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 21.4.11(日) 第17回 秩父いってっぺえW2D:2日目を歩く
 

 2日目の予報も前日とほぼ同じ
  晴れ:7-14℃ 風:1〜3m/s

 雨の不安が無いのは
  Wにとって 何よりのおもてなし

 チェックアウトして宿を出るが
  初日に 車の留置確認
  いいですよと 了解を貰っているので
  荷物を放り込み 駅に向かう
   
 1日目と同じ 御花畑駅
  スタート駅は遠いが 時間が30分遅いので 同じ 817発の電車だが
  やってきたのは、アニメにラッピングされた電車

 ググってみると
 「あの花」10周年を迎える2021年は様々なイベントを予定しており、
  さらに盛り上がる聖地・秩父をお楽しみください!!
 「空の青さを知る人よ」 聖地シールラリー2021を
  4月3日(土)より5月5日(水・祝)まで開催します
 ちょうど ラリー開催中のようだ

 秩父が舞台設定のモデルになった
  アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(「あの花」)は
  平成23年4月から フジテレビ“ノイタミナ”ほかで放送され、
  全国からファンが訪れアニメの聖地となりました
 2013年8月31日からは「劇場版あの花」が全国で公開され大ヒットを記録しました
  そして2015年9月19日より、あの花スタッフが贈る感動青春群像劇
  第2弾映画「心が叫びたがってるんだ。」(「ここさけ」)が公開され大ヒット!
 そして、秩父が舞台の三部作目となる
  アニメーション映画『空の青さを知る人よ』(「空青」)が2019年10月11日公開されました!

 あの花・ここさけ・空青 ・・ 三部作 知らなかった
  アニメ 聖地巡礼の先駆けなのかも
 850 野上駅から 5分のスタート会場:多世代ふれ愛ベース長瀞 到着
  乗客の 後方で歩いたら 会場外まで行列だった

 受付&スタートは 900-1000
  前方に歩き出しているWさんが見えるので 受付開始は 前倒ししたようだ
  今日は 2日目 大半の人はスタート印だけで いいはずだが ・・・

 事前申込み・当日受付2日目・この日だけの当日受付
  検温確認・スタンプ押印 ・・・

 コロナ禍での NEW コース
  スタッフさん達にも初めてが多すぎた?
 左 今日のコース:花の長瀞・ジオパークみどころ発見コースのMAP
  荒川・秩父鉄道の左右を 行ったり来たりしながら 南下するワンウェイ
   ・・ 荒川の上流に向かうのに 南下(下るのニュアンス)は へん?

 右は 受付時に渡された
  コース上にあるジオパーク秩父の見どころを掲載したリーフレット

 MAPに スタート時にお渡ししますと書かれているが
  一般の観光案内ではなく、コースMAP入りで 新たに作られたものだった
 @〜R まで
  写真付きで 説明文がついているので これを確認しながら歩く事に
 900 スタート
  ちょうどいい塩梅にばらけ 遊歩道も歩きやすい

 すぐ 北桜通に入って南下
  今年の桜 ほぼ 葉桜状態
  コロナもあり 花見客はいなかった
 すぐ左に 荒川が流れているが 川面はなかなか見えない

 @ 金石水管橋 人道橋 は気づかず通過 ・・ 木立の隙間に橋が写っている
  名勝・天然記念物「長瀞」に 昭和56(1981)年開通
  それまで 荒川の最後の渡し舟があった
 2qあまりで
  線路:長瀞駅にぶつかり 左側から 駅表に回り込む

 奥に見えているのが
  1日目:新皆野橋から見えていた秩父を代表する山のひとつ 宝登ほど山:497m
 豪快な水しぶきの 長瀞ライン下りの案内
  この後渡る 親鼻橋からこの岩畳:長瀞ライン下り本部まで 約3q(約20分)
  更に高砂橋まで下ると こちらも 約3q(約20分)料金は区間:1,800円 通しで 3,300円

 歩くより少し早いスピード
  方向が逆なので、Wコースには ならない
  それにしても いいお値段
 踏切を渡って 駅前に出ると 賑やかな所に出た
 A 長瀞駅
  明治44年(1911)に 宝登山駅として開業
  長瀞が地質見学地として有名になり、大正12年(1923)長瀞駅に改称した
  開業当時のままの駅は 平成9年 関東駅 百選に選ばれている

