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2日目:11月12日(日) 第13回 龍馬ゆかりの道2DW を歩く | ||
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予報 晴れ 最高気温 19℃ 風:5〜6m/s は気持ちがいい? | ||
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2日目は遠方からの参加者に配慮して 受付:720〜 出発式:730〜 スタート:800〜 ・・ 1日目より、1時間以上早い 715 受付開始に合わせて会場に到着 正面はJR高知駅 受付は左側 青白のテント 1日目に通過者の消込をしていたので、この日も受付で参加コース連絡 |
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2日目:龍馬夜明けコース 30q 反時計回りに 「坂本家墓所」〜南下し 「和霊神社」〜市街地を通り抜け、東端「半平太旧宅」 (1日目に歩いた(赤破線) と重ならないように工夫されている) GPS:29.5q アップダウンのないみち 最大標高差:86m と出ているが 実質60m程度? コースは、途中で分岐する 10q:新月橋 手前から会場に戻るコースと 16q:「和霊神社」参拝後〜高知城〜会場に戻る 3コース 受付名簿をざっと見たら、ほぼ 1/3 づつの参加のようだ |
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750 出発式を終えてスタート 出口で躓き転倒した人がいたが、ひどい怪我でなければいいが |
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住宅街を3qほど西に進んで | ||
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坂本家墓所 ・・ 入口に お墓の説明 真ん中の奥に 龍馬と関係の深い 乙女・栄 姉さん達の墓が並んでいる |
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リスタートして 3qほど南の 「和霊神社」へ 市街地を通り抜け |
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県道37号線 「新月橋」 で「鏡川」 を渡る 10qコースは 橋の手前で 分岐・左折 MAPを見ていないと、かわいい「矢貼り」を見落としそう |
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「石立地下道」で、国道56号線をくぐり抜ける 「新月橋」以降 左側歩道歩きの指示 ・・ 右側には 矢貼りなし 地下道出口で戸惑ったが、向かい側(左)歩道に 矢貼り発見 |
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県道37号線で 市街地を南下 タイミングのいい信号で左側歩道に渡る | ||
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長い信号で 先行者さん達に追いつき 15名ほどの集団になった 向かっている 「龍馬ゆかり 和霊神社への 道しるべ」 大きな看板 |
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「山ノ辺旧道」 への分岐に 誘導スタッフさん | ||
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住宅地のはずれの「高神公民館」を過ぎて 山際のみちへ 見落としそうな、矢貼りだったが ・・ 先行者さん達について歩いた |
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「和霊神社」 参道の鳥居 鳥居の横にC・Pがあるが ・・ 先に、神社へ ・・ 細い 階段みちを上がる |
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和霊(われい)神社 ・・ MAPの説明には 和霊神社がある水谷山は、坂本家の本家 才谷屋所有の山で才谷山ともいったという。 神社は宝暦12年(1762) 坂本直益が伊予宇和島から勧請して、才谷屋の守護神にしたのに はじまると祠の側面に刻記されている。 社殿中央部には和霊大明神の扁額がかかり、格子戸の中に石製の鏡とお札が供されている。 龍馬が脱藩する際、和霊神社にお詣りしてから出発したという説があるが、 これは正確な資料が無い 案内看板があったが、神社は質素な造りだった |
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918 「和霊神社」C・P 給水&みかん&飴の振る舞い 7.5q地点 GPS:7q /88分 + 18分 ・・・ 一緒に来た人達は 居なくなっていた 大勢が「和霊神社」 スルー ・・ まあ、「何も無かった」と言えば、その通りだが 違う方向から 「みちが判らなかった」 と 来た人も この日のコースの目玉 「坂本家墓所」・「和霊神社」が終わり、 市内のゆかりの地を抜けて 東端の「半平太 旧宅」へ |
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大通り(産業道路)に出て 東に向かい | ||
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筆山の裾を 北上 | ||
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「月ノ瀬橋」 で 「鏡川」を越える | ||
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ビルの間から 「高知城」 が見えた (・・ ズーム撮影) | ||
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橋を渡り 市街地 歩道脇の 「近藤長次郎生誕地」 石碑を通り過ぎ 「龍馬の生まれたまち記念館」 前を通過 |
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国道33号線(電車通り)に戻って 3qほど東に進む すぐに 「坂本龍馬生誕地」の看板 ・・ 看板の先にあったのは |
