'24年4月19日(金) YRW 佐賀を歩く
 
                                   4.18 記
 20日(土)〜の 久留米2DMへの前日
  7年振り2回目の佐賀駅前コイケスポーツさんのYRWへ

 10qコースだけで
  佐賀市内 幸せを呼ぶエビスさん探索コース (長崎街道〜佐賀城址)

 WST:基地
 コイケスポーツ
 пF0952-23-2588
 〒840-0801
 佐賀市駅前中央1-69
 JR佐賀駅徒歩2分
 受付:1000〜1600
 コース:10q
 定休日:第1火曜

 週末天気が崩れそうだが
  金曜は まだ大丈夫

 気温が上がるが
  地図を見ながら、ゆるゆる歩くので
  熱中症の心配もないだろう
 YRW:佐賀市内 幸せを呼ぶエビスさん探索コース
 1200 我家から始発電車
  佐賀駅前で昼食を済ませ WSTですんなりウォーキング手続き
  IVVは 微妙だったが 押印してくれた
 少し、南に下がってから「駅前交番西」交差点
  駅前まちかど広場には 明治維新の佐賀七賢人像
 駅前通りを走っていた SAGA AIRPORT LIMOUSINE
  佐賀の見所が 賑やかに描かれていた
 県道29号線 ・・ 落ち着いた雰囲気の並木道を700mほど南下
  更に、800mほど南下すると 「佐賀城祉」「佐賀県庁」がある
 さが 恵比寿八十八ヶ所巡り
  幟旗の下に 快復恵比寿

 1950年頃、ここで営まれていた鮮魚店の商売繁盛を願って建立されました
  その後、道路工事や自宅改修工事をするうちに、右腕が欠け
  気づいた時には 失くなっていたそうです。
  ご主人が義手を作って応急処理をしましたが
  最後は腕の良い石工さんに手術をしてもらい、無事に快復。
  明るい笑顔が戻ってきました
             佐賀観光協会

 八十八もあると全部は回れそうにない
  所々 面白い 恵比寿さんをレポ
 「中央橋交差点」から、旧道?の「御幸橋」を渡って 運河沿いへ
  
 十間堀川 ・・ 説明板があり、この川沿いで間違いなし
  旧藩時代、佐賀城下町の外濠の役割をもつ防衛上重要な川、
  川幅は十間(18.2m)あったので この名があるが現在は狭くなっている。
  流入する水路が多いので豪雨の際は氾濫しやすい。 ・・・
 大きな神社の裏道を通る MAPに「龍造寺 八幡宮」
  コースは、脇を通り抜けるようになっているが 折角だから参拝する事に
 佐賀八幡宮(龍造寺八幡宮)だが

 境内片側に 楠神社 も祀られている
  寛文三年(1663年)佐賀藩士が 「楠公」 をわが国で最初に祀った ・・ 神社
  ( ・・ 楠公は 佐賀とは直接的な関係はない)
 龍造寺八幡宮を出て 600m西の 田布施一丁目南交差点へ
  このみちも 長崎街道だが それらしきものはない
 田布施一丁目南交差点:国道264号で 左折
  脇の路地みちを70m南下して
  佐賀県護国神社に参拝

 道標には
  左 ながさき
  右 こくら
 神社の手前に 善左衛門恵比寿と善左衛門橋

 善左衛門橋:ぜんじゃあばし
  多布施の資産家宇野善左衛門が、老朽化し通行困難になっていた土橋を
  明和元年(1764)自費で石橋に架け替えた
  ・・ 現在橋の右側に古い橋脚部分が残っている
 例大祭の行われた
  「護国神社」境内を通り抜け
 前の 国道264号に戻って横断
  幟旗にある 伊勢神宮へ
 こちらは 長崎街道 の目印付き
  薄れているが 黄土色の塗装と 駕籠や乗馬の旅姿
 古そうな鳥居は 「都市景観 重要建築物等 2006 伊勢神社 佐賀市」
  九州のお伊勢さん 伊勢神社 ・・ 九州一の伊勢神社とある
 門の脇に 長崎街道 (佐賀城下西部)の案内
  赤破線の真ん中辺りに 現在地

 ここ伊勢神社前で直角に曲がる道は、
  江戸時代に小倉と長崎を結んだ長崎街道の一部です。
 この街道は、藩内の武士や領民はもちろん、他藩の藩士や商人たち、
  幕府の役人、長崎オランダ商館員、ゾウやラクダなどの珍獣まで
  様々な人と物が行き交いました。
 街道筋は、佐賀城や武家地よりも外側に位置する町人地の中を
  通過していました。
   ・・・
 天徳寺から更に430m西へ
 左折 中原内科の前で
  道路塗装(長崎街道)に従い 右折
 長瀬町ながせまち
 長瀬町は佐賀城下の西端にあたる町人地でした
  町名は、北郊の長瀬村にいた刀鍛冶の橋本家(忠吉ただよし)をはじめとする
  鍛冶職人が移住したことに由来すると伝えられています。
  ・・・
 1850年(嘉永3年)から当町の北側(現在の日新小学校敷地内)に建造された
  築地反射炉は、日本で初めての鉄製大砲が鋳造された場所です。
 昭栄中入口で 国道207号線(西いちょう通り)を通り抜け
  長崎街道から分かれ、東に戻る
 前後を赤の鉄枠で守られた 石の鳥居をくぐる ・・ ここから 旧参道
 真直ぐな 住宅地のみちを東へ
  1台分の幅しかないが 時おり車が通る
 こちらの鳥居も 前後を鉄枠で守られている
  石造りだが 隙間もあり 通り抜けるのが不安
 脇に燈籠があり
  前方(250m)の赤い建物が 与賀神社よかじんじゃ
 説明に
  この東西に通る道は、佐賀城下で最も長い直線道路で与賀八丁馬場と呼ばれた
  与賀神社の参道です。城下屈指の古社である与賀神社から武家地や町人地を貫く
  八丁(約900m)の長さです。
   ・・・
 鳥居の脇に
  国重要文化財 与賀神社楼門 三の鳥居及び石橋