 駅前に「長瀞は天下の名勝」と刻まれた大きな石碑がある
  昭和2年(1927)に東京日日新聞の 日本百景 に長瀞が選ばれたことを記念し
  翌3年 88歳の渋沢栄一氏の揮毫を稲井石(仙台石)に刻み設置された
 今年話題の人だが 写真は撮り損なった
 宝登山神社の表参道
  秩父神社・三峯神社とともに秩父三社の一社
  宝登山山頂には奥宮(おくみや)が鎮座する
  ・・ ロープウェイもあり 観光客も多そうだ
 大鳥居をくぐり抜け 宝登山参道を進む

 前方 2DW応援隊の背中には
  大会開催 ありがとう
  ・・ 同感です
 神社まで 500mほどだが その手前で左折

 B 旧新井家住宅・長瀞町歴史資料館へ
  昭和46(1971)年に国の重要文化財(建造物)に指定
  名主を務めた養蚕農家の、江戸時代に中期に建てられた住宅
  板葺きの屋根が特徴
 郷土資料館は、昭和55(1980)年に開館
  長瀞町の歴史を、太古〜古代〜中世〜近世・近代の4つに分けて展示

 興味深いが ウォーキングなので スルー
 住宅の隣は
  長瀞花の里や田んぼが広がっていた
  以前は ここも 名主さんの土地だった?
 田んぼみちから 丘陵(野土山ハイキングコース)を通り抜け
 丘陵から下り
  離れていた 荒川岸に戻る
  線路を渡って
 荒川岸の 南下再開
  ここは 南桜通り

 C 南桜通り
  明治44(1911)年 旧秩父駅(皆野町金崎)まで開業した時の線路敷跡
 250mで C 埼玉県立自然の博物館
 大正10年 秩父鉄道が 秩父の自然を紹介する 「秩父植物鉱物標本陳列所」を設置
  昭和24(1949)年 「秩父自然科学博物館」 を設置 昭和54年 閉館
  それを引き継ぎ 昭和56(1981)年に 埼玉県立自然の博物館へ

 「過去から未来へ 埼玉3億年の旅」 をテーマに
  化石や鉱物、動物のはく製を展示
  埼玉に生息する動植物が見られる大ジオラマもある

 MAPに 河川敷きの 虎岩が 写真付きで紹介されているが
  コースから約140m ルート不明でスルー
 500m 進んで D 秩父鉄道 荒川橋梁
  秩父鉄道は 大正3(1914)年に荒川橋梁が完成し、現 秩父駅まで開通した
  橋梁北詰の下をくぐる町道は 旧秩父駅(皆野町金崎)まで開業した時の線路敷跡
 線路は 列車と撮らないと と言っても
  めったに 通らないヨ 言われ
  くぐり抜けた途端に 通過した
 金崎交差点で 国道140号:彩甲斐街道に合流し 150mで
 E 親鼻橋:荒川 を渡る
  上流右岸には 紅簾石片岩が突出している
   正面 川岸の岩
  明治21(1888)年 小藤文次郎博士が世界で初めて報告
   暗紫色〜深紅色の美しい岩石で、マンガンに富む
   岩の上には大きなポットホール(甌穴)がある

 この岩から下流、高砂橋までが 国の名勝・天然記念物 「長瀞」 の指定地
  その区間で ライン下り が運行されており 橋の下流に乗場がある
 橋を渡って直ぐ右折
  国道と別れ 荒川と並行する県道37号:親鼻通り へ
  400m余りで 親鼻駅前通過
 住宅地を700m ほど進んで
  栗谷瀬通りを横断し左折
  横断歩道のない所で スタッフさんの誘導に従う

 左に 信号交差点が見えているが
  その手前に側道がなく ここでの横断誘導しているらしい
  ありがとう御座います お疲れ様
 右側:真っすぐのみち(大浜街道)の 遠くにWさんらしき2人連れが見えたが
  矢貼りは 左の県道37号へ
 町の中心に近づき 見覚えのある火の見やぐら
  昨日:1日目 皆野駅から会場に向かうのに 半数はここで バスに乗っていた
 昨日下りた 秩父鉄道:皆野駅
  駅南側の踏切通過

