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'16年 2月26日(金) イヤーラウンド 伊賀上野:だんじり会館を歩く
   第1ステージで京都府加茂のイヤーラウンドを歩いた後
   我家への通り道にある WST(ウォーキングステーション):だんじり会館に寄った

 受付時間は「9:00〜17:00」となっている
  下図はJVAのHPで調べておいたMAPでコース下調べ
  設定は [500選:三重-05] 10q 〜伊賀上野 芭蕉の散歩道〜 の1コースだけ

 ・・ このコースだけを歩きに来るには、中途半端な距離で 今回ついでに回っておきたかった
 
 
 伊賀上野城を抜けて、郊外を一回りし市街地を回って戻るコース ・・ 平坦地の10q
 14:30 だんじり会館(伊賀上野観光協会)到着

  会館の駐車場は平日午後で空いていた
    1日1回:500円 営業は17:00まで 「17:00以降も車は出せます」

  会館に入って 「ウォーキングをしたいのですが ・・」
    対応のスタッフさんは「ウォーキング」を知っていたが
    受付票や、MAPの置き場が判らない ・・
  結局 担当?スタッフさん 「参加料200円と (WA無所属さんは)保険料30円です」
    (久しぶりに、保険料別枠のWSTだった ・・ こちらが本来の制度?)

  「今からだとゴールは、(閉館の)17:00を過ぎるかもしれないので
     IVV手続きを先に出来ませんか?」  ・・ 「いいですヨ」 すんなり、スタンプを貰う
 
 受取ったMAPはA3で3枚
   内2枚は白黒で JVAのHPで見たもの (と、伊賀上野城周辺拡大図)
     白黒の地図にコースラインが入っただけという、シンプルなもの
       (WSTの表記も・目印の表示もない)

   もう1枚が 上記のカラー版  ・・ この書式は「阿下喜温泉」で貰ったMAPと同じ
   三重県は県HPの「三重県健康福祉部健康づくり課」で 歩く事を奨励し
     「通年ウォーキングコース(YRW) in 三重」 WSTやコースの紹介をしている
     (久しぶりにHP 見ようとしたら、目次から探せなかった)

   このカラー版は県が作成(?)
     見所もカラー写真入りで、見やすい
     が、 MAP部分が小さすぎて、「歩きながら見るのは難しい」
  露地道まで入って判りやすいのだが ・・
    A3白黒MAPをメインに ポイントはこちらを見ながら歩く事に (・・ややこしい)
 2:40 スタートして まずは、伊賀上野城内の「俳聖殿」へ
   MAPを見ながらの10q ・・ 「2時間半」と見ているが、17時までに戻れるだろうか?

 交差点の蛇谷堀(蛇池)まで下がってから、城内へ
  「伊賀流 忍者博物館」サブタイトルに、「忍者屋敷・忍術体験館・忍者伝承館」

   平日の午後だが、外国の団体客さんがいた
 「俳聖殿」
   昭和17年(1942)、芭蕉翁生誕300年を記念して建設された聖堂。
   芭蕉翁の旅姿をあらわしており、丸い屋根は旅笠、下の八角形は袈裟、
   柱は杖を、「俳聖殿」の木額は顔を表現しています。
    堂内には、芭蕉翁の等身大伊賀焼の座像が安置されています。
 俳聖殿のある広場を出て
   「天守閣へは入らず、お堀の外側に沿って歩き、お城の外へ出る。」

 「上野城・上野城高石垣」
   戦国武将・藤堂高虎がこの地に上野城とその城下町を創りあげました。
     現在の天守閣は、昭和10年(1935)に復元されたものです。
   高さ約30mもの石垣は、打ち込みハギという技法で作られ、当時最高水準と言われた
   大阪城の石垣よりも優れていたといわれています。
 マンホールは 「ニン・ニン」 ・・・(「うえのし」の文字  ・・ 現在は伊賀市上野)

 「ひかり保育園」の隣に、三重県で最も古い小学校校舎「旧織田小学校本館」が
    あったが、露地の奥 ・・ 入らず通り過ぎた
 目の前に「小田高架線」 ・・ お城のある一帯は一段高い丘陵だった

