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'17年11月11-12(土日) 第13回 龍馬ゆかりの道 2DWin高知へ | ||||||||||
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1日目:11月11日(土) 龍馬太平洋コース 33q | ||||||||||
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我家発 145 ・・ 伊勢湾岸自動車道が 「集中工事で2車線規制=1車線通行 渋滞:55分」の表示だったが 渋滞無く通過 山陽自動車道:加古川北IC 500通過 ・・ ここで下りれば、加古川2Dに間に合うのだが 倉敷JCTから、「瀬戸大橋」で 四国に渡る 「川之江東JCT」から 高知自動車道へ入って トンネルの続く四国山地に入って大雨 予報では 未明の雨だったが ・・ 最後のトンネルを通過すると 青空が見えた |
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会場のJR高知駅から 徒歩5分に駐車 500円/12時間 会場までの コンビニで 「イートイン」 朝食と 昼食の仕入れ コンビニ前には アンパンマン ファミリーの像 (名前を聞いたが ・・ 即、忘れた) |
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受付の始まった 820 会場到着 知り合いは 2〜3人 かもと思ったが、意外に知っている人がいた 皆さん 「オールジャパン集め」? ・・ 単なる 『地方症』 ? この日は 「こうち 介護の日」 のイベントがこの後開催され 会場は賑やかだった |
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シンプルな出発式 挨拶・コース説明・ストレッチ 檄のあと 911 150名ほど?で スタート 参加者名簿:124名 +α:当日参加が何人か ・・ 青森から20名ほどが団体参加 まずは、「国分川」 目指して 東へ |
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コースの矢貼りにある「家紋」は 「龍馬ゆかりの道」で当然「坂本家の家紋」 ただ、矢印が小さく 見にくい所に貼られていたのも何か所かあった |
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スタート直後から 約2q 国分川支流の 「江ノ口川」 沿いを東へ進む | ||||||||||
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地元ウォーカーさんが教えてくれた 「地球33番地」標示塔 この塔は 東経133度33分33秒 北緯 33度33分33秒 を示すものです(実際の地点はこの塔より北へ30m寄った川の中) このユニークな番地を覚えておきましょう 昭和37年5月15日建設 高知ロータリークラブ 地球33番地公式サイトでは 「近年(2002.4.1)基準が、日本測地系から世界測地系というモノサシに変わりました。 これにより、新しい基準で測ると400mほど東南に離れた場所とされています。 しかし、 私たちは当初からの川の中のポイントを愛し、いまでも『地球33番地』と呼んでいます。」 いづれにしても 経緯度の数字が並ぶ地点は海の中や砂漠などに位置することが多く、 川の中とは言え都市部にあることは世界的にも極めて珍しい事です。 |
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「国分川」 堤防に出て南下 海が近く 川幅が広い |
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歩道橋で 「国道195号:土佐中街道」(写真の左側で 写っていない)と 「とさでん交通後免線」・「国道32号:南国BP」 を一度に横断し 橋の右側歩道で川を渡る 鉄橋の奥に「とさでん葛島橋東詰」駅に停車中の路面電車が見える 正面の 小高い山がこれから向かう 「五台山」 |
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「国分川」を渡って 見えていた「五台山」 右(西)側に回り込む | ||||||||||
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川の西側には 歩いてきた 高知市街のビルが見える | ||||||||||
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「四国三十一番霊場 五台山竹林寺 参道」 車も通るみちを上りだす (車は一方通行だった) |
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上りはじめの道路脇は、お墓が点在 展望台用の駐車場 観光バスも止まれる広い駐車場 ジグザグと進んで |
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頂上の展望台はビルの屋上 「龍馬ゆかりの道」幟旗と 階段左の柱に(日陰で見えにくいが)「矢貼り」 階段を昇って |
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1023 「五台山展望台」 第1C・P 給水&みかん・飴 ・・ MAPには7q地点 GPS:6.6q /72分 + 6分 ・・ 名前を確認しながら、チェック印 |
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更に階段を昇って 展望台 右手の川が歩いてきた「国分川」 正面は 2日目に歩く「鏡川」 ・・ この 先の方が 高知市の市街地 この後歩く 「浦戸湾」は左側 展望台の手すりには 鍵が一杯 取り付けられていた |
