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'20年3月6-7日(土日) YRW京都でミニ2D 計画 | |||||||
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1日目:3.6(金) YRW大津〜小関越え〜山科 | |||||||
平日金曜日 高速 深夜割引を使うと 1,000円余り安くなるが そんなに早く行くと まだ暗い? 京都2Dより 1時間ほど遅く 我家出発したが 高速入口で 湾岸自動車道 「弥冨〜長島重大事故で通行止」 弥冨ICで 下ろされ どれくらい遠回りになるか判らず困惑 パニックにならなかったのは、勝手に2Dで 時間フリーだったから 1区間の迂回で ロスは 15分くらい 南草津の宿近くに車を止め 電車で、JR:草津駅まで移動 駐車場代:600円/24h 繰返しが 660円/24h に上がっていた |
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JR:大津駅前から、すぐ西に300m 進んで WST:小川酒店さんの Aコース:大津京を訪ねる道 17qに向かう コースに入る直前 逢坂越えの車道・車石の説明板があった 逢坂越えは、日岡峠とともに京津街道の二大難所であった 峠道には、街道の保全や交通安全の配慮などから、 18世紀初頭にはすでに人馬道とは別に牛車専用の車道が設けられていた ・・・ 絵のように車道を、牛車が米穀を初め多くの重量物資を積んで京都へ運んだ 雨天時には牛車の車輪がぬかるみにとれれて立ち往生することが多かった そこで、18世紀の中期以降に車石が考え出され、車道の一部区間に車石が敷設された ・・・ 深くえぐられた轍は、牛車の頻繁な往来によって自然にできたもので、 当時の交通の激しさが想像される |
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815 県道558号:西近江路春日町交差点左折(南下) コースに入る 100mで トンネルに入る直前の JR:東海道本線を越える WSTは、500mほど 北にあるがこの時間は まだ開いていない |
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このコースは3度目で 時計回りに歩く | |||||||
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京阪電車の踏切奥に 関蝉丸神社 200mほど進んで、左カーブする線路を渡って右折 神社の奥の 崖の上に戻ってくる |
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その踏切を渡って、線路沿いに右折 右折せず直進すれば、すぐ 国道1号に合流し 逢坂峠越えで山科に至る 旧東海道のみち |
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YRのAコースは、びわ湖の山際を北上し、湖岸との間のみちを南下する 見えなかったが、関蝉丸神社の上を通り抜け 長等ながら公園東端の 近松寺・善光寺を通過 崖下の視界が開けた所で びわ湖が見えた |
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いにしえの旅をしのぶ 小関越・旧東海道が ちょうど歩いている所を案内 右端に JR:大津駅 赤丸点線が 旧東海道 ・・ 小関越えのあと、YR=Bコースで 旧東海道に入る 赤線が ハイキングコースで、上辺が これから向かう 小関越 ・・ 現在地は小関越に入る手前 左側 赤線分岐が YRコースBの東橋 |
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峠みちへの 目印:大津大神宮 前を通り過ぎ 少し距離はあるが 「最初の道で左折」 |
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油断して 通り過ぎそうになったが ← 長等ながらの里 の看板があった |
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通過しそうになり振返って発見 大津散歩道:逢あのみち 湖このみち 山歩さんぽみち 現在位置の先に「小関越えの道」 ・・ コース確認 OK ・・ かなり 痛んだ案内板だった 835 GPSでは 1.6q / 20分 + 4分 ペースが上がっていないのは、小関越に備えてセーブ ということに ここで この日のAコースを中断し 小関越で Bコースに向かう |
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40mで 石造小関越道標 隣の 説明に かって東海道の間道として利用され、西国三十三所観音巡礼の 第十四番札所:三井寺と第十五番:京都今熊野観音寺をめぐる巡礼道でもあった |
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住宅地を抜けることから、みちは細くなり 車が案外通り 譲り合いながらすれ違い |
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峠に 地蔵堂があり すぐ 峠みち 唯一の分岐 ・・ 探しながら進んで |
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分岐というより脇みち その入口に 大津散歩道:逢あのみち 湖このみち 山歩さんぽみち 分岐の奥に 大津市企業局の白い 建物が透けている 峠付近の建物は これくらいしかないが 分岐を通過しないと見えない |
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大津市企業局建物の裏(下)側を通って、 勾配のあるみちを下っていく Bコース終了後の復路で ・・ 上ることに |
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フェンスの中に 琵琶湖疏水:第1竪坑(シャフト) 明治18(1885)年に 第1トンネルは大津の三井寺下と藤尾の両端から掘りすすめられました 同時に、全長の1/3のところに第1竪坑(たてこう)を掘り下げ、その底から東西両側の 出入り口に向けて掘りすすめ、明治23(1890)年に 第1トンネルが完成しました 竪坑の深さは約50mあり、工事の促進・換気・採光のためにつくられました 当時日本で一番長いトンネル(全長:2,436m) となった 工事は 第3代京都府知事の北垣国道が 灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画し、主任技術者として、 工部大学校を卒業したばかりの 田邉朔郎を任じ、設計監督にあたらせた 大胆な ワクワクするような話があるらしい |
