'23年12月15日(金) YRW ミズノ東京へ | |||||||
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水のめぐりAコース:日比谷公園〜皇居外堀〜神田川 | |||||||
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1030 JR中央線:御茶ノ水駅到着 調べておいた 西口ロッカーに荷物を入れ 名大通りを550m南下し 駿河台下で左折:東進 予報通り 曇り 寒くはない 気付くと この通りは 楽器屋さんが繋がっていた |
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1048 左折して 100mで MIZUNO TOKYO 到着 OPEN 11:00 しばらくお待ちください JWS:HPに登録されていたMAPには コース開設時間 930〜1800 (1100までは 受付ボックスにて受付) 店舗営業時間 1100〜2000 となっているが 店の前は フェンスが閉まっていて 受付ボックスは見当たらない |
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HPからの印刷は A4で小さいが そのMAPで歩く事に 先ほどの 駿河台下交差点まで戻り 南下再開 通りの銀杏は綺麗に色づいていた |
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首都高速 都心環状線をくぐり抜け 気象庁前まで来ると 皇居を取り巻く林が見えてくる 大手門前に 旗に引率された 団体さん 通りの 手前(こちら側)には |
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@ 和田倉噴水公園 わだくらふんすいこうえん 昭和36(1961)年、天皇陛下(当時皇太子殿下明仁親王)のご成婚を記念して 造られ、さらに皇太子殿下のご成婚を記念に全面的に改修されて 平成7(1995)年に完成したもので、様々な噴水の演出がとても美しい公園です (以下 番号付きは MAP見どころの引用です) |
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公園は 日比谷公園前まで続いている コースを外れ 二十橋濠も見ようと 道路を渡ったが アセアン会議出席のブルネイ国王の退出まで 通行止めと止められた |
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L 皇居内堀通り こうきょうちぼりどおり [立寄り→皇居正門(二重橋)をはじめ、 皇居庭園内(東御苑)を見学することができる(要確認)] 内堀通り沿いには、黒松の点在する大芝生公園の皇居外苑や、 江戸城のたたずまいを残す内濠、城門などの歴史的建造物が調和し、 日本を代表する公園として親しまれています。 内堀通りからは、正面に東京タワーと、 行幸通りにレンガ造りの東京駅を見ることができます <東御苑→入苑無料/公開時間(3/1-4/14,9月:900-1700)(4/15-8月末:900-1600) (10月:900-1630)(11-2月:900-1600)入苑は30分前まで/休園日:毎週月金など要確認 /入口は大手門・平川門北桔橋門の各窓口で入園票を受取り見学することが可能> 眼鏡橋(正門石橋)と その奥の二十橋(正門鉄橋)にも近づけず |
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コースに戻り 二十橋前交差点から 馬場先門に出て右折南下 |
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楠木茶房の先に見えているのが 楠木正成像 GoogleMapsには 有名な侍の騎馬像とある 今読んでいる 朝刊小説が その子 多聞丸のハナシで興味深いがスルー |
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日比谷濠 ・・ 内濠の最南端? 他では見ない 広い濠だった |
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南東角を通り抜け 正面の 日比谷公園へ 汽笛一声Wで何度か来ているが 皇居の隣に やっと気付いた |
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A 日比谷公園噴水広場 ひびやこうえんふんすいひろば 昭和36(1961)年、日本で最初の近代的な西洋式公園で、最大のシンボルである 噴水広場をはじめ、四季を通じて多くの草木や花を楽しめます 噴水の南:第二花壇は 再整備工事中 塀の先に 公会堂が見えて 前は通れるようだが スルー |
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日比谷公園開園130周年となる 2033年(令和15年)を目標に 公園全体の再整備に取り組んでいます この影響で 汽笛一声Wの集合場所も 芝公園に変更されていた |
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内堀通り(凱旋濠)に戻り 法曹会館に続いて その西隣の 警視庁本部前を通り抜ける |
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B 国会前庭 こっかいぜんてい 国会議事堂正門に向かって左側(南)は、霞が関離宮があった池泉回遊式の 和式庭園で、右側(北)は井伊家の屋敷があった洋式庭園になっており、 水準測量の原点となる水準原点と三権分立を表す時計塔があり、 憲政記念館(見所C:けんせいきねんかん)も隣接しています (国会前庭→入場無料/開園時間:900〜1730) この辺りは 観光客もいない |
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国会前庭から内閣府前を通り抜けるのを 間違え裏を通り抜けた コースの 議事堂裏(西)に戻り |
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山王坂を下っていく 予習でなんとなく 神社には上っていくと思っていたが こんなに下るとは意外だった |
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男坂階段に気付かず 通り過ぎそうになった 30m 引き返して 坂みちから 階段へ |
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D 山王日枝神社 さんのうひえじんじゃ [ 立寄り→正面の男坂階段を上がり境内へ、 稲荷神社の鳥居階段を下りると 元道へ合流します ] 山王祭は神田神社と並び天下祭と呼ばれ、 隔年で実施の神奉祭は江戸城内に入り将軍の拝謁を受け、 境内の山王稲荷神社本殿は、万治2(1659)年造営とされ江戸初期の貴重な建物です |
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日枝神社 山王鳥居 隣に 階段があったが 無精してエスカレータに 結構な高さがあり びっくり |
