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'24年2月11-12日(日月祝) 奈良県YRWで2DW計画 | ||||||||||
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飛鳥歴史公園館:飛鳥の古墳・石造物と高取土佐街道コース | ||||||||||
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926 2日目に歩く WST:ASA橿原神宮店の近くに駐車 受付時間:800〜1200のため 手続きに訪問 恰好を見て Wですネとスムーズに(IVV)手続きして貰えた これで、2日目は 宿に近い所から歩ける |
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徒歩 5分の駐車場に戻り 934 見瀬交差点から この日の飛鳥歴史公園館のコース スタート J ・・ 169号(中街道)の信号交差点へ 信号横断後、大きなマンション脇を直進し、最初のまちかどを 左折 畝傍東小学校方面へ 正面の建物が 「大きなマンション」 |
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コースは JWA-HP掲載のMAP使用 別紙の コース補足説明 を参考にしながら歩く ただ、1項目が長く どこの説明かわかり辛かった |
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K 畝傍東小学校を過ぎ、突き当りを左折。 その後すぐに左折 孝元天王陵と石川池を見ながら進み、最初の信号を右折する 案内板に 正面が 孝元天王陵:0.1qの案内 行っても看板くらいしかないので スルー |
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L 124号線を飛鳥方面に 1.2qほど進み、豊浦へ 飛鳥川で突当りを右折後、右手に見える甘樫丘展望台へ 124号線 予習で 迷いやすいY字路発見 ここは、左が道なり 124号線 |
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飛鳥川に向かう 途中のビニールハウスでは いちご狩り この日 あちらこちらで いちご狩りを見た |
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飛鳥川に突き当たって 右折 川沿い 200mで 甘樫丘地区へ |
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L ・・ 国立飛鳥歴史公園甘樫丘地区内(WCあり)の園路を進み 川原展望台を見ながら東側の道路へ降りる 1002 甘樫丘展望台に向かう 最終目的地は 川原展望台したの 東側道路 |
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園路を上ってきたが 甘樫丘展望台は 左手 川原展望台は 右手(看板の右端) 甘樫丘展望台は 2日目コースに入っているので このままスルーした |
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飛鳥の中心にある標高148mの緩やかな丘 かっては 蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子が権勢を天下に示すために 丘の麓に居宅を築いたといわれる 低い丘だが 馬の背の峰みちもある |
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西に見えるのは 畝傍山 その麓が橿原神宮 左遠方に 薄っすらと見えているのが 多分 二上山 |
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川原柑橘園 階段が 展望台? スルー |
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M 信号のある交差点(155号線)を過ぎて直進。 1024 東側の道路に降りて来た 幟で判るが シックな外観のコンビニ 交差点の70m先 左に 何度も見た 亀石 スルーして直進 |
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M ・・ 右手に天武・持統天皇陵を見る | ||||||||||
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壬申の乱(67.2年)に勝利し、律令制の基礎を築いた天武天皇と その皇后で次に即位し、天皇としてはじめて火葬された持統天皇が 合葬されている御陵(檜隈大内陵)である |
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M ・・ そのまま道なりに直進し国営飛鳥歴史公園館でフィニッシュ | ||||||||||
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1045 国営飛鳥歴史公園館 YRWに来ましたで スムーズに手続き出来た 頂いたMAPはネットで入手したものと同一だが A3カラーで見易い ノルディックポールの貸出もあり 周辺を歩くは多いようだ |
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@ 国営飛鳥歴史資料館を出発し、 国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区内の園路を進む 資料館をサラッと見て すぐリスタート |
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@ ・・ 中尾山古墳・高松塚壁画館・高松塚古墳 を順に見ながら文武天皇陵へ 中山古墳・高松塚壁画館・高松塚古墳を順に見ながらとなっているが 案内看板優先したら 中山古墳は 通過し損なった |
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高松塚壁画館 HPに ・・ 男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれていますが、 中でも西壁の女子群像は色彩鮮やかで、歴史の教科書をはじめ さまざまな場所でカラー写真で紹介され、 「飛鳥美人」のニックネームで知られています。 奥の北壁には四神のうちの玄武が描かれ、 天井には星辰が描かれています。 天井画は、円形の金箔で星を表し、 星と星の間を朱の線でつないで星座を表したものです。 |
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高松塚古墳 外観は きれいな 二段円形になっている |
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A 文武天皇陵前の下り坂を西に向かう 商店のある村道交差点を左折し、900mほど上り坂を進む 2DWでも使っていた 休憩所(文武天皇陵)を回り込み 下り坂を西(右手)に 向かう |
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商店のある村道交差点を左折し、900mほど 上り坂を進む 上り坂は 600mほど先 右奥の 明日香村近隣公園で 何かのイベントがあるらしく 家族連れなどが行き来し 交通案内のスタッフさんだった |
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表示がうまく撮れなかったが 2/8〜2/18 実証実験中の自動運転バス:運賃無料 運転手さんはバス停では すぐハンドルを掴めるよう構えていた 結構疲れそうに見えた |
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B 左方向に見えるキトラ古墳周辺地区展望台へ その後キトラ古墳壁画体験館(WCあり)・キトラ古墳を見る 1120 上り坂 勾配がきつくなり 丘の上に近づいた所に 展望台の柵が見えた コースは 展望台から歩道の左先の 古墳壁画体験館に降りて行く ジョガーさんやランナーさんを見かけたが 3.10(日) ここで ハーフマラソン 細かな アップダウンがある ハードなコースのようだ |