 重文の鳥居には 保護枠は無かった
 「與賀(よが)神社」 大楠と重要文化財のある千四百年の古社
  西暦564年勅願造立 鎌倉・室町時代は予賀御庄鎮守宮
  現在の御社殿は江戸中期、鍋島六代藩主の造立です。
 リスタート
  マンホール蓋は 佐賀県ゆかりの ムツゴロウ
 1316 與賀神社の南に回り込んで
  堀端西通りを南に ・・ この辺りがコース中間点
  お掘りの中に 佐賀県庁・県新行政棟・県議会議事堂 など
  佐賀駅に近い 北側に集中している
 堀端西通りを300m南下し
  西の御門橋を通り過ぎる

 橋の銅像は 島義勇
  北海道札幌の礎を築いた功労者
  佐賀の乱の首謀者の一人でもあり、佐賀を代表する偉人の一人
 西堀を更に 200m進んで 南堀に回り込む
 小さな橋で掘りを渡り 城内の彫刻の森へ

 古賀忠雄:彫刻の森 頬杖をつく
 古賀忠雄彫刻の森の奥は
  佐賀県立美術館・佐賀県立博物館
 佐賀城本丸歴史館 西門を通って 本丸へ
  正面左の石垣が 天守台址の石垣
 右は 佐賀県立佐賀城本丸歴史館
  1838年に再建された佐賀城本丸御殿の一部を復元した歴史館
 佐賀城 鯱の門と続櫓
 鯱の門の外に 公家姿の鍋島直正公
  幕末の難局を高い見識と先見性をもって指導
  ・・ 大名としては最高位の大納言まで昇進

 後は NHK佐賀放送会館

 この日のGPS
 距離:10.15q
  認証IVV:10q


 最大標高差:15m
  累積獲得標高:30m

 真っ平らな
  住宅地歩きが多かった
 佐賀城址を出て 城内通りを東へ
  龍谷高・龍谷中前を通り抜ける  
 県道30号線に突当り左折 100mほど 北上
  ヘアーサロン たんぽぽ さんの親切な看板
  コースはこの後 「大隈重信侯 記念館」へ
 字が小さくわかり辛いが
  前方門に 大隈重信記念館 20m手前を右

 MAP目印の西村金物店は 右手後角を 振返り発見
 大隈重信旧宅と 大隈記念館 併設
  佐賀で生まれ育った幕末の雄
  明治政府で総理大臣にして 早稲田大学創設
 榎橋で 用水路の東側へ渡り 左折して、住宅街のみちを北上
 暫く見かけなかったエビスさんが沢山あった
  夫婦の恵比須さんと言われている「仲良し恵比須」
 畳屋さんの前にある「たたみ恵比須」
  畳屋さんをお守りする恵比須さんらしく、畳の上に鎮座されています。
 畳屋さんの角を曲がると
  歴史建造物が並ぶ長崎街道 に入る

 レンガ造りの建物は 佐賀市重要文化財 旧古河銀行
 県道30号線を横断して 呉服元町の商店街へ
  長崎街道 の看板をくぐり抜けて、商店街を右左折しながら北上
 開運さが 恵比寿ステーション
  佐賀の恵比須 その数”日本一 !!”
 MAP目印の エスプラッツ:S-platzを回り込んで
 アーケード街へ
  アーケードには 熱気球が描かれていた
 MAPの目印 白山えびす足湯 は 見つけられなかったが
  辛麺屋さん隣りの 路地みちを北上
 スタート後 駅前通りから右折した
  中央橋:十間堀は100m左(西)
 360m北進
  城雲院門前で左折
 県道29号:中央大通に戻って北上

 朝通り過ぎた 駅前まちかど広場を通り抜け
  鍋島直正・古河穀堂・鍋島茂義像に
  左奥は 大隈重信・副島種臣像
  右端は 江藤新平・大橋喬任像
 1431 WST前でゴール
  買物もなく IVVは貰っているので 挨拶せず 前の佐賀駅に向かった
 この日のペース
  2回目の歩きだったが
  殆ど 迷わず歩けた

 街中歩き
  まぁまぁ ペースだった

 幕末期
  藩政改革が進んでおり
  開明的だった 雄藩 の肥前を
  少し勉強出来た
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