 正面は 宝登山
  すぐそばに見えている
 駅から道なりに 600m ほど進んで

 F 皆野町大浜 椋神社
  「ハマ」は 海岸・川岸の崖や急斜面を表すという
  ここでは段丘地形を示す
  その段丘崖は 椋神社の西にある

 昨日は そのみちを通って 椋神社の金子兜太句碑
  おおかみに蛍が一つ付いていた を見たが
 ジオパークの見どころ的 意味もあったとは
 1037 神社角の交差点 こちら側は 昨日も立寄った
  新井武平商店 (途中唯一の) チェックポイント 8.8q 地点 / 97分
 熱いくらいの味噌汁の振舞い
  ちょうどいい 休憩になった
 リスタートして 椋宮通りを東に向かい線路を渡り
  県道206号:上原通りにぶつかり右折 南南東へ向かう
 昨日は 県道を200m で新皆野橋を渡ったが
  この日は そのまま 県道沿いを直進 橋から170mで

 G 円墳大塚古墳
  昭和33(1958)年 埼玉県史跡に指定
  7世紀前半につくられた秩父地方最大の切石古墳
  墳丘は葺石が施され高さ6m 径30m
  片石を積んだ石室は全長7.8m 羨道は狭いが、玄室は約7畳
 写真 左端に 円墳の端が見えている
 古墳から250m 国道140号:彩甲斐街道に合流し 秩父市に入る
  正面に 武甲山が見えるが この日は霞んでいる
  道路 右脇を秩父鉄道 その100m 奥に並行して 荒川が流れている
 コースは一旦 左の集落のみちへ

 H 木毛きもうの 出牛じゅうし - 黒谷くろや断層
  木毛から黒谷は、秩父盆地の東縁をなす 出牛-黒谷断層に沿って
   蓑山の麓、秩父盆地の東端を歩く
  山裾には山から流れ出した土砂が、小規模な扇状地をつくっている

 断層の文字を見て それらしき物を探しながら歩いたが
  土砂の 扇状地を見せたかったらしいので この写真で正解
 国道に戻って I 聖神社と 和銅遺跡の案内板

 I 聖神社
  続日本書紀に秩父郡から産出した和銅の奉献が記されている
  この和銅奉献を祝い 元明天皇の勅使により祀られた祝山の神籬ひもろぎ
  元和2年(708)に現在地に遷座、創建された社と伝わる

 案内看板に
  銭神様のご利益 お金儲けの縁起の神様とある
  何故か 曲がり角を間違え 結局スルー
  ・・ 金儲けには縁のない家なので しょうがない
 300m 進んだ所に
 和銅開珎モニュメントの案内
  直径4M 大きな円は天を
  1Mの四角い穴は地をあらわすという「天地和同」  
 隣に 和同露天掘り跡へ の案内板
  この道は和同露天掘り跡への近道で、距離約480m 約8分で到着します
  ・・・ 和銅採掘露天掘跡の近くには、和同開珎を模した巨大モニュメント

 折角だから行こうか? 8分?
  話していると、地元の方が 上り下りがあり 少し掛かります
  主人も毎年 秩父まで歩いてます と、教えてくれた
 前日もアップダウンは歩いてるので パスする事に

 案内板左下写真は これから向かう 内田家住宅
 その 内田家住宅まで 3分
  お茶と漬物が振る舞われた
 J 内田家住宅(黒谷)
  昭和54(1979)年 秩父市指定有形文化財(建造物)
  名主を務めた養蚕農家の、江戸中期に建てられた住宅

 隣の説明に
  ・・・ 土間の柱は手斧仕上げ、広間の上部に曲がりくねった
  太い横木がたてよこに組まれ、その下に神棚がおさめられている
  この建てかたは、秩父地方の大工のすぐれた技術によるもので
  県内には他に例のない住宅である ・・・
 荒川 東岸の見どころは一旦終了
  ゴール手前の終盤まで 西岸を進む