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第1竪坑を通り過ぎ 5分ほどで 普門寺横を通って、国道161号 = 西大津BPを くぐり抜け BP沿いに 400m ほど南下 |
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907 Bコース東北端 びわ湖疎水と旧東海道コース:12qに 峠みちGPS:2.7q / 32分 + 5分 峠を越えたが、ここはまだ 大津藤尾 Bコースも 左方向で 時計回りに進む |
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コンビニの隣が トンネルから出てきた JR東海道本線 峠越えしている間、東海道本線はトンネルの中だった |
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国道161号:西大津BP下を500m南下し 藤尾小を回り込んで、BP出口下の 住宅地へ下りる 初めて歩いた時 BPに迷い込んでおろおろ あやうく通報される所だった 迷った場所ほど よく覚えている |
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300mほど BP下を進んで 正面に 井筒八ッ橋店 その右手 手前に見えているのが 「バイパスの地下道を歩く」 入口 |
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地下道に入り 京浜電気鉄道:京津線と県道143号:西大津BP をくぐり抜け 井筒八ッ橋店の左側土手の歩道橋で 国道1号:東海道を渡る |
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国道1号の南側を200m 西に進み 歩道橋で 国道1号の北側に戻る 歩道橋上り口に 旧東海道をお歩きの皆様へ この歩道橋をお渡りください そのまま 50m 進み斜め右へ 府境まで300mで京都市に入ります(車両多し) |
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歩道橋からの眺め 国道1号線と県道143号線 左手 500mに名神:京都東IC. 右下の道路突当りに三差路 斜め右へ 旧東海道を歩く人も多いのだろうが みちが変わりすぎて、迷う人も多いのかも |
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その三差路 斜めっている電柱に 旧東海道の表示 |
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ここにも、車石 の案内 ・・・ 京都の心学者脇坂義堂は、文化2年(1805)に1万両の工費で、大津八町筋から 京都三条大橋にかけて 約12qの間に牛車専用道路として車の轍を刻んだ花崗岩の 石を敷き並べて牛車の通行に役立てました これを車石と呼んでいます 大津駅近くで見た説明 深くえぐられた轍は、牛車の頻繁な往来によって自然にできた ・・ とニュアンスが異なるが 解釈の違いで 案内溝くらいは刻んだのかも |
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真直ぐ西へ 旧東海道を進んで 京阪電鉄:京津線・四宮駅前を過ぎ 六角堂通過 |
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続いて、山科駅前交差点通過 100m 右手に JR東海道本線・山科駅と 京阪山科駅 ・・ さきほどの四宮駅から 600m の駅 駅前から 200m で |
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941 WST:リカーコレクション 龍野 3回目の訪問で 初めて シャッターが上がっていた 東海道! ちょっといっぷく 「酒の駅」 ・・ この名前の駅は初めて見た ドアに ウォーキングステーションのステッカー JWAや京都WAのHPの案内は 定休日:日・祝日 受付:1030〜1800 前回訪問時に貰ったMAPに 定休日:日・祝日 受付:930〜2000 店が閉まっていても×× まで 対応しているので、あまり気にする必要はない |
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リスタートして 300m 史跡 五条別れ道標 右ハ三条通 左ハ九条橋 |
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143号:三条通にぶつかり右折 JR:東海道本線をくぐり抜け | |||||||
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50mで みどりの径へ | |||||||
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ただ みどりの径を歩くのは 1ブロック:100m だけで すぐ 斜め左のみちへ ここも、初回は まっすぐ進み 三条通に戻ってしまい迷走した所 |
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住宅地の 斜めみちを進む 旧東海道→ の案内 ジワジワ上る 路地みちを 1qあまり 進む |
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車一台の狭いみちを 結構車が通る MAP:旧東海道碑 その先は、県道143号:三条通 |
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100m ほどで 三条通に合流 信号交差点の先に MAP:牛車モニュメント ここからが 京都への入口になる 日岡峠 石碑に 平成九年十月の京都市営地下鉄東西線の開業に伴い 廃線となった京阪鉄道京津線の軌道敷地を利用し 三条通の四車線化及び歩道の整備事業を実施した ・・ 往年の牛車を模した広場を設置する 平成十六年一月 京都市 |
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1011 Bコース西端 折り返し点 牛車が再現され 予想以上に深いU字型の 轍 |