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リスタートして 長い 「竹林寺」 塀沿の階段を下って | ||||||||||
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竹林寺:切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。 四国八十八箇所霊場のうち 文殊菩薩を本尊とするのは本寺だけである。 白装束のお遍路さんが 参拝 「よさこい節」の歌で有名な坊さん(純信)はこの竹林寺の僧 |
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竹林寺を出ると、大きな 「牧野植物園」前を通過 | ||||||||||
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アップダウンのみちは ここだけ?と 思って頑張る ここまでは 全コース同行だが、だんだん分岐して 最後は33qコースだけになり 多分 終盤は 「先行者さんは 誰も見えない コース貸し切り」が ほぼ確実 |
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下りも バスも通る車道 ・・ 極端な勾配はないが、長い ・・ (下り坂の長いのは許せる) | ||||||||||
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山を下って 「下田川」の対岸に渡り 南下 湾を渡る「浦戸大橋」まで 約3q |
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高知の市街地から遠く離れて この辺りは工場群 残念ながら ・・ 防波堤が頭上にあり 眺めのいい海岸線が見えない |
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南下してきて、この辺りの 防波堤は低くなっている 海に近づいて、堤防が低くなるのは? だが、眺めはいい |
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金属関係と木材関係の工場が多かった | ||||||||||
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「浦戸大橋」で 浦戸湾を渡る 船を通すため 思いのほか高い 歩道が狭く 大きな車両が通ると怖い |
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高知県道14号 浦戸大橋(うらどおおはし)は、浦戸湾にかかる延長1480 m・高さ50mの橋である。 歩道も併設されている。1972年(完成)土木学会田中賞受賞 浦戸湾は高知市街地のほぼ中央にまで大きく入り込んでおり、種崎・長浜両地区への 移動手段は県営渡船を利用するか、高知市内を大きく迂回するかのどちらかであったが、 浦戸大橋の開通に伴い両地区間の移動が容易となり、特に大型車両にとっては、 高知市内までの大きな迂回を要することがなくなった。 建設当時は、スパンが200mを超えるコンクリート橋はなく画期的なものであった。 また、橋梁区間の道路幅員は大型車同士の離合もできるよう設計された。 しかし、自動車での利用を前提としたため、歩道部は極めて狭小であるため 歩道部における自転車同士の離合は困難である。 橋からの投身自殺が相次いだことから、橋の欄干に高さ約3mある 背の高い返し付きのフェンスが設置されている 突堤の先は 「太平洋」 |
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浦戸湾内側には 港 地元ウォーカーさんの話では 「歩道が狭くて怖い」との話から、渡船で渡るようにしたこともあったが 1時間に1本の為、翌年から 橋を渡るコースに戻ったらしい |
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「浦戸大橋」を渡って 「桂浜」の「坂本龍馬像」へ ●現在地〜遊歩道を通って「坂本龍馬記念館」〜「坂本龍馬像」へ その先は、「坂本龍馬記念館」下の車道を通り抜けて〜 「桂浜花海道」へ |
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桂浜の遊歩道 ・・ 想定外の 上り階段 ・・ 丘の上だった | ||||||||||
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「龍馬像」の後で進む 「桂浜花海道」へのみち | ||||||||||
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浦戸城跡 ・・ 整備中なのか、塀に囲われていた 浦戸城は、戦国時代の土佐を代表する武将・長曾我部元親が、土佐一国を 領有する拠点として整備した城である。この地は浦戸湾の入り口に位置し、 交通の要衝として重要な地で南北朝時代からこの地を巡る攻防が繰り返されてきた。 ・・・ 中世の山城的構造をもとに、詰ノ段を取り巻く土塁配置や天守を備えた 点などの近世城郭としての特徴を併せ持つ、土佐の城郭史上貴重な遺構といえる。 |
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「坂本龍馬記念館」 ・・ 改修工事のため、休館中 平成3年開館 龍馬の手紙を中心に展示し、龍馬の殿堂として普及・顕彰に努めている 平成30年4月21日 リニューアルオープン!! |