 国道に続いて 秩父鉄道横断し
  招木古墳通りを 西へ
 200m で和銅大橋:荒川を渡って 西岸へ
  宝登山が 少し遠くなった

 K 諏訪城跡
  和銅大橋の上流で、荒川に横瀬川が合流する
  30°ほど傾いた地層は、浅海に堆積した砂岩泥岩互層
  切り立った崖の上は天然の要害をもつ、戦国時代の諏訪城跡
  城主は 鉢形城主北条氏邦の家臣諏訪民部と伝わる
 上流 横瀬川が合流する地点 ・・ 右手後側 見ても判らなかった
 橋から 100m L 飯塚招木古墳群
  すべてが円墳で その数125基を数え 築造時期は7世紀〜8世紀初期
  家を単位とした家族墓的性格をもつ
  石材は荒川の川原石と古秩父湾堆積層の砂岩を使用

 奥に 石碑があったので判るが 小さな古墳
  この先は リーフレットの見どころもまばらに
 住宅地を微妙に上りながら西へ
  道なりに左カーブし 徐々に南西に向きを変える
 古墳群から 1qほど進んだ田んぼの先に
 
 M 内田家住宅(蒔田)
  蒔田は荒川と赤平川に挟まれた、尾田蒔丘陵内の小河川沿いの土地なので
  奥秩父の石が運ばれて来ないので、泥が積もり 水田が広がっている

 内田家の祖先は鉢形北条氏の家臣で、永代名主を務めた家柄
  住宅は 江戸中期の享保16(1731)年に建てられた養蚕農家
  入母屋造り、茅葺の堂々たる外観の秩父市唯一の国の重要文化財
 MAPに
  蒔田の田園のコメントで写真が入っているが
  M の理由で 秩父で 水田は貴重な風景のようだ
 内田家住宅から 更に1q進んで やっと方向転換
  スタッフさんの誘導で 道路横断:左折 道なりに南下へ
 また 短い峠道を進む
  割合 勾配があり この日最大の難所?
 1q足らずで
  県道44号:秩父児玉線にぶつかり右折
  前方 200m に荒川
 右折し南下
  荒川が蛇行しながら 左側を流れている
  正面の 武甲山が 随分近くなったが 相変わらず霞んでいる

 寺尾交差点は Y字の右側に矢貼り
  左は その先で 秩父橋で荒川を渡る
 ぼちぼち MAPの札所21番 観音寺・WCと思ったら
  直前に 綺麗に手入れされた 観光トイレ があった
  札所巡りの 巡礼さん用?

 道路標識は秩父ミューズパーク↑2q

 この日のGPS
  距離:21.9q
  IVV認証:22q


 最大標高差:約100m
  獲得標高:約220m
  5q地点を過ぎて 一貫して上り
  12qほどで 約100m ≒ 0.8%の勾配
  意識しないが 目に見えない負荷
 認証距離に 上り係数を要求するほどでもない

 ジオパーク見どころ発見コースで
  河川敷き歩きもあるかと期待したが
  全部 オプションだったらしい
  初めて歩くには ちょっと厳しい

 現在位置は 札所21番 観音寺
  ゴールまで あと5qほど
 1220 その観音堂
  道路から 写真参拝で失礼
 境内入口に 江戸巡礼古道 寺尾みち
  ← 22番寺 はこれから向かう 童子堂

 秩父札所について ( 秩父三十四所観音霊場 HPより )
 秩父札所三十四ヶ所観音霊場は文暦元年(1234)甲午三月十八日開創と伝えられ、
  長享二年(1488)の秩父札所番付 (長享番付 札所三十二番蔵)が実在することから、
  室町時代後期には秩父札所が定着していたと考えられます。
 江戸時代に入ってからは、多くの江戸庶民の観音信仰巡礼の聖地として賑いをみせました。
 今日もその当時の趣きを残しつつ、一番四萬部寺から三十四番水潜寺まで
  静寂な山村と美しい自然の風光を背景した一巡約100km程の巡礼道です。
 この間、ある時は谷をわたり、山路をたどり、野づらを横切っての巡拝は
  秩父札所ならではのものでしょう。
 西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに日本百番観音に数えられています。
  自然を大いに感じていただき、観音様とのご縁をお結びください。

 徒歩ですべて回ると 約100q らしい
 県道72号:秩父荒川線を1.2q南下
  途中JAちちぶ(WC) 17.3q地点通過

 道路の先に 秩父公園橋(秩父ハーブ橋) が見えている
  真直ぐ進んで橋を渡れば近いが
 コースは 札所22番 童子堂の案内に従い 道路を横断して参道へ
 1235 N 札所22番 童子堂(永田城跡)