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「坂本龍馬先生誕生地」 誕生地の碑は 昭和27年(1952) 5月、当時の首相吉田茂(高知県出身)の揮毫のものを、 昭和43年(1968)「明治百年記念事業」の一環として高い台座を含め整備された。 生誕地の標識は明治の末年、田中光顕書の木柱が最初になる。 |
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「高知城」正面の 「県庁前」交差点で 16qコースは分岐し 高知城脇を通って〜ひろめ市場〜 会場:高知駅前へ 結局 今回は高い石垣を見ただけで「高知城」には 寄らず仕舞いだった |
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国道33号線を更に東へ 10時を過ぎたところで 気温14℃ 風もほとんどなく、歩くにはちょうどいい気温 |
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向かいの 「中央公園」では 「・・祭り」 の開催で、大勢の人 | ||
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路面電車がすれ違う ・・ 結構、便数があるようだ 半分くらいは 側面一杯にイラストが描かれた電車だったが この時はスタンダード版 |
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「はりまや橋」を通り過ぎた 「ターミナルビル」前に 「よさこい鳴子踊り」 像 「和霊神社」で置いて行かれた、通行人1さん・クマちゃんなどが「市場に寄ってきた」と合流 この後 ゴールまで前後しながら歩いた |
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「高知市文化プラザ かるぽーと」 ・・ 津波避難ビルにも指定されている 市民の文化創造と生涯学習の拠点として、高知市の文化を創造・発信する複合文化施設 |
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「国分川」手前の 「知寄町3丁目」交差点で右折・南下 | ||
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国分川沿いに出て 「青柳橋」は 渡らず川沿いを南下 橋の向こうは、1日目に上った「五台山」 |
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「高知市 中央卸市場」 前を通過 ・・ 本日休業日で閑散としていた | ||
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「新青柳橋」で 国分川を渡る | ||
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「五台山」の西から南に回り込むように 今度は 長い 「雄幸橋」 を渡って 「下田川」 川沿いのみちに入る |
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「下田川」の向こうに 「五台山」 前日は 展望台〜竹林寺を経由して 正面の住宅地の間を下りてきた |
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下田川沿い堤防を東に進む 完成間近?の道路工事 ・・ 次に来るときは風景が変わっている |
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見えて来た橋は 「地蔵橋」 左手奥には、「くろしをアリーナ」 その先に 「東部球場」 ・・ オリックスのキャンプ場にも、使われるそうだ コースは 「地蔵橋」から先は 「武市半平太 旧宅・墓所(C・P)」まで行ってから、戻ってきて橋を渡る 往復区間 |
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「地蔵橋」を通り過ぎ 次の「瑞山橋」袂で右折し 県道247号線を南下する | ||
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400〜500m 進んで「武市半平太旧宅 駐車場」に チェックポイント 「旧宅に行ってきてから、チェックを受けて下さい」 「瑞山橋」からの 400〜500mで バラバラと20名ほどの先行者さんとすれ違う |
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駐車場の先に見えていた 赤い幟旗の所から左の丘に入ってすぐ | ||
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「瑞山記念館」の案内板 記念館の奥に「瑞山神社」もある |
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「武市半平太旧宅(国指定史跡)」 MAP説明に 門をくぐると奥の方に平屋建てがある。間数は六室。客室は八畳。 領地50石の郷士で半農半武の生活。典型的な郷士住宅で生活が偲ばれる旧邸だ。 現在は個人の住宅であり、国指定史跡。 ・・ 門の中には、入れなかった |
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こちらが 武市家の墓地 左手前に「武市半平太小楯」の墓標 武市半平太(1829〜1865) 上士と下士の中間である白札格の家に生まれる。 号は瑞山。 諱(いみな)は小楯(こたて) 文武両道に秀で、文久元年(1861)8月に土佐勤皇党を組織し、盟主となった。 尊王攘夷を主張し、対立する吉田東洋を暗殺した後、一時藩政を牛耳る。 8月18日の政変後、勤皇党の弾圧が始まり、投獄1年8ヶ月後切腹を命じられた。 享年37 |
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墓地から見下ろすと すぐ下に「瑞山記念館」 その右に「瑞山神社」 |
