'20年3月15日(日) YRW 西尾市 お菓子所 東角園:18qを歩く計画 | |||||||
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吉良三人衆 歴史と文学に出会うみち A+B:18qコース | |||||||
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我家から1時間余りで、コース北端の 黄金こがね堤 パーキング到着 吉良義央公が洪水から領地を守るために、一夜にして築いたとされる堤防とされる 左奥には、赤馬に乗って 領内を巡視し 仁政を敷いた義央公の像 ここは 桶狭間合戦の翌年、信長と結んだ 家康が吉良氏を攻めて 大敗を喫した鎧ヶ淵古戦場の説明文もある 桜の名所らしいがまだつぼみ WCの他は 何もなさそうだが、10台ほどの車が止まっていた |
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店の隣にも 広い駐車場があり そちらに車を止めて スタート受付 開店直後だが お客さんがいた 907 スムーズに手続きを済ませ スタート このコース 5年振り 3回目 それほど迷った覚えはない |
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歩道には、吉良の三人衆にまつわる絵が埋め込まれている | |||||||
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まず 道路向かいの MAP「横須賀小学校」へ MAP作成2009.10後 西尾市への編入で改名され 門柱に小さく 愛知県西尾市立 |
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入った正面に 「尾崎士郎の碑」 【息子 俵士への遺言】 しかし そこで くじけるな くじけたら最後だ 堂々とゆけ |
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道路を戻って、名鉄・西尾線 踏切を越え 尾崎士郎生誕地へ | |||||||
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通りから、20m ほど外れるが、案内板で迷うことなく 生誕地(左の家) 扉が開いていて中が見えたが、特別の展示はなさそうだった |
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次のコミュニティ公園(人生劇場公園) 入口の建物には 「赤馬」の絵と 解説があった 吉良の赤馬 吉良上野介義央公は、吉良に帰ると農工に使う赤毛の駄馬にまたがって 気さくに領民に声をかけてまわったと言います 尾崎士郎さんも書き残した"吉良の赤馬"は名君吉良さんを慕う 町民の語り草の一つです |
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公園には 尾崎士郎の人生劇場 主人公:青成瓢吉 花の都へ 出立の像 いよいよこれから三州の山猿、青成瓢吉の 花の都の芝居がはじまるのである 〜人生劇場 青春篇花道の章より〜 |
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住宅街を通って、北の源徳寺へ 200m足らずで 左の看板下に ←吉良仁吉の墓所:源徳寺 |
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門の前にも 案内の大きな碑があり | |||||||
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義理と任侠で知られる 任侠吉良仁吉の墓 ・・ 一周忌に 清水の次郎長 が偲んで建立した 仁吉が戦死した、伊勢・神戸の 荒神山の戦い 以前参加した いきいき鈴鹿ツーデーウォーク大会 の初日 スタートしてすぐ 荒神山観音を見た |
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続いて 福泉寺へ 要所に 日本ウォーキング協会認定コース 愛知 吉良の三人衆 歴史と文化に出会う径 → まるで 2DWの矢貼り これまで幾つもYRを歩いているが、矢貼りのあるコースは ここくらい |
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福泉寺 山門隣に大きな 尾崎士郎 墓所・文学碑の文字があり 綺麗に手入れされ、花も供えられていた |
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赤馬の径 と名付けられた 歩道に出て コース北部の 吉良家 ゆかりのお寺へ 住宅地を 200m北東に進み |
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名鉄・西尾線を横断 この線は 便数が多いようで、何度も電車を見た |
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更に 200m 保育園東交差点で左折 赤馬のみちへ 要所の矢貼りで 華蔵寺へ |
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直進 約1q 歩道脇に 赤馬像 |
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小さな山の麓 集落の入口に 人が乗った赤馬像 華蔵寺など 吉良家ゆかりの寺への駐車場 |
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片岡山 華蔵寺(高家吉良家菩提寺) | |||||||
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ひっそりとした境内の 本堂奥に 吉良氏影堂 見どころガイドに 吉良公の木造や吉良家墓所があり、訪れる人が絶えない 本堂裏手の小堀遠州風の枯山水庭園は見事である |
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境内を回り込むようにして 案内のある 火岳かがく寺(東条吉良氏菩提寺)へ こちらの 椿の花も 多くが歩道に |
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本堂脇の 墓所もひっそりしていた 花岳寺:高家吉良家の先祖、東条吉良家の菩提寺である ここは、重要文化財の後柏原天皇震翰しんかん(手書き)など 吉良家ゆかりの宝物も多い 竹林の中に落ち着いた佇まいをみせている |
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境内から下りてきた所にも には、「赤馬」の像 ゆるやかな影を刻む春の陽ざしである その悠揚ゆうようと伸びてゆく陽ざしの中を、のろのろと動いてゆく 赤馬の愉たのしさが、おのずからにして象徴するものは 上野介の人徳でもあった 尾崎士郎「吉良の男」より |
