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'18年10月20-21日(土日) 第14回土佐よさこい2D 参加計画 | |||||||
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1日目:安芸市堪能コース 20q | |||||||
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愛知県の我家を 0030に出て、伊勢湾岸-新名神-山陽道-倉敷から南下 「ドラぷら」 ほぼ想定通り 615 南国IC直前で 空が明るくなった 700 会場に隣接する市役所に駐車 受付を済ませ、車中で朝食 大会誌を見た歩友さん 「事前申込は 大きな文字で 52名の申込」 「四国マーチングリーグ」 以外は、協賛会社のCMだけ 挨拶文や大会概況・見所案内もない それでも、「オールジャパン・ウォーキングカップ認定大会」で 岩手〜大分まで全国からの参加 |
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1日目のMAP:A2カラー コースAは 安芸市まるごとコース:14q 850 発 コースは青色で表示 第1C・Pのあと、20qコースと分岐し東へ 参加した コースB 安芸市堪能コース:20q 830 発 時計回りに周回 ・・ 最北端に C・Pは無く 14qと同じ 「内原野陶芸館」に 第2C・P ・・ なんだか、唆される設定? |
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左端の建物が 「安芸観光情報センター」 正面は 「タイガース」のキャンプで使われるホテル ・・ この辺りで一番 高い? 815 〜 両コース合同の出発式 100名を超えたくらい? ・・ 結構 見かける顔があった 先週の 「よこはま」 でお会いした人も 何人か 挨拶・コース説明・ストレッチのあと 830まで待って ゆるい 檄があり、スタート ゼッケンは「土佐よさこい2DW -県・距離・名前・メッセージ欄-」 1日目用 青は、Bコース 20q用で 14q申込者は赤ゼッケン 「14qコースの方は この後 850 のスタートまで、お待ちください」 と案内していたが 会場に残っていたのは、10名ほど (まだ来ていない人もいた?) |
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会場から 700mほど南下すると 早くも 「太平洋:土佐湾」 MAPに 「じゃこ通り」 と書かれている 海岸を 1qほど西へ |
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「安芸漁港」 で船を見ながら 進む スタートして 20分 先頭は見えなくなりそう |
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岸壁が高くて、水平線が見えない 逆光で読めないが、岸壁に大きな文字で 「日本一高い防波堤 海面より 16.0m 安芸漁港 ← 伊尾木漁港・穴内漁港 → 」 |
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海岸から戻って 「国道:493(55)号:土佐東街道」 横断 ・・ 長〜い信号待ち 前の線路は「土佐くろしお鉄道:阿佐線(ごめん・はまなり線)」と 「球場前駅」 その奥に、「安芸ドーム」 市営球場はその奥にある スマホで撮影中はスタッフさん 大会の主催は「土佐よさこいツーデーウォーク実行委員会」 共催:JWA・高知県WA となっており 後援:高知県・安芸市・香南市・各教育委員会 ・・・ 観光協会・新聞社・放送局など 1日目:安芸コースの運営は いつもと雰囲気が違っていた |
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信号待ちの間に 先行者さんは 遥か彼方になった 国道55号を東へ 1qほどもどる |
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会場まで 400mほどの所で左折(北上) 「岩崎弥太郎 ← 生家・銅像 3.3q (普通車)」 |
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左折した所に 「江ノ川上公園」 四国のみち 〜安芸ふるさとのみち(11.7q)〜 の案内 案内図の 緑=平地 と同じみち(14qコース)を歩くようだ 元は 「岩崎弥太郎の銅像」はここにあったのが、「生家隣に移設しました」 |
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代わり?に 「金魚のひるね 広田竜太郎 曲・鹿島鳴秋 詩」の歌碑があった 安芸市は作曲家:広田竜太郎の故郷で あちらこちらに歌碑が設置されていた |
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コース案内のメインは 地面の「長い石灰ライン」表示 所々に 「矢貼り」もあった |
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安芸市の見所? 岩崎弥太郎生家・広田竜太郎の童謡歌碑に 「野良時計」 のようだ ・・ どうやら 「時計台?」 |
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「くろしお鉄道」をくぐり抜け 「帯谷川」沿いへ | |||||||
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「帯谷川」の対岸に渡り 田園の中を北上 | |||||||
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川には 鮒? | |||||||
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山に囲まれた 田んぼみちを北上 南国のイメージが強いが ビニールハウスが多くて意外だった |
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川沿いを2qほど進んで 住宅地に向かう 弥太郎の看板の下で、スタッフさんがお待ちかね 普段着で目印はないが、丁寧に 案内してくれた 足元には、「石灰ライン」が しっかり引かれている |
