照宮・三門」
  ・・ ここから 参道という事らしい
 石垣の上の 「弘願寺」
  大きなお寺だった
 すぐ人家が途切れ 600mほど進んで
 「瀧山寺・瀧山東照宮」
  大きなお寺らしく 入口に 「重要文化財 瀧山東照宮・瀧山寺 全景」
 20〜30段の階段が 4ステージほど
  段の高さが高く だんだん足に効いてくる
  何とか 止まらず 本堂にたどり着く

 この日 上り 「第1弾」 だった
 1155 瀧山寺 10.3q  ( コミコミ 3.89q/h )
  (参考:159分 + 56分 ・・ 30分ほどの見学・列詰め・WC休憩含む)
  「1245 まで昼食休憩です」

 瀧山寺:
  建造物には国指定の重要文化財が多い
  鎌倉時代から続く 県無形民俗文化財 「鬼まつり」で知られる寺
  旧歴正月7日 暗闇の中でたいまつが乱舞する姿は壮観そのもの
 本殿横に 門松が準備された 「瀧山東照宮」
 瀧山東照宮:
  徳川三代将軍家光の創建で、瀧山本堂の一段と高い所にある
  これは、日光および久能山東照宮と並ぶ 日本三大東照宮の一つである
 「東照宮」らしい 煌びやかな装飾だが
   日光、久能山と 「並ぶ」 のは 少しきびしいかも?

 (Wikiでは) 家康は
 今際の際に金地院崇伝、南光坊天海、本多正純を呼び、次のように遺言したとされる。
  久能山に納め、御法会を江戸増上寺、靈牌は三州大樹寺、
  御周忌終て下野国日光山へ 小堂を營造、
  京都には金地院に小堂をいとなみ所司代はじめ武家の輩進拜せしむべし。
                      - 徳川実紀 (台徳院殿御実紀四十二巻)

 当初 「久能山」と「日光」に造営されたが その後
 各地の徳川・松平一門大名家、また3代将軍徳川家光による諸大名への造営の
  進言もあって譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名家も競って建立し、
  全国で500社を超える東照宮が造られた
  (廃絶されたものを含めると約700社が確認されている)
 明治維新以後の廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは 約130社とされる

 その中で 「三大東照宮」 を名乗る所が 幾つかあるようだ
 境内には 燈籠を奉納したらしく
  刃傷事件の 「播州赤穂城主 従五位下 浅野内匠守 あさの たくみのかみ長直ながのり
  の名札が掛かっていた

 同じ様に 「当国 岡崎城主従(2代藩主)五位下 水野右衛門大夫忠春」 の名札もあった
 この日の GPS:
  距離:17.6q
   昼食場所の「瀧山寺・瀧山東照宮」境内は狭く 散策なし ・・ IVV認証:18qは誤差なし
  最大標高差:103m  獲得標高:321m
   2ヶ所の上り ・・ 麓との差は半分くらいで 全体として 平坦コースの印象
 1240 「少し早いですが 出発します!」
  下山は 階段となりの車道 ・・  激下りだった

 残り 7q 余り ・・ 午前のペースでは 1440〜1450 頃 ゴール?
  出発式の案内で 「ゴール 15頃」 なので、想定通りのペース
 「青木川」 に戻る
  「日陰橋」 上流は 何故か、岩場が多い
 ガラ紡績の 水力動力に 三段の堰堤を築いて 27基の水車が稼働していた
  その三段の堰堤跡のようだ
  産業遺跡としても価値があるらしい

 写真を撮っていると
  地元のWさん 「昔は、川向うに 紡績工場があった」 と教えてくれた
 復路は 「日陰橋」で川を渡り 「青木川」左岸を下る
 昼前に通った 「瀧山東照宮・三門」 まで戻り
 「滝団地北」 交差点で 左折して
  地方道沿いに南下開始
  この日の 上り 第2弾
 交差点から 300mほど 坂を上った所にバス停
  「滝団地北」