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黄金こがね堤の案内に従い、コース北端の丘を回る | |||||||
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川沿いを進んで 矢貼りに従い | |||||||
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朝立寄った 黄金堤 パーキング 右端に 赤馬の上野介像 相変わらず車が多い 半分は入れ替わっているようだった 立寄った人達が (桜は)まだ咲いていないネ〜 コース北端から 前方に向かって 800mほど 県道42号を南下 |
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半分ほど進み 歩道のない県道わきから 田んぼ1枚分迂回したみちへ 入口が判らなかったが、テキトーに T字路に出て ← 瀬問神社の矢貼り |
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県道を突き抜けて 郷社 瀬問神社 緩やかな参道を上る |
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南極大陸に初めて日の丸を揚げた白瀬南極探検隊隊長の墓碑がある 由来 ・・ 隊長亡き後、夫人と次女が 吉良に移り住んだ |
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境内を抜けて 次の 東条城跡へ 案内に従い |
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茶畑 ・・ 西尾茶? 丘を ひとつ越え |
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次の 小さな丘を進む | |||||||
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MAP目印の 良興寺前で左折 その先の白木蓮は満開だった |
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続いて、宝光院前を通り抜け | |||||||
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矢貼り 東条城跡→ で 県道318号に出る 横断歩道がないが MAPは 横断注意!左右確認 そのまま直進だがみちがない |
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テキトーに右折し 登城口↑の石柱に従い 進んで 短いが急坂の 登城口から 城址へ |
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小さな山だが 勾配はきつい 三ノ丸広場を通り抜け |
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復元された城(砦)門の中に入っても、中は広場(本丸跡)になっているだけだった 黄金堤にあった 鎧ヶ淵の戦いで 松平方は敗北したが、藤波畷の戦いでは吉良方が敗れ降伏する 東条城は天正18年(1590年)に家康が関東に移った後廃城となった それ故、現在の遺構は天正年間の姿を伝えるものである |
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広場の北に回ると、先ほど通り抜けた県道318号と そこから広い 登り道が見えた もう少し左手に出て、そのまま左手に回り込んで来たらしい |
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城から出てきて、少し歩きだしたが 直ぐ気付き 県道318号に復帰 狭い範囲のコースアウトで 想定内 |
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左 MAP部分拡大 右GPS(歩いたみち) ・・ 宝光院 前から 横断注意の先が、あてにした矢貼りがない 前回は 5年前 あまり悩んだ覚えもない 運よくMAPのみち or 今回ルートを素直に往復? |
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県道から 田んぼの中の 藤波畷古戦場跡へ 案内の石柱に従う |
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次は、富永伴五郎地蔵が左手に交差点で右折の目印 もう 1ブロック先ぐらいと見当を付けていたが 微妙な角度の 次の目印 小牧陣屋→ の矢貼り 直進なら不要な矢貼りで 何気に右折 |
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次は、V字ぎみに左折と思いながら 150m進むと ← 小牧陣屋は戻れ やはり、富永伴五郎地蔵の交差点手前で曲がったようだ それにしても、ここにある 戻れの矢貼りも不思議 藤波畷古戦場跡案内を見逃した人への 救済矢貼り? ここで左折すれば、直進不要矢貼りにぶつかり右折も 納得 余分な 矢貼りに却って惑わされた |
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半分だけ戻って、富永伴五郎地蔵はスルーし 本来のV字ぎみ左折地点へ 案内石柱に 小牧陣屋跡へ まっすぐ |
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カーブのみちを道なりに進んで 記憶にある 横断歩道のないみち しっかり 左右確認して 県道317号 横断まっすぐ進む |
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500mほど 集落の入口に 小牧陣屋跡 ・・ 思っていたよりずっと 狭かった 永禄4年(1561年)秋、家康は自ら出陣して東条城を攻略した。 ここは、その本陣跡である。 東条城落城後この地は本多豊後守広孝の所領となり、 砦跡に邸宅をかまえ地頭役人を置いた ・・・ 明治維新を迎え、小牧陣屋も閉鎖されることになった ここは、攻略された東条城の地元 ・・ 説明文が、素っ気なく感じるのは外野席だけ? |
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小牧陣屋突当たりに、ロングとショートの分岐矢印 初回訪問時に 戸惑った所 MAPでは1ブロック先の 県道41号で分岐に見えるが、直進出来ない まぁ、今では 言いたいことは判る ここで別れて、自然に 夫々のコースに入れる 1130 GPS:9.5q /143分 + 48分 中間点を過ぎた所 後半は 見どころも少なく、平坦な直進路が大半 ・・・ ゴールは1330 頃? |