  「大通りへ出ず手前を右へ入り高架をくぐる」と カラー版MAPには、コメント
 又 通り過ぎて、大通りの脇の階段を下りて 高架下へ
   階段を使う前に こちらの高架下のみちを通ってくるのが 本来のコース
 何のコメントも無いが 「浄土宗 森田山 開化寺」
   見えているのは、日本一小さい「三重塔」らしい
 近鉄・伊賀線のガード下をくぐる
   歴史を感じさせる、レンガ造りのトンネル
    ・・ 点検した後らしく、様々な数字が書き込まれていた
 「史跡 鍵屋ノ辻」 ・・ 日本三大仇討のひとつ伊賀越仇討が行われた場所
    隣接する「伊賀越資料館」には、36人斬りの武勇伝で有名な荒木又右衛門の自筆の
    起請文など、仇討ち当時の遺品などが展示されています。

 変則五叉路だったため ?? どっち?
   「右:奈良 大阪 左:月瀬みち」の道標に従い、「奈良大阪」のみちへ
 MAPにある 「いがの久みひも」 を見つけて 「コースOK!」
   広い通り(市道小田西明寺線)に 曲がって国道163号線へ向かう
 国道163号線に入ると、すぐに 「新長田橋」 ・・ この日、加茂との往復で通った道
  橋に掛かる頃には、黒い雲と雨が! ・・ まばらだが、大粒の雨

 木津川の幅が、やけに広かった
  木津川:西に向かって流れ 木津市・加茂 を経て 宇治川・桂川と合流して「淀川」になる
 雨はノーマークだった
   傘を差そうにも、風も強い ・・ 一瞬、Uターンも考えたが 西の空は明るく
   通り雨と信じて進む
  手すりの斑点が雨粒の跡
 橋から 堤防へ入る ・・ 川原が広い

  幸い 通り雨だったらしく 10分あまりで止んだ
 こちらからだと、お城が丘陵の上にあるのがよく分かる
   木津川堤防から見ているが、川原が全く見えない
 次の橋「長田橋」の手前で、堤防を下りて ・・ ここは、来すぎ

   MAP上の距離と、実距離の感覚がまだ合っていない (加茂で見ていたMAPと 尺度が違う)
 堤防から下ってきて 道標 「射手八幡宮道  左 ならみち」

   「ならみち」を進む ・・ Yahoo!地図を見ると 「旧大和街道」と書かれている
     ・・ この道の幅と曲がり方 ・・ 「旧街道らしく見えてくる」  (・・・ そんなワケはないか)
 田圃の向こう側に見えて来た建物が「長田小学校」らしい
   その手前に 次のみどころ 「ふるさと芭蕉の森」に入るみちがあるはずだ
 「長田地区市民センター」の角を曲って
   「長田小学校」の角に、旅笠付きの案内看板がありました
 「ふるさと芭蕉の森」に到着
    ・・ ここは、駐車場(右案内板の赤○) 

 「芭蕉の森」は、この奥の様だ
   「遊具広場」「俳句の庭」「展望広場:展望台」 ・・ 「観察の園」「俳句の森」

 久しぶりの「コースの見所紹介」
   平成2年に整備された公園で、上野城を望むことができ、芭蕉句碑が10基あります。
   自然の散策と俳諧の世界も同時に楽しめ、桜や紫陽花など四季折々の花を観賞できます。
 「森」に向かうには この激坂を登らねばならない
   案内板の傍に「杖を、ご自由にお使い下さい」とあるのは、
   「芭蕉翁の気分を味わう」だけではなさそう

 「どこまでが、コース?」 とも思ったが
   多分 「次はない」ので、「展望台」まで 登ることに
  雲とへだつ
   友かや雁の
    生きわかれ
        芭蕉

 寛文12年(1672)春の作。季語は「帰雁(きがん)」
  かねてより俳諧師になろうと志を立てていた芭蕉は29歳の正月に
  同僚城孫太夫の門前に留別としてはりつけたのがこの句との伝説がある
 「展望台」から 「伊賀上野城」 ・・ 丘の上にあるのがよく分かる
    真ん中の向かいあった水門の間が「木津川」
  「ふるさと芭蕉の森」から、小学校の前のみちに戻って 700m ほど

  「西蓮寺」
    松尾芭蕉の門人で、蓑虫庵主となり生涯を芭蕉俳諧普及に尽力した服部土芳や
    伊賀城代家老をつとめ、「三国地志」の編纂を行った藤堂元甫の墓所(市指定)など
    多くの文化財があります。
 「西連寺」を通り過ぎて200mほど、「小さい祠」の前で左折(東進)して市街地に戻る

  コース最南西 ・・ ほぼ中間点 16:15
 堤防に向かって進む  左に、伊賀上野城
 堤防の両側にある看板
   右側は「木津川」だが 左の看板は「ながたゆうすいち」