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「船中八策と日本」 記念碑 龍馬の手紙には、日本という言葉がよく登場する 幕府と藩に代わって議会制度を持つ近代国家「日本」の実現を目指す龍馬は、 その具体的なかたちを八つの項目にまとめ、土佐藩参政後藤象二郎に示した、 京都に向かう途中の藩船「夕顔丸」が舞台となったので「船中八策」と言われる。 この広場の柱に記してあるが 十九世紀後半に書かれたにもかかわらず、 今の世に立派に通用する先見的感覚だ。中には行政改革 平等条約 為替レートなど 今日の課題として残っているものさえある。 「大政奉還建白書」に生かされ近代国家「日本」誕生の糸口となったこの 「船中八策」をぜひ今日の目で見直してみたい。 ・・ 広場は工事中で、「本文」は見なかった (Wikiより ・・ 異論もあるが ) 伝えられる内容は以下のとおり。 一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。 一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。 一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、 宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。 一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。 一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。 一、海軍宜シク拡張スベキ事。 一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。 一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。 以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、 之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。 苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、 万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。 伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。 公議政体論のもと、 1.大政奉還 2.上下両院の設置による議会政治 3.有能な人材の政治への登用 4.不平等条約の改定 5.憲法制定 6.海軍力の増強 7.御親兵の設置 8.金銀の交換レートの変更 など、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されている。 |
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1215 「坂本龍馬像前」 第2C・P 給水&トイレ 20q地点 GPS:16.4q /183分 + 19分 ここで、スタンプ欄は一杯 後はゴール欄?だけ (20qコースはバスで主会場に戻りゴール) 20qコースとの区別は ・・ 自己申告? ・・ まあ、いいか |
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残り 13q 33qコースの未着は、10名ほどらしい (約40名参加) ゴール締切 1630 には 余裕? ・・ 昼食小休憩 + 29分に 「大政奉還 450年」 記念の「龍馬に大接近」 2017.9.30-11.26:58日間開催 !! ・・ 台には上がらなかった MAP説明文には 桂浜龍頭岬上に建つ龍馬像は、昭和3年(1928)5月27日に除幕が行われた。 海上には海軍省派遣の駆逐艦「はまかぜ」、銅像足下には、地元四四連隊の兵士たちもいた。 司馬遼太郎 「龍馬がゆく」 ・・ 「産経新聞」夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日 新聞で読み感激だが、それ以前にも「龍馬を顕彰」する人がいたことにホッとする あまりの人気振り?に ・・ 「それ程でもなかった」の異論も多いようだ 今朝の新聞に 「日本史の教科書記述から外す案も出ている」 らしい |
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リスタートして ・・ 矢貼りが? 「桂浜」の看板はあるが コースではないようだ |
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後続の人から 「こっちだヨ」 でコース復帰 「龍馬記念館」の下の道路を通り抜けて、往路で見た「桂浜花海道」へのみちへ |
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左が「桂浜」 ・・ 脇の歩道がコースだが 案の定 先行者さんはいない | ||||||||||
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「桂浜花海道」 を西へ ・・ 約3q 歩道から 桂浜は見えない |
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「初代土佐藩主:山内一豊」 の前に土佐を治めた「長曾我部元親」 影が薄いが この「桂浜花海道」には 「長宗我部ステージ」として 紹介されていた |
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その 「桂浜花海道(県道14号:くろしおライン)」を3qほど進んで 右折北上 すぐに 「若宮神社 長曾我部元親公初陣の像」 |