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地方道に出て、600m東の 友国交差点へ | |||||||
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県道41号・317号と地方道の交わる6叉路 右側41号を渡って V字ターンのカタチで西に300m戻って |
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いっぽん橋 を越えて左折し 矢崎川沿いを南下 前方の山の鼻先を回り込むまでの 1.5q 多分4番目の橋まで 堤防入口には次の ←金蓮寺への矢貼りがあり 間違えようがない スピードコースのつもりだったが、土みちは足元がイマイチで ペースはそれほど上がらなかった |
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どんどん進んで、見えていた山端に近づき 次の橋?と思われる所で 立入禁止 ・・ 人も通れないようだ |
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まわり道の案内 ・・ 堤防下にすぐ迂回路 | |||||||
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集落の中の迂回路を進むと、橋の袂に お馴染の 日本ウォーキング協会認定 ・・・ 金蓮寺 の案内矢印 工事は 3月19日までとなっていたが やや遅れ気味? |
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橋から 200m でお寺らしい建物 | |||||||
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境内に入ると 国宝 金蓮寺弥陀堂こんれんじみだどう 愛知県最古の木造建造物で、全国的にも数少ない平安時代の 阿弥陀堂建築の流れを汲む優美な建物である 昭和29年に完成した解体修理により桧皮葺ひわだぶきに復元され、翌年国宝の指定を受けた 文治2年(1186)に三河守護安達盛長が建築した 三河七御堂のひとつとの伝承をもつが、 平安時代の阿弥陀堂建築では四本あるべき内陣の来迎柱が二本で、中央より後方へ ずれることなどから鎌倉時代中期の建築考えられている 屋根の曲線が なんとも絶妙 通りから 無造作に入れる所に 国宝があるという事にも感心してしまう |
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金蓮寺から 真直ぐ南へ700m MAPに お花畑と出合う径の表示だが まだ お花は無かった |
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コース南東端で右折 西進だが 道路の先にも もう1本道が見えた どっち?と迷う前に 吉良町役場 →の矢貼り発見! こんなに楽なYRWコースは他にない |
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コース南端を西へ約500m 先ほど渡った 矢崎川:饗庭新橋を渡って |
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続いて 名鉄・西尾線 踏切を越える 左手 約1qに吉良吉田駅 そこから、線路は 蒲郡線に変わり 三河湾沿いに東の蒲郡に向かう 右手 約3qが WST最寄り駅の上横須賀駅 ・・ ゴールまで、もう一息 |
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県道42号 WST前の道路に戻って 北上開始 最初に見つけた コンビニで昼食ゲット |
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400m進んだ所で、道路案内の ← 旧糟谷邸・尾崎士郎記念館 に従い左折 | |||||||
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交差点角の目印 海蔵寺 コースではないが、立派なお寺の境内を通り抜ける |
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旧糟谷邸・図書館・尾崎士郎記念館 ガラガラの広い駐車場そばに 正面の大きな建物は 西尾市立吉良図書館 左側に 旧糟屋邸:三河木綿の江戸送りの総問屋として栄えた江戸中期以降の典型的な建物 と 尾崎士郎記念館:士郎ゆかりの品々の展示と書斎が移築されている |
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もちろん スルーして すぐ羽利神社に突き当たって ← 中央幹線遊歩道へ |
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住宅地を抜け 県道312号を600m北西へ 住宅が点在する田んぼみちに 中央幹線らしい遊歩道 |
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廃線跡か河川や 疎水の暗渠あんきょかとググったが ヒットしなかった 先ほどゲットした 昼食を食べながら進む MAP目印の 富田神社脇を通り抜け |
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続いて 吉良中学通過 関係があるのか 歩道に尾崎士郎さんの似顔絵 |
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1qほど進んで スタート直後に渡った踏切が見えてきた 丁寧にも 日本ウォーキング協会 認定コース 愛知吉良の三人衆と文化に出会う径 ウォーキングステーション 御菓子所東角園 → ・・ 最後の矢貼り MAP作成から10年以上 ペンキを塗っているが、古ぼけた感じがしないのは 定期的にメンテナンスしている? ちなみに 12.6月に訪問した ハズ観音妙善寺 コースは海岸や両端に山のある面白いコースだったが 間もなく廃止された その時貰った コースMAPがこのコースと 同仕様で 同時期に開設したようだった もしかしたら、碧海幡豆WAの先輩達が 尽力していたのかも |
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1313 ゴール 店隣の大駐車場は空いていたが、店の前が駐車場には 入れ替わりでお客さん ゴール手続きに加え つい買物 なんだか手ぶらでは帰りづらい 気温は低めだが 風もなく ウォーキング日和だった |
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