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「牛車モニュメント」で折り返して 県道143号線(三条通)を東へ 500m MAP:佐々木内科で左折(北上) |
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住宅地を通り抜け | |||||||
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琵琶湖疎水に到着 疎水は 清掃作業中 ・・ 枯れ枝や砂を何杯も袋に詰込んでいた タイヤの切れ端もあったが、これも 疎水に入っていたもの? |
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そばの案内には 東山自然緑地再整備工事予定 令和2年1月末から 3月 広場整備・園路整備や 樹木伐採・植栽 など 京都市建設局南部みどり管理事務所 工事の管轄が 建設局となっており 疎水整備も この工事の一環なのかは判らなかった |
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日本最初の鉄筋コンクリート橋から 第3トンネルを望む トンネルの先は ねじりまんぼ・蹴上インクライン や南禅寺 |
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「扁額でたどる 琵琶湖疏水」の「第3トンネル入口部の扁額」説明板 過雨看松色(かうしょうしょくをみる) 松方正義 筆 時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・盧綸の詩) 京都市上下水道局:HP びわ湖疏水:疏水名所案内から 引用転記 同 HPの 琵琶湖疏水のご紹介 も読みやすくまとめられています |
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ここから Bコース東端まで 4qほどを疎水沿いを進む 左に小さな山が迫り 右下は山科の住宅が連なるみち 第3トンネルから 200mほどで 第2トンネルを通り過ぎる 出口(西)の扁額は 隨山到水源(やまにしたがいすいげんにいたる) 西郷従道 筆 山にそって行くと水源にたどりつく 入口(東)は 仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ) 井上 馨 筆 仁者は知識を尊び,知者は水の流れをみて心の糧とする(論語) |
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公園は ジョギングコースになっていて 平日でも何人かとすれ違う 総合案内板には 片道 3,300m ・・ 略図入りの説明 と 100m/45秒〜30秒のペース早見表 ・・ 1q/7'30"〜5'00" 案内板は 京都市建設局公園管理課の名前が入っていた 疏水は水道局 遊歩道は建設局 の管轄らしい 赤い橋を渡った左に 大本山本圀寺 疎水の右側は 天智天皇陵 |
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東山自然緑地再整備工事:広場整備・園路整備や 樹木伐採・植栽 など ベンチやトイレが造られたり 老木やバランスの悪い樹木を伐採する一方で、苗木が植えられていた |
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緑地の下は JR:東海道本線が通り、山科駅が近い 往路で歩いた 旧東海道まで 近い所では 約 200m |
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水が止められた 琵琶湖疎水では、川底にライン引き どれくらいのペースで実施されているのか判らないが、めずらしい光景 |
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山科疏水公園 疎水路跡を整備して公園にしたもの 新型コロナウィルス対応で 早い春休みの子供たちの姿も 説明板には 昭和に入り 当時の国鉄が、京都〜草津間の輸送力の増強や 湖西線新設のため疎水路の近くを走る軌道の増設を計画 疎水路と軌道が接近して危険な状態になる 四宮から安朱までの 区間 約800m の水路をトンネル構造に変更し 昭和45年に 諸羽もろはトンネル(520m)が完成しました |
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また 明治23年 山科運河図 四ノ宮:田村宗立 水路には 四ノ宮など 5ヶ所に水路の幅を広げて船をつなぎ留め、 荷物の積下ろしや船頭たちの休憩場所として使われる船溜まりが設けられた 牛車での搬送から、船に切替わったのがよく判る (Wikiには) 舟運については、開通から十数年は客貨とも大いに利用された 貨物では、大津からの下りは米・砂利・薪炭・木材・煉瓦など、 伏見からの上りは薪炭などであった しかし競合陸運(主として鉄道)の発展により衰退し、 伏見行き下りは1935年にゼロとなり、大津行き上り貨物は1936年以降なくなった |
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初めて疎水沿いを歩いた時は 右側JR:東海道本線の上を歩いたが 2回目以降は MAP通り左側 疎水沿いを進んで |
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第1トンネル出口(西口 大津市:藤尾) 扁額は 廓其有容かくとしてそれいるることあり 山縣有朋 筆 悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは、大きな人間の器量をあらわしている |
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1128 Bコース東端到着し ゴール GPS:15.2q /179分 + 41分 アップダウンがあったが 3度目の疎水歩きで 迷わず 想定より 30分ほど早い ほぼ中間点 小関越で 後半Aコースに戻る 少し早めの昼食と、エン分補充 |
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レポが長くなったので ここまでを前編とします | |||||||
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