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通りに出て 外堀通りを北上 MAPに「歩道橋を渡る」のコメント 450m先に 見えてきた 歩道橋 |
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手前の上り口閉鎖 奥の上り口も閉鎖で やっと貼紙に気付く 100m手前の交差点に引き返す |
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E 弁慶濠・弁慶橋 べんけいごう・べんけいばし この「弁慶濠」だけが唯一 「濠」の形態を残している場所です。 「弁慶橋」は明治22(1889)年、ここに移され江戸城普請の 大工の棟梁であった弁慶小左衛門が造った橋であることから、 弁慶橋と名付けられたといわれています |
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200m先の 清水谷公園は通りの右側 車のタイミングを見て 横断歩道を渡る 左は ホテルニューオータニガーデンホテル |
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F 清水谷公園 しみずだにこうえん 公園のある一帯は、江戸時代の紀伊家、井伊家の屋敷境にあり、 この境が谷であったこと、紀伊家の屋敷内に霊水(清水)が 湧き出ていたことから清水谷と呼ばれていました。 また正面には明治11(1878)年に暗殺された、 参議兼内務卿の大久保利通の「贈右大臣大久保公哀悼碑」があります 大きな 哀悼碑だったが 掲載は割愛 |
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公園内に 玉川上水の石枡とその説明 石枡が復元されており 上の写真にある木樋を石枡で固定していたと ある |
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通りに戻り 紀尾井坂に突当り左折 西進 正面ビルの奥は 広大な上智大学のキャンパス |
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紀尾井坂を上りきり 紀尾井ホールを回り込んで右折 ソフィア通りへ 通りの奥に 階段があるので上ってみた |
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一段高くなった 遊歩道 予習(航空写真)では 高低差が判らず 通りより低い歩道と思っていた 右側は 上智大のキャンパス GoogleMaps すぐ下に 尾張名古屋藩屋敷跡 石碑と説明文の表示 |
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左下は 一段低くなり 外濠跡の 上智大学真田堀運動場や外濠公園総合グランドに続き JR中央線・総武線に市ヶ谷外濠 遊歩道は 江戸城(皇居)外濠のお土居だった |
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500m進み 国道20号:四谷駅前交差点で 遊歩道は一旦途切れる |
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交差点の先は JR中央線:四ツ谷駅 コースは駅の右側を回り込んでから 左折 中央線・総武線の上を越える 次の 外堀通り交差点で |
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G 皇居外堀 こうきょそとぼり 江戸幕府は城下の治安維持のため、城下町をぐるりと囲む外濠は、 かっては水路で江戸城を取り囲み、また内濠や江戸湾(東京湾)とも つながっていたといわれています。 現在は千代田区と周辺区の境界に外堀通りが通っていて、 外濠公園は桜の名所となっています |
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500mほどの桜並み 奥は テニスコートや野球場など 外濠公園総合グランドになっている |
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市ヶ谷濠を見ながら 350m進み 市ヶ谷橋で濠を渡って左折 濠の上のお土居遊歩道へ 左端の大きなビルは 法政大学 |
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すぐ下に 中央線・総武線 その先が 市ヶ谷濠 江戸城外堀跡の説明には 堀とその部分の石垣や土手の他に城門の石垣の一部があるとなっている |
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見えていた 法政大学 富士見ゲート前を通り抜ける ゲートの上は カフェテリアになっていた |
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次の大通:早稲田通りに近づく 橋:牛込橋の下は 噴水やボート屋さん |
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JR飯田橋駅(西口)前と橋を通り抜け 対岸へ | |||||||
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1330 雨の心配はなさそうで 大通手前の ショッピングモールに入って 少し遅い昼食休憩 |
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1350 コース残り 3q余り 見どころが幾つか残っており ゴールは15時? |
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(牛込橋から280mの) 次の飯田橋を 長い歩道橋を渡り 横断 交差点で左折 神田川沿いのみちへ 正面も 長いJR:中央線・総武線 飯田橋駅(東端)ホーム |
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H 神田川 かんだがわ 江戸時代に江戸の飲料水を確保するために、 「神田上水」を整備、江戸の水道として利用されていました。 80年代には河岸整備によって桜の名所としても有名です また、1973年フォークG.かぐや姫の楽曲「神田川」になっていることでも有名です |
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JR沿い 首都高速5号池袋線をくぐり抜け 三崎橋を渡る 左は 神田川 |
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神田川の先 ビルの間から見えているのは 東京ドーム |
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次の 後楽橋:神田川を渡り 外堀通り沿いに右折 |