 この先バス停は
  「滝団地 or 団地中央 or 峠」 で 「滝団地南」 と続くのだろうか
 住宅は 崖の上  所々に 急な階段があったが
  バスに乗るだけでも、いい運動になるのかも
 更に 300m上って 「峠」? のバス停は 「滝団地南」
  もう 団地を通り抜けるのだろうか

 地図で見ると 団地内の 「中央公園」 を通り過ぎた所
  午後リスタートしてから ペースが上がったように思えたのは 体が温まったから?
 峠を越え 今度は 1.5qほどの 長〜い下り
 どんどん下って 「石の公園団地」 岡崎の石や町
  ご自由にお入りください
  
 スタート直後の「岡崎公園」で
  現在では岡崎を代表する 「地場産業」 となっている 石工業です
  という、説明文があった
 「おおいわはし(大岩橋)」で 「伊賀川」を渡る
  この直前でも 小さな橋(大山橋・川南橋)で 2度 「伊賀川」を渡った

 川幅が狭く 歩いている時は気づかなかったが
  地図で確かめると この部分で 川は激しく蛇行していた
 信号も少なく どんどん進み 「東名自動車道」をくぐり抜ける
 「東名」を通り抜けると 住宅街に一変
 MAPでは 100m先の 「中野大門通」交差点で右折だが
  「リーダーさんは 路地みちが好き」 らしく
  ・・ 急に右折
 路地みちを通って 「極楽寺」前を通過
  「岡崎天満宮 WC」 に向かう ・・ 100m ほどのショートカット?
 「岡崎天満宮」:
  1690年 江戸湯島天神の別当職祐信ゆうしんという人が伝馬町の宿に泊まった時、
  霊夢で菅原道真公が「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧進しなさい」
  祐信この神夢の通り、あの菅原道真公を御神像を合祀し、天神様をお祭りした。
  その社名を総持寺鬼門から岡崎天満宮と改め、現在に至っている。

 「拝観はしません トイレ休憩です」
  ゴールの「東岡崎駅」まで 1.7q
  階段を見て 「パス」と言っていた人も、
  スタッフさんが 「いいですか?」と念を押し
  一人が行くと 「それなら 私も」 となり 5分ほどの休憩になった
 リスタートして
  広い 「東本願寺 三河別院」を回り込み
 MAPは 200m先の「伝馬町」交差点で横断だが
  「伝馬町通4」 交差点で 横断して そのまま直進 「岡崎市役所西庁舎」脇を通り抜け 
 「国道1号:東海道」 を横断し
  その先の 「路地みち」へ
 「乙川」堤防で 150m先の
  朝渡った 「明大橋」 を渡る
 橋の袂に 「WST:Daily YAMAZKI 東岡崎駅前店」
  ガラスに 《 IVV:通年ウォーキング基地 》 シールが貼ってある
 駅前の地下道をくぐり
  駅建物の外を回り込んで ゴールの「駅南」へ
  ・・ 後続の 大部分は 駅下の連絡通路で 「駅南」へ

 連絡通路には 「Jazz の街 岡崎」 ・・ 2枚組のポスターが面白くて ついパチリ
 1420 ゴール
  午後 リスタート してから 7.4q  / 100分 +26分  ( コミコミ 4.44q/h )
  やはりペースは上がっていた?

 予報通り 「午前:晴れ 午後:曇り」
  朝の冷え込みが強く 昼間も10℃を越えたくらい
  止まると、ダウンが欲しい一日だった
 
 今年は 「南コース」周辺を 2度歩いて 住宅街などの 開発ぶりに驚いたが
  「北コース」は変化は少なく 落ち着いた風景だった
  初冬の岡崎 家康のふる里歩きを楽しんだ
 「北イヤー・ラウンド・コース」 の周辺を歩いた
  久しぶりに コースMAPをじっくり見たが
  1回目訪問時( 以降のMAPは貰っていない )から微妙に 改定されているようだった

 年明けの 「熱田-伊勢」 まで 3週間あまり
  「汽笛一声」 で ちょっとトレーニングを検討中
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