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20.03.07(土)ミニ2D2日目 牛若丸・誕生の地を歩く | ||||||
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ミニ2D 2日目は京都市内 予報は晴れ 気温は低めだが、歩くにはちょうど良さそう |
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京都駅から WSTまで 2.3q コースは20qなので、歩く事に 東本願寺の向かいで地下道から上がり、京都WAさん事務所横を通過 本来なら、今日が 京都2DMの1日目 中止になり、後始末に追われているのかも このレポの作成中に 参加賞・大会誌・MAPなどが送られてきた 恒例の帽子は 頭は黒で オレンジのつば ・・・ 派手な組合せで年寄りは被りづらい? |
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830 WST:高島屋さんを通過して スタート MAPは初回訪問:15.3.26(木) 新選組&錦市場コース:15qを歩いた時に 次回歩くからと 頂いておいた この時は、京都WAの千本鳥居と竹のした道:15qとの組合せ 貰っていた MAP 作成日は 2006.12.09 V2.0 A3 |
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MAPでは、鴨川沿いを歩くようだが 手前の高瀬川沿いで北上 | ||||||
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三条通:三条大橋の下に下りて河川敷を北上 早咲きの しだれ桜に カメラマン |
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三条大橋をくぐり抜け 3つ目の丸太町橋で堤防に上がり 京都御苑を通り抜け 出町橋で 河川敷に戻り 4つ目の北山大橋で堤防に戻る |
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丸太町橋まで 1q 時おり ジョガーさんとすれ違いながら北上 |
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丸太町通を 500m 西進し、南東:WCに近い富小路口から 京都御苑に | ||||||
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何度か歩いている 京都御苑だが いつも、御所の西側を通り抜ける このコースは 東側 ・・ 左が京都御所 右に 仙洞御所(大宮御所) 京都迎賓館脇を通り抜け |
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今出川口から出て右折、鴨川に戻る 正面は 赤煉瓦が特徴の同志社(女子大・女子高) |
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コースは 今出川通をまっすぐ進んで、加茂大橋となっているが 1ブロック 北の 出町桝形商店街 が通り抜ける WST:スポーツパレットゴトウさんがこの近くと思っていたが 勘違い 京都御苑の南東付近だった 歩くなら 次回は、ここの インクライン・清水坂コース:20q と思っていたので下見のつもり |
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通り抜け 鯖街道口:出町橋から 河川敷に下りる |
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高野川との合流点を越えているので ここは 賀茂川河川敷 河川敷きでは ジョガーさんが多く ダンス練習するグループなどもいた |
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対岸にも 沢山のジョガーさん 五山送り火はもっと北の賀茂川 ここを歩くのは京都2D 記憶が ごちゃ混ぜになっている |
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4つ目の北山大橋で堤防に戻り 北山通を1qほど西へ |
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文マーク(待鳳小)を過ぎる辺りから 牛若丸誕生にまつわる遺構が始まる |
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最初は 常徳寺(常盤地蔵) 小学校を過ぎる頃から、キョロキョロと探しながら進んで お寺の角を凹ませて 何やらお堂があるが それらしき表示はなかった |
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お寺は 間違いなく 常徳寺 境内では 工事中だったが それらしき物はなかった |
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わずかにあったのは 義経ゆかりのお寺 の文字だけ | ||||||
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気を取り直して 紫竹栗栖しちくくりす町交差点で左折して、住宅地のみちへ | ||||||
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住宅地のみちで更に右折し 牛若誕生井・胞衣えな塚 に向かうが 住宅の角に石碑 屈み込んで 右? 牛若丸産湯井戸あり と読めそうだ 通りかかった人が どうされました? 説明すると それなら、右側の畑の中にありますよ |
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牛若丸誕生井 | ||||||
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住宅地の中に残った 畑に きれいな説明板 ・・・ 今は畑の中ですが、明治の頃まで牛若丸産湯大弁財天女社の小宮で 開運のご利益と崇められていました 右下の 幕末の付近図には これから向かう A光念寺や 今宮社や大徳寺なども描かれている 気になる 御所の橋跡 らしきものはない H 五常ごじょうの橋は 大徳寺の右下で遠そうだ |