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駐車場の奥に 「岩崎弥太郎先生」の銅像 足元には、「世界に羽ばたく 夢みて、俯瞰した日本地図」 |
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隣に 顕彰の碑 大河ドラマ 「龍馬伝」 などで、観光客が増え 再整備されたようだ 「・・ サザレバ、再ビ帰リテ此ノ山ニ登ラジ」と決意 弥太郎先生は、故郷 「妙見山」に 上り直したのだろうか |
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945 第1C・P 「岩崎弥太郎生家」 (MAPでは 彌太郎の文字が使われている) GPS:6.5q / 75分 +10分 国道55号の後は、信号の無いフラットコースだったが、ペースはあまり上がっていない まあ、距離 20q あせる事はない |
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「安芸市観光協会 HP」から 岩崎弥太郎の先祖は安芸国虎の家臣だったようで、のち長宗我部の安芸支配の時代は 長宗我部に仕え、山内氏が土佐入国後は開墾に従事し農業を営んでいました。 この家は、弥太郎の曽祖父 弥次右衛門が郷士の株を売って1795年ごろ建築したもので、 建坪 約30坪 藁葺きの平屋、表が8帖、その脇に4帖半2間、茶の間9帖になっていて、 その左が通り庭、通り庭から茶の間の床下をのぞくと芋壷(芋貯蔵穴)がみえます。 また風呂と便所は別棟に設置されています。 建物は整備されて新しくなっている ・・ 思っていたより 広い家だった |
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「三階菱」 との組合せは かなり無理がある? 「三菱」の名前と組み合わさったというのが、自然なながれ |
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座敷より庭園を眺めると、小さな庭園に石組が配置されています。 これは少年時代の岩崎弥太郎が天下雄飛の夢を託して、 日本列島を模して自分で作ったものだといわれています。 |
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リスタートして 20qコースは 「栃ノ木橋」 まで、北上後 C・Pの「内原野陶芸館」まで南下 14qコースは東に向かい、同じC・P まで北上してから、20qに合流する もう少し 距離が長いコースだと 悩ましい?選択になりそうな 設定 ・・ まぁ 「栃ノ木橋」 まで行っても、昼にはゴール出来そう |
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西の山裾を北上 戻りは、田んぼの向こうの 東の山裾を南下する 手前の丘が 「安芸広域公園」・「内原野公園」? |
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道路標識は 「内原野・野良時計 →」 ここの矢貼りは 大きな看板が立っていた 先導者さんは 歩友さんの達のグループになった |
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「野良時計」?を思わせる 時計台は 「安芸警察 井ノ口駐在所」 |
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「井ノ口」集落の中を北上 壁面の「水切り瓦」は、強風多雨から 土佐漆喰の壁を守るもの |
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路面に 長〜い石灰ラインの案内 正面には「矢貼り立看板」 早くも、戻ってくる人達は 1qほど先の 「栃ノ木橋」 を折り返してきた先頭? |
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山裾の田んぼみちを進んで 東側の山も近くになった | |||||||
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両側の山が迫ってきた所に 「Uターン 立て看板」 すぐ先に見えているのが 「栃ノ木橋」 |
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「折返し地点:栃ノ木橋」 コース的には、「チェックポイント」場所だが 何故だか 「給水」だけになっている 1030 GPS:10.3q /120分 + 17分 ・・ ちょうど 「中間点」 歩友さん達は、「時間調整ペース」だが レポーターは 結構一杯一杯のペース |
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「安芸川」沿いを南下 かなりの川幅 |
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往路との対面区間を通り過ぎる 出発式で、「コースリーダーやアンカー」さんの紹介がなかったのは、いなかった? 一本みちで、コース案内もしっかりしているので 迷子になる事はなさそう |
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往路で歩いた、西の山裾が遠くになった | |||||||
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「山田橋」で 「安芸川」の東へ | |||||||
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古そうな橋の袂に 「通行禁止(制限)」 種別:車両制限(2t車以下通行可) 期間:H30年9月17日14時30 〜 未定 理由:橋梁損傷のため 古そうな橋だが、上では 「損傷」 は気づかなかった 流木などで、橋桁が損傷していた? |
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田んぼみちを南下 | |||||||
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東の山裾が近くなる | |||||||
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「沢ノ平橋」 を渡らず、山の方へ向かう 左奥の建物は 「JAライスセンター」 ここにも 「長〜い 石灰ライン」 ・・ これだと、片付けなくても済みそう |
