'24年4月19日(金) YRW 佐賀を歩く | |||||||||
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YRW:佐賀市内 幸せを呼ぶエビスさん探索コース | |||||||||
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1200 我家から始発電車 佐賀駅前で昼食を済ませ WSTですんなりウォーキング手続き IVVは 微妙だったが 押印してくれた |
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少し、南に下がってから「駅前交番西」交差点 駅前まちかど広場には 明治維新の佐賀七賢人像 |
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駅前通りを走っていた SAGA AIRPORT LIMOUSINE 佐賀の見所が 賑やかに描かれていた |
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県道29号線 ・・ 落ち着いた雰囲気の並木道を700mほど南下 更に、800mほど南下すると 「佐賀城祉」「佐賀県庁」がある |
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さが 恵比寿八十八ヶ所巡り 幟旗の下に 快復恵比寿 1950年頃、ここで営まれていた鮮魚店の商売繁盛を願って建立されました その後、道路工事や自宅改修工事をするうちに、右腕が欠け 気づいた時には 失くなっていたそうです。 ご主人が義手を作って応急処理をしましたが 最後は腕の良い石工さんに手術をしてもらい、無事に快復。 明るい笑顔が戻ってきました 佐賀観光協会 八十八もあると全部は回れそうにない 所々 面白い 恵比寿さんをレポ |
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「中央橋交差点」から、旧道?の「御幸橋」を渡って 運河沿いへ 十間堀川 ・・ 説明板があり、この川沿いで間違いなし 旧藩時代、佐賀城下町の外濠の役割をもつ防衛上重要な川、 川幅は十間(18.2m)あったので この名があるが現在は狭くなっている。 流入する水路が多いので豪雨の際は氾濫しやすい。 ・・・ |
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大きな神社の裏道を通る MAPに「龍造寺 八幡宮」 コースは、脇を通り抜けるようになっているが 折角だから参拝する事に |
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佐賀八幡宮(龍造寺八幡宮)だが 境内片側に 楠神社 も祀られている 寛文三年(1663年)佐賀藩士が 「楠公」 をわが国で最初に祀った ・・ 神社 ( ・・ 楠公は 佐賀とは直接的な関係はない) |
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龍造寺八幡宮を出て 600m西の 田布施一丁目南交差点へ このみちも 長崎街道だが それらしきものはない |
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田布施一丁目南交差点:国道264号で 左折 脇の路地みちを70m南下して 佐賀県護国神社に参拝 道標には 左 ながさき 右 こくら |
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神社の手前に 善左衛門恵比寿と善左衛門橋 善左衛門橋:ぜんじゃあばし 多布施の資産家宇野善左衛門が、老朽化し通行困難になっていた土橋を 明和元年(1764)自費で石橋に架け替えた ・・ 現在橋の右側に古い橋脚部分が残っている |
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例大祭の行われた 「護国神社」境内を通り抜け |
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前の 国道264号に戻って横断 幟旗にある 伊勢神宮へ |
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こちらは 長崎街道 の目印付き 薄れているが 黄土色の塗装と 駕籠や乗馬の旅姿 |
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古そうな鳥居は 「都市景観 重要建築物等 2006 伊勢神社 佐賀市」 九州のお伊勢さん 伊勢神社 ・・ 九州一の伊勢神社とある |
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門の脇に 長崎街道 (佐賀城下西部)の案内 赤破線の真ん中辺りに 現在地 ここ伊勢神社前で直角に曲がる道は、 江戸時代に小倉と長崎を結んだ長崎街道の一部です。 この街道は、藩内の武士や領民はもちろん、他藩の藩士や商人たち、 幕府の役人、長崎オランダ商館員、ゾウやラクダなどの珍獣まで 様々な人と物が行き交いました。 街道筋は、佐賀城や武家地よりも外側に位置する町人地の中を 通過していました。 ・・・ |
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天徳寺から更に430m西へ | |||||||||
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左折 中原内科の前で 道路塗装(長崎街道)に従い 右折 |
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長瀬町ながせまち 長瀬町は佐賀城下の西端にあたる町人地でした 町名は、北郊の長瀬村にいた刀鍛冶の橋本家(忠吉ただよし)をはじめとする 鍛冶職人が移住したことに由来すると伝えられています。 ・・・ 1850年(嘉永3年)から当町の北側(現在の日新小学校敷地内)に建造された 築地反射炉は、日本で初めての鉄製大砲が鋳造された場所です。 |
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昭栄中入口で 国道207号線(西いちょう通り)を通り抜け 長崎街道から分かれ、東に戻る |
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前後を赤の鉄枠で守られた 石の鳥居をくぐる ・・ ここから 旧参道 | |||||||||
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真直ぐな 住宅地のみちを東へ 1台分の幅しかないが 時おり車が通る |
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こちらの鳥居も 前後を鉄枠で守られている 石造りだが 隙間もあり 通り抜けるのが不安 |
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脇に燈籠があり 前方(250m)の赤い建物が 与賀神社よかじんじゃ |