 東を荒川の段丘崖 北と西を空沢の谷に囲まれた天然の要塞
  南側に土塁と空堀が残る
  戦国時代の初期 永田林四郎が、戦国末期には諏訪七左衛門が居城にしたという

 観音堂は府坂にあったが、明治43(1910)年に現在地に移築されたもの
  子どもを病魔から救う観音様ということで童子堂と呼ばれる
 童子堂から 200m 南下し 公園橋に近づいた後
  V字ターンで 北に 400m
 荒川の段丘崖を下り
 改めて 公園橋へ向かう
 実際に渡るのは
  その下の O 武之鼻橋

 以前は 「竹の鼻の渡し」 があり、安永年間(1772〜1780年)には
  平賀源内が鉄や木炭の運搬に利用した河岸もあった
 昭和28(1953)年竣工
  秩父川瀬祭りの 「神輿洗い」は この上流で行われる
 平成5(1993)年 橋の真上に秩父公園橋が架けられた

 面白い構図だが 曇って 武甲山がスッキリしないのが おしい
 対岸の 河岸段丘をジグザグと上り
  10分ほどかかって 公園橋の袂に着いた時
  公園橋を渡ってくる 若干名の歩行者さんが見えた

 1日目に渡った 巴橋の 3qほど下流で 荒川を渡り
  南下しながら ゴール会場:秩父市役所を目指す
 P 秩父駅前通り
  1993年の土木学会田中賞を受賞した、秩父公園橋から秩父駅への直線道路は
  荒川に沿う段丘地形を横切っているので、階段状の河成段丘がよく分かる
  (断面図も入っているが、理解できないので省略)

 街灯の番号は番地?
  その下に ありがとう! 西武秩父線開通50周年
 突き当りの 秩父鉄道:秩父駅手前で右折 番場通りへ
  市役所のある 御花畑駅周辺より賑わっている
 秩父まつり会館 手前(背中側)が Q 秩父神社

 秩父神社は杵の森にかこまれ、周囲よりも 2.5m ほど高い
  この段丘面が川原だったとき 中州であったと考えられる
 秩父神社は 2100年余り昔 知知夫国初代国造りの知知夫彦命が
  祖先の八意思兼命やごころおもいかねのみことを お祀りしたことに始まるとされる
 社殿は天正20(1592)年に徳川家康が寄進したもので
  埼玉県の有形文化財に指定されている
 R 札所13番 慈眼寺

 秩父夜祭の際、御旅所への屋台・笠鉾引き上げで有名な
  「団子坂」(段丘崖)の下にあり 崖の下観音ともいい、眼病にご利益がある
  この段丘には清冽な湧水があった
  この霊水で目を清めると眼病が治ったであろう
 門前の番場通りは、秩父が銘仙で栄えた 昭和初年の建物が残り
  その多くが 登録有形文化財になっている

 ここまで スタート時に渡された レリーフ(A3裏表)
  今回の NEW コース(MAP入り)に沿っており
  こんな丁寧な 説明書は2DWでは 初めてだった
 ただ テーマのジオパークは 歩くだけではなかなか実感できないものも多い
 1320 ゴール
  適当な場所を見つけれず 昼食なしで歩いた
  会場で 持ち歩いたパンに 饅頭を買足し 虫抑え

 もう少しで 太鼓の演奏が始まるようだったが
  宿に戻って 我家へ 甲府から高速に乗り 我家着20時前
  早朝移動なら 5時間半ほどで 当日でも移動可能だろう

 この日のペースグラフ
 
 緩やかな上りベースのみちが効いたのか
  信号の少ないみち・昼食休憩なしだったが
  5q/h余りのペース
    ・・ まぁ 実力相応

 移動日を含め 3日間傘要らず
  初めてのみちは 意外な事も多く
  新鮮で 面白かった

 ジオパークは
  ブラタモリで? もう少し勉強が必要
 レポを書いている間に まん延防止条例適用が 愛知県(名古屋市)適用へ
  県内の例会は?

 成田エアポート(FAINALイベント)も 微妙と思いつつ 受付最終日に 振込んだ
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