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山裾の峠みち? この日唯一の「上り坂」 先導の 「加古川WA」 の旗が 折返して勾配を進んでいく |
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短い坂を上ると 丘の上の集落のみち | |||||||
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「四国のみち 高知 ←土居廊中・井ノ口→ 」 (Wikiでは) 四国のみちは、四国全域にある歴史・文化指向の国土交通省ルート(約1,300q)と、 長距離自然歩道構想に基づく 自然指向の環境省ルート「四国自然歩道」 (約1,637q)からなる遊歩道。 起点は徳島県鳴門市にある鳴門公園の孫崎展望台の横に設置されている。 終点は徳島県板野郡板野町。 長距離自然歩道である「四国自然歩道」は、いくつも点在する関係自然公園のなかを 通過しており、瀬戸内海国立公園や足摺宇和海国立公園、山陰海岸国立公園の 2つの日本の国立公園と、室戸阿南海岸国定公園を通る。 |
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内原野には 陽和工房、福留窯、野村窯、「原峰窯」の4軒の窯元があるらしい 綺麗に手入れされた庭と真新しい家屋で、看板がなければ 窯元と気付かない? |
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手すりの見える 「堤のみち」? MAPを見ると、「ため池」と「内原野公園」があるらしい |
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「内原野陶芸館」 入口が 第2C・P 1120 GPS:14.8q /170分 + 22分 内原野焼(うちはらのやき)は安芸市にて焼かれる陶器。 江戸末期に領主、後藤氏によって興った。 原料の粘土に鉄やマンガンを多く含むため、器肌が肌理細かい。 また、黒や茶色の釉薬を用いるため、重厚な面持ちをしている。 昭和に入ると、それまでの水瓶などの大物から徳利や花器など小物作りに転換、 紆余曲折を経て現在に至っている。現在は4軒の窯元が存在する。 |
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リスタートして 長い下り坂の向かいに 広い公園が見えた |
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案内看板に 「安芸市広域公園」 梅林・芝生公園の他にも ゆず園やこどもひろば・体育館など 公園の北の端が「内原野陶芸館」 案内板の足元には 「マムシに注意」の怖い案内も |
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緩やかで 長い坂を下って | |||||||
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林が 開けた間から、会場周辺? の建物が見えた | |||||||
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「安芸川」を渡って | |||||||
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川の右岸を下がっていく | |||||||
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ハウス農家では、皆さん 冬に備え ハウスの張替え作業中 昨年この時期は台風接近で 2日目イベントは中止 今年は9月に続いたので、もう大丈夫? |
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川沿いを500mほど進んで 「土居廊中」へ 安芸市HPから 土居廓中は、戦国期に築かれた安芸城を中心に、江戸時代、ここに大規模な 屋敷を構えた土佐藩家老五藤家により形成された武家町です。 藩政期の武家地特有の歴史的風致を今日によく伝えている土居廓中の町並みは、 我が国にとって価値が高いと評価され、平成24年(2012)7月9日に、県内で2地区目となる、 国の『重要伝統的建造物群保存地区』に選定されました。 建物は 昭和57年10月に開館した全国初の公立書道専門美術館。 藩政時代より書道が盛んで、現在も日本書壇の第一線の書家を多く輩出しています。 |
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大きな看板は 土佐藩始祖:山内一豊の活躍と それを、助けた 五藤吉兵衛:のちの土佐藩家老の活躍 |
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読むと、とても 「痛いはなし」だった | |||||||
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五藤家 安芸屋敷 五藤家は、江戸時代土佐藩家老として高知城の南に高知屋敷を、 また安芸土井にも屋敷を構えた。 安芸城のふもと一帯には屋敷や蔵、馬小屋などが幾棟も並び、広い土居屋敷を構えていた ・・ ・・ 明治20〜30年代にかけて、再建 ・・ 国の登録有形文化財に登録された 松もしっかり手入れされていた |
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安芸城は安芸氏代々の居城だったが、永禄12年(1569)長曾我部元親の攻撃に敗れ、 その後は長曾我部氏が約30年間支配した。 慶長6年(1601)土佐へ入国した山内一豊は、佐川・宿毛・窪川・本山・安芸の 5ヶ所の城に重臣を配置した。安芸城を預けられた五藤氏は、ここに屋敷を構え、 城の入口には櫓門と枡形を設け、東西の土塁上には石垣と練塀を築いた。 安芸城そのものは、城址が残るだけらしい |
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五藤家の外回りは、堀と土塁 | |||||||
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土居の外には、家臣団の居住地である廊中を整え、ウバメガシや土用竹の生垣で 囲まれた町なみは、武家屋敷の面影をとどめている |