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住宅地を50m進んで 光念寺 (常盤腹帯地蔵) となっているが 門前の像がそうなのか 判断がつかない |
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境内に入っても 常盤腹帯地蔵 の表示や 牛若丸や常盤の説明も出てこない MAP 表示の 光念寺は見たので、ヨシにして次へ |
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住宅地のみち:紫竹南通を進んで 通り過ぎそうになったが |
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住宅の庭に食込むカタチで 義経産湯井跡碑 消えかかって 読み辛いが 源義経産湯井ノ道?へ ・・・ ここにあったのか、本文が読めない 大正十五年十月 紫竹土地区画整理組合 長い年月の間に 何度かのブーム その都度、呼び方も変わって 牛若丸や義経 ここでは、源義経 |
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今度は牛若通を200m南下してから右折 影の方向がどんどん変わる |
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今宮神社 東口へ 五山送り火では 船岡山を下りて、今宮神社境内を抜け出てくる所 |
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ここまで 牛若丸・生誕の地 コースを歩いて MAPに書かれているポイントは 一応 確認出来た 1035 GPS:9.4q / 125分 + 21分 距離は 中間点手前だが いつも素通りの あぶり餅で ひと休みすることに このあと 今宮神社境内に入って チェック印ゲットし 徳大寺から 弁慶腰掛石・常槃井から 御所の橋跡へ |
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向かい合わせにある あぶり餅屋さん 声を掛けてくれた店に入って 一皿小餅1個分くらいです 注文すると まずお茶が運ばれ 2〜3分蒸してから入れてください 運ばれてきた餅は、一口づつ竹串に刺してあり のどに詰める心配がない |
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10分あまりでリスタートし 境内に入る | ||||||
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五山送り火では、山門からすぐ東門に通り抜けるが この日はしっかり参拝して |
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社務所のスタンプを貰う YRコースの中には、WST専用のスタンプを置かせてもらっている所もあるが ここは 昔 京都WAのお土居コース:25qでも来て確認 専用スタンプはなく 神社の記念スタンプを押した覚えがある テーブルの上に 各種のスタンプ 中には干支の絵も いくつかのコースで C・Pスタンプを押したが、確認されたことはない 今度もそうだろうと 適当に押したのだが ・・・ |
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神社山門を出て 今宮通交差点を通り抜けると、龍翔寺の長い塀があり | ||||||
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付近の案内板 左が北の図 現在地 左に 今宮神社 直ぐ左折して 大徳寺境内に入る 周囲は大寺院群 その左上に先ほど歩いた 光念寺や牛若丸誕生井碑・源義経産湯の遺跡碑なども表示されている 英語・ハングル・中国語 ・・ 文字が多すぎて見づらい 右端には 五山送り火で上る 船岡山公園もあるが この後向かう 弁慶腰掛石や常槃井などの表示はない |
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龍翔寺角で左折して 大本山大徳寺に向かう 左は 龍翔寺の長い塀 |
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総見院 第54回 京の冬の旅 特別公開 織田信長の菩提寺、織田信長坐像(重文)、織田家一族の墓、茶室 |
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大徳寺 第54回 京の冬の旅 特別公開 法堂(重文):狩野探幽筆の天井画「雲龍図」 方丈(国宝):探幽筆の障壁画(重文)、庭園(特別名勝・史跡) 唐門(本坊)(国宝):「日暮門」と呼ばれる豪華な彫刻 |
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広い境内に圧倒されながら 山門脇を通り抜ける (Wikiより抜粋) 臨済宗大徳寺派の大本山:山号は龍宝山りゅうほうざん 京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や 法堂はっとうをはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、 近世寺院の雰囲気を残している 大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、 日本の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である 本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、 多くの文化財を残している なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い |
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龍源院 釈迦如来坐像(重文)鎌倉時代(建長2年1250) 方丈、唐門、表門(重文)室町時代(文亀2年1502)に続いて 黄梅院 茶室(書院)(重文)鎌倉時代(1351建立) 本堂(重文)室町時代(1588建立) いずれも 重要文化財で 火気厳禁の看板が並ぶ |
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黄梅院は 特別拝観もやっていない |
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1125 南門を出て 弁慶腰掛石を探しに行く 長谷川米穀店内となっているが、案内板くらいはあるだろう どうやら1ブロック 80m 行き過ぎたらしい 北大路大宮交差点で 北大路通を渡り右折 住宅地に入った |