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1210 「武市半平太 旧宅・墓所」第2C・P 20q地点 GPS:20.8q /260分 + 52分 「まだ 来ていない人はいますか?」 「あと10名くらい」 「我家など5人のグループ」 ・・ チェックする前の人数らしい この後、「地蔵橋」までの 対面通行区間で 後続の人と(アンカーさんとも)会わなかった いづれにしても、残り 10q足らず 見所も終わり ・・ 14時前にはゴールするだろう |
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健脚さん達だが 半分観光モード? 「(早朝に着く)夜行バスで帰るので 高知発 22時」 という人も ・・ 道理で急がない訳だ |
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「くろしをアリーナ」 「東部球場」 まだ新しそうな「ドーム」(PC地図の航空写真にも まだ無い) 「地蔵橋」で「吉田川」を渡り 北進 |
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1.5qほど 田園の中のみちを北上したあと | ||
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国道32号線沿いを 今度は西へ 1.5q | ||
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「高須新町三丁目」 ・・ 中心街に近づき信号が増える この先 「高須新町一丁目」信号で 右折北上 ・・ ジグザグと進んで ゴールに向かう |
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北上中 ・・ 橋につながる 県道44号線(右上) 脇の歩道を進む 電車道(とさでん交通後免線)を横断:すぐ右に「県立美術館通」駅があるが 県立美術館は橋を渡った川向うにある |
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その「県立美術館」 ・・ あまり見かけない外観で、ググってみると 外観は土佐漆喰の土蔵をモチーフとするデザイン 現在は美術館の「二大コレクション展」 開催中 マルク・シャガール・コレクション「祝祭のパリ」 石元泰博(高知県の写真家:東京造形大学教授)・コレクション「シカゴ、シカゴ」 1993年11月3日に開館。 約1200点にのぼるマルク・シャガールの世界的コレクションで知られる。 コンサートホールの高知県立美術館ホールを館内に併設する。 |
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県道374号(大津バイパス)で左折(西進) ・・ MAPに 「高知駅へ約3q」 すぐに「新国分川橋」を渡る |
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真直ぐ西に進み だんだん 大きなビルが増え、交通量も多くなる ・・ 信号も増える! 高知駅まで1q |
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「JR高知駅」前通過 駅入り口の看板「高知家」(あちこちで見かけ) ・・ レストランか 何かのチェン店かと思ったが 「高知県は、ひとつの大家族やき。」 という、高知県をアピールするためのキャッチフレーズで MAPの「幕末維新博(観光コンベンション協会)」のPRページにも 「高知家」のロゴがある |
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1355 ゴール GPS:29.5q /365分 + 70分 (4.85q/h) ・・ フラットコースの割にはゆったり歩き いい天気で、気持ちのいいウォーキングだった 後半「武市半平太 旧居・墓所」 だけで、土佐勤皇党に興味のない人には退屈だったかも こじんまりしたイベントで、矢貼りの貼り方も怪しい所があったが スタッフさん達の熱意が伝わる 面白いウォークだった ・・ これも天気が良かったから言える事 初めての 高知市 ひと月ほど前のブラタモリで 「高知 ?高知の町は なぜ龍馬を生んだ?」 で予習したが、思った以上に川の町だった |
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MAPにも載っていた 「志国高知:幕末維新博 時代は土佐の山間より」 平成29年:大政奉還150年 第一幕:平成29年3月4日〜30年4月20日 平成30年:明治維新150年 第二幕:平成30年4月21日〜31年3月31日 ・・ 時代の胎動を体感 県内全域で開催中! まだまだ、高知は 賑やかなようだ |
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一休みして 15時前に帰路へ 前日未明に通過した 四国山地を通り抜ける 1,200〜1,300m の山の間を抜けて行くが 大部分はトンネルでそれ程の標高は感じなかった |
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1時間余りで 「讃岐富士(飯野山)」脇を通り過ぎて 坂出JCTへ | ||
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明るい間に 「瀬戸大橋」 を渡り終えたが 山陽道に入って 兵庫県に入る所で故障車渋滞・神戸JCT(手前から)宝塚までいつもの自然渋滞 (新名神:亀山JCT〜四日市渋滞情報 伊勢湾岸:工事規制で 名神一宮回りに ・・ 通過が遅い時間になった為か、こちらは渋滞はなかった) 1日目早朝は 6時間15分だったのが 2日目復路では 8時間(食事30分ほどを含む)かかった 工事中の 宝塚迂回の新名神・四日市〜亀山迂回の新東名阪?道の開通が待たれる |
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・・ 伊勢湾岸の工事規制 次週の「おわせ」往復 ・・ 往路は少し早めに出る事に 復路は 名古屋高速で迂回 と策戦を立てたが ・・ 1日目強雨予報に ・・ 「石畳の熊野古道歩き」 見直し要! 月末「まほろば」往路 ・・ 復路(上り車線)は工事完了らしく 影響は少なそう |
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