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説明に この東西に通る道は、佐賀城下で最も長い直線道路で与賀八丁馬場と呼ばれた 与賀神社の参道です。城下屈指の古社である与賀神社から武家地や町人地を貫く 八丁(約900m)の長さです。 ・・・ |
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鳥居の脇に 国重要文化財 与賀神社楼門 三の鳥居及び石橋 重文の鳥居には 保護枠は無かった |
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「與賀(よが)神社」 大楠と重要文化財のある千四百年の古社 西暦564年勅願造立 鎌倉・室町時代は予賀御庄鎮守宮 現在の御社殿は江戸中期、鍋島六代藩主の造立です。 |
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リスタート マンホール蓋は 佐賀県ゆかりの ムツゴロウ |
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1316 與賀神社の南に回り込んで 堀端西通りを南に ・・ この辺りがコース中間点 お掘りの中に 佐賀県庁・県新行政棟・県議会議事堂 など 佐賀駅に近い 北側に集中している |
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堀端西通りを300m南下し 西の御門橋を通り過ぎる 橋の銅像は 島義勇 北海道札幌の礎を築いた功労者 佐賀の乱の首謀者の一人でもあり、佐賀を代表する偉人の一人 |
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西堀を更に 200m進んで 南堀に回り込む | |||||||||
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小さな橋で掘りを渡り 城内の彫刻の森へ 古賀忠雄:彫刻の森 頬杖をつく |
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古賀忠雄彫刻の森の奥は 佐賀県立美術館・佐賀県立博物館 |
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佐賀城本丸歴史館 西門を通って 本丸へ 正面左の石垣が 天守台址の石垣 |
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右は 佐賀県立佐賀城本丸歴史館 1838年に再建された佐賀城本丸御殿の一部を復元した歴史館 |
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佐賀城 鯱の門と続櫓 | |||||||||
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鯱の門の外に 公家姿の鍋島直正公 幕末の難局を高い見識と先見性をもって指導 ・・ 大名としては最高位の大納言まで昇進 後は NHK佐賀放送会館 |
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佐賀城址を出て 城内通りを東へ 龍谷高・龍谷中前を通り抜ける |
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県道30号線に突当り左折 100mほど 北上 ヘアーサロン たんぽぽ さんの親切な看板 コースはこの後 「大隈重信侯 記念館」へ |
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字が小さくわかり辛いが 前方門に 大隈重信記念館 20m手前を右 MAP目印の西村金物店は 右手後角を 振返り発見 |
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大隈重信旧宅と 大隈記念館 併設 佐賀で生まれ育った幕末の雄 明治政府で総理大臣にして 早稲田大学創設 |
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榎橋で 用水路の東側へ渡り 左折して、住宅街のみちを北上 | |||||||||
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暫く見かけなかったエビスさんが沢山あった 夫婦の恵比須さんと言われている「仲良し恵比須」 |
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畳屋さんの前にある「たたみ恵比須」 畳屋さんをお守りする恵比須さんらしく、畳の上に鎮座されています。 |
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畳屋さんの角を曲がると 歴史建造物が並ぶ長崎街道 に入る レンガ造りの建物は 佐賀市重要文化財 旧古河銀行 |
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県道30号線を横断して 呉服元町の商店街へ 長崎街道 の看板をくぐり抜けて、商店街を右左折しながら北上 |
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開運さが 恵比寿ステーション 佐賀の恵比須 その数”日本一 !!” |
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MAP目印の エスプラッツ:S-platzを回り込んで | |||||||||
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アーケード街へ アーケードには 熱気球が描かれていた |
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MAPの目印 白山えびす足湯 は 見つけられなかったが 辛麺屋さん隣りの 路地みちを北上 |
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スタート後 駅前通りから右折した 中央橋:十間堀は100m左(西) |
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360m北進 城雲院門前で左折 |
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県道29号:中央大通に戻って北上 朝通り過ぎた 駅前まちかど広場を通り抜け 鍋島直正・古河穀堂・鍋島茂義像に 左奥は 大隈重信・副島種臣像 右端は 江藤新平・大橋喬任像 |
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1431 WST前でゴール 買物もなく IVVは貰っているので 挨拶せず 前の佐賀駅に向かった |
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