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一般公開されている 「武家屋敷 野村邸」 五藤家入国後に召し抱えられ、五藤家の財政や家臣の人事などの惣役を行っていました。 切妻造桟瓦葺き木造造り平屋建ての主屋を中心に、門・便所風呂棟・納屋 ・薪置き場・井戸・塀など江戸末期の武家住宅の形式を残しています。 この武家屋敷は平成20年に市へ寄贈され、現在は一般公開しています。 |
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庭には 「ウバメガシ」の生垣 生垣は、土居廓中の歴史的景観を形成する重要な要素であり、 明和4年(1767)の「御土居附屋鋪牒」では、管理のための詳細な規定が 記され、当時から屋敷地内外の生垣や樹木の管理がなされていたことが知られています。 現在も道路に面してドヨウダケ、ウバメガシ、ナギなどの生垣が多く見られ、 西町の東西、南北の2本の通りが交差する四ツ辻と呼ばれる場所は、往時の石溝が 残る狭い通りに沿って生垣が連続し、藩政期の武家地の景観を良く伝えています。 |
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すっかり 観光モードの 先導者さん達の後から 「土居廊中」を出て | |||||||
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「叱られて」 の童謡歌碑を見ながら | |||||||
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1150 「野良時計 C・P」 17.1q / 200分 + 29分 「野良時計は コースの30m先になりますが、見学して下さい」 |
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安芸市のシンボル「野良時計」(安芸市 観光協会 HP) 家ごとに時計のなかった明治の中頃、土地の旧家で地主であった畠中源馬氏が 自分で時計組み立ての技術を身につけ、歯車から分銅まで手づくりで作り上げた時計台。 この時計台の原型は、当時畠中家の台所にかかっていた八角形の米国製の掛時計で、 これを何度も分解しては組み立てて時計の構造を学んだといわれています。 古くから周辺で農作業をしていても遠くから時間を知ることができ、 「野良時計」として 現在も多くの人々に親しまれています 時計そのものは、今では 止まったままのようだ |
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リスタートして 残り 3qほど 歩き出すと、先導者さん達と差が開き 給水所・観光ポイントで追いつくパターン 団体歩行のアンカーさんの気分 |
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会場横のホテルが大きく見えてくる | |||||||
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橋の親柱にも 「野良時計」 | |||||||
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ゴール会場に近づき 「安芸市 津波避難タワー」 2日目:香南市は海岸沿いを歩いたこともあり 頻繁に見かけた |
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会場への通りを通り越し 「くろしお鉄道:安芸駅前」に出る |
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ここには 「靴が鳴る」 の童謡歌碑 | |||||||
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歌碑の彫刻像も | |||||||
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市内には 広田龍太郎 歌碑めぐり 題名ではピンとこないが 歌詞をみると 「ああ あれか」 という曲ばかり 弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう、 - 1952年(昭和27年)11月17日)は、作曲家 1892年(明治25年)高知県安芸市に生まれる。 一絃琴の名手であった母親から、音楽的才能を受け継いだと言われている。 父の転任に従って3歳の時高知を離れ、千葉師範学校附属小学校、 三重県立第一中学校(現:三重県立津高等学校)を卒業。 1910年(明治43年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学し、 本居長世に師事。在学中に歌曲『昼』を発表。 代表作に『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『金魚の昼寝』『雨』『雀の学校』『春よこい』『靴が鳴る』 など多数。 他に歌曲『千曲川旅情のうた』、オペラ『西浦の神』、仏教音楽『仏陀三部作』、 映画音楽『くもとちゅうりっぷ』など |
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1225 ゴール GPS:19.9q / 235分 + 36分 ( = 5.08q/h) 信号なしのフラットコースだが、見所をしっかりチェックしたので 妥当なペース? 早い時間だったが、皆さん 食事に行ったのか 会場は閑散としていた |
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14q・20qコースの C・P が同じ場所なのがやや疑問だが 判りやすい、矢印案内で こんなイベントもありかと思った 宿は、37.6q 離れた高知市内 まず 受付時に貰ったパンフにあった 「安芸漁港」の「安芸しらす食堂」で昼食 次は、翌日会場の「ヤ・シィパーク」 駐車場確認 ツーデーの案内は無く 「利用時間:9時〜 2時間超:420円」 ・・ 当日は早く開場するだろうと信じて、宿に向かう 最後は ガソリン補給 途中で1/10目盛になり 残り走行可能距離:50qで 表示が「黄色」になり ちょっと焦ったが 無事給油 チェックインタイム 16時前に宿到着だった |
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来週は 「神戸2DM」 を予定していたが 10日間ほどの家事都合(慶事)で 参加見送り 第10回 記念大会の帽子を狙っていたのだが仕方がない |
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