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後楽橋から1ブロック:350m東進して 水道橋交差点で左折 右前に見えている 東京都立工芸高校の先で右折 左先には 東京ドームシティ |
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忠弥坂を上る 説明板があり 慶安4年(1651)由井正雪とともに江戸幕府転覆を企て 失敗におわった丸橋忠弥の槍の道場があった場所との説がある |
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今度は 目的地 東京都水道歴史館の 案内表示 直進 正面 突当りになっているが 本郷給水所公苑 |
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入口を探して 右に進み 階段を上がって 苑内へ |
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I 本郷給水所公苑 ほんごうきゅうすいじょこうえん バラ園を中心とした西洋庭園と、 武蔵野の雑木林をイメージした和風庭園の一角に、 江戸時代の神田上水が復元展示され、 隣接する水道歴史館の野外展示場になっています。 水道歴史館では、江戸時代から現代へ、 400年の水道の歴史を楽しく学ぶことができます <バラ園→入苑料無料/4-9月:700-1900/10-3月900-1700> <水道歴史館→入館無料/会館時間:930-1700/入館1630まで/第4月曜休館> |
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神田上水石樋 徳川家康が入府した天正18年(1590)頃の江戸は、広大な武蔵野台地の 東端に位置する小さな村落であったといわれている 神田上水は、家康が江戸入府にさいして、家臣 大久保藤五郎忠行が開削した 小石川上水がその起源といわれている ・・・ 江戸時代から明治時代はじめの水道である この石樋(石垣樋)は、昭和62年から平成元年にかけて発掘された 神田上水幹線水路の一部を移築復元したものである 平成2年10月 東京都水道局 |
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順天堂大学を通り抜け 外堀通りを東進 東京メトロ丸ノ内線:御茶ノ水駅を通り過ぎる 神田川の向かいは JR御茶ノ水駅 |
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聖橋手前で | |||||||
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「階段を登る」 県道403号:昌平坂 を上って 突当りの 湯島聖堂前交差点:国道17号を横断し 先に 神田明神へ |
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交差点から見えていた 神田明神の鳥居をくぐる 60m ほどの門前通りを進む |
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K 神田明神 かんだみょうじん [ 立寄り→聖橋脇の階段を上がり、点線コースへ ] 正式名称は「神田神社」、東京の中心-神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内 ・旧神田市場・築地魚市場-など 108町会の総氏神様です |
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・・ 江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、 幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。 更に明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ 明治天皇も親しくご参拝になられました |
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鮮やかな朱色と金色で彩られた由緒ある神社。 1616 年に現在の場所に移転。 |
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神社から 通り過ぎてきた 湯島聖堂へ |
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J 湯島聖堂 ゆしませいどう [ 立寄り→聖橋脇の階段を上がり、点線コースへ ] 元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって儒学振興を計るために建てられ、 後に「昌平坂学問所」となりました。 明治維新後も「日本の学校教育発祥の地」としての役割を担っています。 年間を通して湯島天満宮(湯島天神)と共に、多くの受験生が合格祈願に訪れます <湯島聖堂→入場無料/公開時間:930-1700/冬季:1600まで> 大成殿だいせいでん の額があるだけで どうやって 合格祈願? |
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脇に 合格祈願絵馬がぶら下がっていた その時期になると 舞台に出てくるらしい 外に出て 聖橋を渡りかけて コースアウトに気付き 敷地に戻って 南端を進む |
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孔子銅像前を通り抜ける 湯島聖堂と孔子 孔子は、2500年ほど前中国の魯の昌平郷に生まれた人で その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた |
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コースに戻り JR総武線をくぐり抜け 昌平橋を渡る |
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神田川を渡り 続けて JR中央線をくぐり抜ける 370m 淡路町で右折西進 |
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県道302号:靖国通りを450mでWST この通りは やたら スポーツ用品店が多かった |
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1503 1階フロアーで出会ったスタッフさんに イヤーラウンドWをしてきたのですが 6階ですと エレベータまで案内してくれた スムーズに手続きは済んだ MAPが直ぐ出るなら 一部お願いします 引き出しの MAPを探してくれたが B4サイズ? しっかりした用紙にカラー印刷だったが 15qは見当たらなかった ・・ コースが多いと揃えておくのも大変だ |
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きっちり コースを歩くには あと2〜3回 要りそう | |||||||
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