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コースを見失って 玄武神社や |
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細い路地みちを歩いて MAPに目を凝らし 付近の目印と照合し 郵便局から辿りなおして 弁慶腰掛石のある長谷川米穀店さんを探す |
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何気に表札を見ると 長谷川さんのお宅 家の中には 精米機があるようだが 店の雰囲気はない MAPは通りの途中で 位置も微妙に異なる |
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更にウロウロして、住宅地図を発見 現在地の左上に 長谷川米穀店が! 一つ目で左折 |
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路地みちを 行ってみると 米穀店の看板は無かったが |
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弁慶腰掛石の案内板が掛かっていた 次の、常槃井は 1本南のみち |
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場所的にはここになる 南地区山町の道標は一度通ったが 暗くて気がつかなかった |
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のぞき込むと 確かに 常槃井と読める 下の説明文は読めないが ググって 常槃井ときわのい 義経の母、常盤御前が化粧の際、用いたと伝わる井戸の跡です |
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お楽しみの 御所の橋跡:弁慶との対決地 を辿ったが それらしき形跡は見つからず 場所的には 建勲神社参道入口あたりになりそうなのだが ちょうど、散歩から戻ってきた人がいたのでお尋ねしたが MAPを見て 長谷川米穀店はすぐ近いですよ でも、御所の橋跡は 聞いたこともない ・・・ あきらめて、 次に進むことに 家に戻って ググってみると 五条大橋での対決が定着したのは 文部省唱歌の 京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる ・・ によるが これには 諸説あり 五条橋での出会いや五条天神と清水寺で2回出会うものから 北野天神、法性寺周辺、清水寺で3度出会って のち五条橋で対決 というものも ただ 「御所の橋跡」 には 何も出てこなかった |
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コースの大宮通に戻って南下 気分的な疲れで ペースは全く上がらない |
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案内図があったので、間違いないか確かめる 確かに 大宮通に 乗っている が、下が北で感覚が掴めない 500m ほど進み 妙蓮寺を過ぎた所で 1ブロック西に移って 200m南下 |
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首途かどで八幡宮 源義経が奥州平泉に赴くに際し、道中の安全を祈願した |
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由緒書きにも 征途の首途にあたり ・・ と説明がある |
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すぐ隣の MAP:今出川智恵光院交差点で左折し 今出川通 東進 200mで 京都市考古資料館 前を通過 |
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すぐの 堀川今出川交差点で右折南下 角にある MAP:西陣織会館(WC)でトイレ休憩 |
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会館から 100mで 晴明神社(WC) 鞍馬で牛若丸に兵法を教えた鬼一法眼は陰陽師で兵法の虎の巻を所蔵していた 神社だが、やたらと☆五芒星のマーク 左の案内板は 旧 一條戻橋 この欄干親柱は 大正十一年から平成七年まで実際に使用されていたものです 御祭神安倍晴明公ともゆかり深井橋ゆえ 境内に復元しました 現在の戻り橋は 神社から南へ百米の処に架かっています |
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境内を眺めまわしたが 陰陽師 安倍晴明に関する説明はしっかりあったが 牛若丸にまつわる話は 一行もなかった |
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MAPにも 戻り橋が表示されていたので、通りの反対だが行ってみた 早咲きの桜に 大勢のカメラマン 説明板に 「戻橋」という名前の由来については『撰集抄』巻七で、延喜18年(918年)12月に 漢学者三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた 熊野で修行中の子浄蔵が棺にすがって祈ると、 清行が雷鳴とともに一時生き返り、父子が抱き合ったという ・・・ MAPを持ったWさん達を見かけ 聞いてみると 名古屋から来た バスハイキングのフリーW中の 皆さん バス2台の予定だったが、1台になり それも空いていたそうだ この後、15時に 御所(500m東)で 集合とのことだった ・・ 現在 1250 |
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堀川通りを 1qほど南下 | ||||||
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二条城の北で右折 反時計回りに お城の外周を回る 北の縁を500mほど 西進 |
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続いて 西の縁を500m南下して 南縁:押小路通に入って 100mで 1本南の 御池通へ |