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説明文に この銅像は 元親公没後400年に当たる平成11年(1999)5月に地元有志の発案により建立されました。 元親公は永禄3年(1560) 5月、22才の折り、本拠地の岡豊城を進発し、 宿敵、本山氏の守る長浜城を陥落させ、初陣を飾りました。 その際、若宮八幡宮の社頭に陣を張り、戦勝を祈願したことから、この地に 初陣の雄姿を再現したものです。 その後、約25年をかけて四国全土を掌握しましたが、豊臣秀吉の軍門に降り、 慶長4年(1599)に61歳で京伏見の館に没しました。 銅像の高さは台座を含め約7m、槍の長さは5.7mあります 長浜まちづくり推進会議 高知市・高知市教育委員会 |
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ゴールは 「はりまや橋」から ほぼ1q ・・ 6.2+1=7.2q ・・ 70〜80分 | ||||||||||
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MAPに 「宇津野トンネル」 表示だが なかなか、山に近づかない 先行者さんが 遠くに見え隠れ ほぼ 我家だけのマイペース ・・ どんどん、ペースダウン? トンネル前のコンビニ駐車場で 最後の給水ポイント ・・ 有難うございます |
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「宇津野トンネル」 570m 上下線でトンネルが分かれ歩道も広い 一直線のトンネル ・・ 出口も見えている |
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トンネルを出ると 付近は、工場地帯 | ||||||||||
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「桟橋通り」 ・・ 路面電車の走るみちに合流 翌日 この日のアンカーさんから、聞いた話では 「電車道に入って、最終組のお二人を(強制)ワープ ・・ それでも、ゴールは1640 だった」 我家より 後ろが居たらしい |
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MAPの 「とさでん交通」 ・・ 車庫にもなっており 沢山の路面電車 | ||||||||||
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「板垣退助」 縁の 「自由民権記念館」 ・・ 立派な建物だった | ||||||||||
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市街地には、大きな建物も建設中 | ||||||||||
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「潮江(うしおえ)橋」 で「鏡川」 を渡ると ゴールは近い | ||||||||||
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その前に 「日本三大がっかり」で有名?な 「はりまや橋」 噂を聞いていたので、「がっかり」もしなかった 橋では 「記念撮影」 する人達も 播磨屋橋(はりまやばし)は、高知市中心部にある道路橋で、長さ約20mの桁橋である。 俗に、ひらがなではりまや橋と表記されることも多い 竹林寺の僧・純信が恋人である鋳掛屋の娘・お馬の為に髪飾りを買ったという悲恋物語は 「よさこい節」の歌で有名である。 元来は堀川に架かる小橋であったが、1928年の土佐電鉄桟橋線延伸開業に伴う高知市の 街路整備により、同市の目抜き通りに一変した。 1960年代に入ると、製紙工場からの排水に起因する市街地河川の水質汚濁が顕著となり、 堀川はほぼ全長に渡って埋め立てられた。 1998年に朱色の欄干から石造りの橋にリニューアルし、はりまや橋公園を整備する際に 歴代の播磨屋橋が復元され、橋の下には人工水路が設置された。 旧欄干は、はりまや橋公園の地下に展示されている。 2012年には、播磨屋橋公園にペギー葉山の楽曲「南国土佐を後にして」の歌碑が建てられた。 碑は午前8時半から午後8時半まで1時間おきにペギー本人の歌声が流れ、 隣に建てられた鯨の親子が潮を吹く仕組みになっている。 なお、同碑は全国から集まった1600万円の寄付金で建立され、除幕式には ペギー葉山本人も出席した。 |
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橋の写真を撮っていると、「鯨の親子が潮を吹く」 のは見逃したが 演奏が流れて来て 探すと ・・ 向かいのビルに 「からくり時計」 よく見ると、時計の上に 「高知城」 下側に 「よさこい踊り」 が 出てきた からくり時計のご案内 「よさこい節・高知市歌」演奏後 秋には「里の秋」が演奏されます 9時〜21時(毎正時:各約8分間) ・・ 最後まで聞いていればもっと仕掛けがあったのかも 聞きなれない曲は「市歌」だったようだ |
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1512 ゴール スタッフさんがお待ちかね GPS:29.9q /361分 + 61分 (=4.97q/h) ・・ 「からくり時計」見物もあったが 「桂浜 龍馬像」 以降のペースダウンが大きかった ゴールテント裏の 出発式会場は 「こうち 介護の日」 イベントの演奏会や 「爆笑ライブ」 などで、賑わっていた |
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一日 いい天気 暑くも無く「絶好のウォーキング日和」で アップダウンの丘や川・海 変化に富んだコースを楽しめた 2日目の天気もよさそうで、初めての高知県を楽しめそう |
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