 国土交通省 木津川上流河川事務所HPには
  上野盆地は木津川、服部川、柘植川の3川が合流した直下流に岩倉峡という狭窄部があることから、
   洪水による浸水被害を常習的に受けていました。
 上野遊水地は、大洪水時に洪水の一部を4つの遊水地(長田、木興、小田、新居)で一時的に貯留させ、
   流量調節機能の確保と伊賀市周辺の治水対策を目的にしています。
   平成27年6月15日より運用を開始しました。

 看板のこちら側の田圃が「ゆうすいち」だった
   堤防を越えて 長い「木興橋」を渡る
 橋を渡り終わって、田圃道を500mほど進んだ所にも
   看板があり 前に回ると 「木興遊水地」   (看板の向こう側が、歩いて来た田圃道)
 住宅街に入り、案内看板に従って歩くと

 蓑虫庵(みのむしあん)(さちゅうあん)
  伊賀の芭蕉翁五庵のうち現存する唯一の草庵。
   土芳が致仕後、元禄元年(1688)城下町のはずれに結んだ草庵で、些中(さちゅう)庵と名付けた。
  入庵後まもなく来訪した芭蕉より、

  「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」の自画賛を贈られ、
    蓑虫が些中に同音相通じることから蓑虫庵とも呼ばれた。
    清々しさと静寂に包まれた庵内は句を詠むのにぴったりです。
 「庵」 ・・ もう少し小さな家をイメージしていた

   向かいの民家の廊下に、さりげなく 「芭蕉像」が 飾ってあった
 200mほど進んで 広い通りにでると、お城が近くなり こんな、置物も

 そばには 旅笠を付けた 「みのむしの ねを聞きにこよ くさの庵」 蓑虫庵の案内も
 MAPは少し見づらいが、左の細い方のみちを進んで

 この通りも、渡って 左の細い方のみちを進む
 近鉄茅町(かやまち)駅 100m

  旧道? ・・ それとも、単なる近道だった?

 茅町駅前で左折(北進)へ  ・・ ここが、コースの南東端
 「寺町通」
   城下町を守るために、7つの寺院を集めたのが寺町のはじまり。
   白壁の続く通りに閑静な雰囲気が漂います。

   電柱・電線のない スッキリとした通りが 白壁を際立たせる
 寺町通を右折すると、近鉄・伊賀線
   ちょうど、電車が通過する所だった  ・・ 踏切の隣に「広小路駅」
 こちらも、雰囲気のある商店街
   平日の夕暮れ時で、観光客はいなかった  ・・ 17:00
 「伊賀くみひも」のお店も   ・・ 店先に、「伊賀街道」行灯
   曇り空のためか、早くも街灯に明りが点いた
 芭蕉の遺髪を祀った「史跡 芭蕉翁故郷塚」がある 「愛染院」
 「愛染院」から 国道25号線に出るとすぐ 「芭蕉翁生家」
   天保元年(1644)に伊賀市で生まれた芭蕉は、29歳までここで過ごし、
   裏の釣月軒で処女句集「貝おほい」を執筆しました。

  「跡」ではなく、「生家」 ・・ 現在まで、残っていることに感心する
 敷地の広い家 ・・ 歩道脇を広げて、句碑があった

 古里や臍のおに泣としのくれ
   貞享四年(1687)芭蕉44歳の作。
   「笈の小文」の旅で故郷伊賀上野に帰郷した折の歳暮吟。
 「芭蕉翁生家」から 国道25号線を離れて、住宅街(旧道?)を通って WSTへ
    ・・ どうやら、通り一本間違えたようだが、まあいいか

 17:17 ゴール   (予想通り 17時には間にあわなかった)
    だんじり会館(観光協会)は、店じまい中で 駐車場はスタッフさん?の車だけだった
 

 小さく2ヶ所ほどで脱線 ・・ 想定内?
  10q/2時間37分
  GPSは11.1qとなっていた

 「芭蕉の散歩道」だが
   芭蕉翁のゆかりの地めぐり  
  城下町の雰囲気を残した
   寺社通りは雰囲気があった
   (武家屋敷は残っていないのだろうか?)

 コースそのものは、
   大部分が郊外の、フラットコース
 「500選:三重-05」 芭蕉翁・城下町・忍者屋敷などあるが
   ウォーキングは、一般的な田園歩き   ・・ 10q歩きでの次回は ・・ なさそう
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