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すぐ 神泉苑 静・雨乞いの舞 静・義経出会った所 本殿前に 名月や 神泉苑の 魚おとる 蕪村 の句 |
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観光地らしいが、客は少なめ | ||||||
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珍しいのは 日本で唯一の恵方神社です 神泉苑の歳徳神としとくじん 令和二年の恵方(よい方向)は 申酉(西南西)の方向です その方向に向かって礼拝し、幸福を授かって下さい 神泉苑 |
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苑内を探し回って ・・・ 後の祇園祭の発祥となった ・・・ 静御前の祈雨の舞 の文字をやっと見つけた 知らないと 義経との関わりまでは 思い至らないだろう |
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堀川通まで戻って、南下の続き MAP 400m で陸橋を渡るとなっているが だいぶ前に撤去されたらしく痕跡もなかった |
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MAPは 蛸薬師通を東進 見当を付けて曲がる ・・ ここも狭い通り ここが、コース南西端 本格的に東のWST に向かう 500m ほど先に MAP:祇園祭山鉾・橋弁慶の文字 |
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MAP 1ブロック:150m先に 本能寺址の文字があるが 交差点から20mほど入った、ビルの下に 石碑があるだけで 知らないと 見つけるのに苦労するだろう ・・ 以前、他のYRで 苦労して見つけたので この辺りの見当がついた |
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山鉾は 写真でしか見たことがないが きっと 細くて高い建物に収まっているのだろうと キョロキョロしながら進む が、見つけられず ・・ それ以上は探さず、次へ |
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国道367号:烏丸通で1ブロック 北上し 六角通で東へ 通りの案内を確認して進む |
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すぐに 六角堂(頂法寺)WC を通り過ぎ もう1ブロック北の 三条通を東へ レンガ造りなど雰囲気のある建物が続く 多くは登録有形文化財 人がどんどん増えてくる |
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この通りの 目的は 弁慶石 この辺りと 探しながら進んで ビルの下にひっそりとあった |
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由来書 ・・ 意訳 この石は奥州 衣川で弁慶が愛玩していたものと言われ 弁慶の死後 この石が 「京都に帰りたい」 と泣き、 当地で 熱病が蔓延するために、室町期に京都へ運ばれたらしい 男の子がこの石を触ると力持ちになるという言い伝えが、古くから残されているようだが 庭石のように飾られ そんな雰囲気はない |
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三条名店街は 普段通り?の人並みだった 確かに 海外のお客さんは 目立たなかった |
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1420 高島屋さんに着いて ゴール 5階 スポーツ用品売場 カウンターには ウォーキングステーションのステッカーがあり YR を歩いてきましたで すぐ受付をしてくれた |
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ここで C・Pスタンプの確認 丁寧な説明 (指導?)があった ・・ いくつかある、C・P付きのYRWでも初めての経験 MAP表のスタンプ欄は1ヶ所だが、裏面にも 10個のスタンプ欄 Wが貰って来た C・P印の隣に WST確認印と日付 正しく運用すると、欄に2個スタンプが並ぶ仕組み なるほど 次回 歩く時には 今回分も押しておこう 2個空白が続くと、ゴール手続きには 行きづらい |
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それにしても、御所の橋跡:弁慶との対決地 は何だったのだろう そもそも 決闘は後世の創作で当時五条大橋はまだないらしいが それを別にしても 全くネットにも上がってこないのが不思議だった これまでにも 難解MAPに当たったことがあるが 我家での ワースト3には入りそう 通常 確認・整理を兼ねて 再訪問したくなるのだが ・・ 近くにも WST があり、組合せコースの一つとして 取っておこう |
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想定していたより、1時間ほど遅くなったが 特に予約している訳でもないので 予定通り帰りも京都駅まで 2.3q 歩く 電車移動は、最寄り駅 阪急:川原町駅か京阪:祇園四条駅 から 乗換えが必要で それほど早くない |
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京都駅隣に 電気鉄道事業発祥地の記念碑 絵の下に 日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した 即ち明治二十八年二月一日 ・・・ 今日の新幹線電車まで発展することになったのである これも 前日歩いた 琵琶湖疎水が関係していて 琵琶湖疎水の設計監督に任じられた 工部大学校を卒業したばかりの 田邉朔郎がアメリカで視察したアイデアを取り入れ、 日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設 1891年(明治24年)に運転が開始された この電力を用いて、1895年(明治28年)に京都・伏見間で日本初となる 電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった いろんな所に 繋がりがあり なかなか面白い |
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