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ジグザグ展望台に上がって来たが 階段コンクリート 養生中で立入禁止だった |
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振りかえると 結構な 上り坂だった 左手奥が 明日香村近隣公園だが イベントは見えなかった |
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歩道に戻って キトラ古墳壁画体験館 四神の館 入口は ・・ |
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階段を降りて 地下1階になっていた 地下1階は、 キトラ古墳やキトラ古墳壁画を分かりやすく、楽しく学べる施設 地上1階の「キトラ古墳壁画保存管理施設」では、 実物の壁画や出土遺物を保存管理する施設になっている |
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B ・・ 林道に戻り、 近鉄壺阪山駅方面に向かい、道路突当りを横断し 1144 地下1階をサラッとみて リスタート |
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緩やかな下りを 500m進んで 突き当たって 左折 |
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B ・・ 左折 800mほど道なりに歩く 丘陵や林と畑の中に 民家が点在 |
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C 上子島を右折して高取幼稚園の前を通過 上子島の目印は 右折のすぐ先に 橋:高取川 ・・ 見える?と注意していたら 素通しで すぐ判った |
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1159 高取幼稚園の向かいに高取児童公園 塀際にベンチがあり 風も無かったので 短い昼食休憩 |
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C ・・ 高取土佐郵便局の交差点を右折し土佐街道へ入る 夢創館(WCあり)・くすり資料館を見ながら道なりに進む 石川医院・高取郵便局を過ぎて、近鉄壺阪山駅方面へ左折 1213 リスタート すぐ 高取土佐郵便局で右折 2DWで何度か歩いた 土佐街道を進む 残り 10qほど 難しいみちは終わり 見所は 欽明天皇陵・植山古墳・益田岩船の3ヶ所 ゴールまで 2時間くらい |
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覚えのある 街の駅 お人形さんは 3/1〜31:町家の雛めぐり 高取町の街道筋の町家、商店等にお雛様を展示しています 案内のポスターには 今年最終回 第18回 ありがとう そして、さようなら ・・・ のコメントが入っていた |
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夢創館・くすり資料館・石川医院・高取郵便局を過ぎ | ||||||||||
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土佐街道まちなみ作法 ※ この協定は住民の自主的なルールであり、法的規制ではありません 住む人たちのプライドが伝わる 宣言になっている |
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D 169号線(中街道)を横断し、近鉄壺阪山駅前を通過、 壺阪駅前を通り抜ける |
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D ・・ 線路上の 歩道橋を渡り直進 ホームの屋根より高い 跨線歩道橋だった |
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D ・・ 高取町役場入口を左折してすぐに右折 左手に森林技術センターを見ながら信号のある交差点で右折する 渡った先は高台 右側 高取町役場の入口で左折 坂を下りながら 70mで右折 森林技術センター前を 190m進んだ 信号交差点で右折 |
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E 右手に高取中央公園(WCあり) 左手にリベルホテル・高取中学校を見ながら進み グランドやテニスコートのある公園だが 閑散としていた WCを借りた |
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E ・・ 突当りを右折 紀路へ入り道なりに800mほど進む 信号から400m 丘陵のみちを進んで 右折 古道 紀路(高野街道)になるようだ |
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E ・・ 近鉄の踏切を横断し 高取川を見ながら道なりに近鉄飛鳥駅方面に向かう 踏切を横断 高取川が判らなかったが左折 住宅地を150m進んで 橋:高取川を渡る |
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次の橋を渡り 遊歩道を 近鉄飛鳥駅に向かう | ||||||||||
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F 飛鳥駅前の信号交差点で、 169号線(中街道)を横断し 1300 近鉄飛鳥駅前で 東へ |
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F ・・ 100mほど東に向かう 川にかかる一本目の橋を左折し、吉備姫王墓方面へ直進 といっても、100mで左折し橋を渡って 北上 曲がらず そのまま東に向かえば 300mで 飛鳥歴史公園館 |
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欽明天皇御陵の手前 | ||||||||||
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向かい合うように 吉備姫王墓きびひめのみこのはか 墓名を檜隈墓と称する 孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたり 「日本書紀」によれば吉備姫王(吉備嶋皇祖母命)は 皇極天皇2年9月になくなり橿弓岡に葬られたとある また、「延喜式」諸陵寮には欽明天皇陵と同じ陵域内に 墓があると記されていることから、現在地に指定されている 墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側イケダの 水田から掘り出された石造物があり、猿石と称されている |
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柵に囲われた 吉備姫王墓の中に 四つの猿石が並べてあった |
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欽明天皇陵 陵名は檜隈阪合陵 全長約140m・後円部径72m・前方部107mで 墳丘は3段築成で周濠を持ち、明日香村内では唯一の前方後円墳である 欽明天皇のころ、百済から仏教が正式に伝わるなど、 後に開花する飛鳥文化の源ともある時代であった 「日本書紀」によれば、欽明天皇は32年(571年)4月になくなり 9月に檜隈阪合陵に埋葬されたとある 欽明天皇の妃で推古天皇の母、堅鹽媛を推古天皇20年(612年)に 合葬し、28年(620)10月には砂礫を檜隈陵の上に葺き、土を積みて山を成し 氏ごとに大柱を土の山の上に建てさせるという記事が見える |
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F ・・ 欽明天皇陵前で左折し階段を上がったのち下る 細い道に突き当たったら右折、五条野町方面へ200mほど進む 2mほどの 堤を越え 西の急階段を下り 右折 住宅地を200m北上 |
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G 大きな道に出たら右折、五条野町信号を過ぎて最初の道路を 左折したのちすぐ右折 表通りで、右折 東進 緩やかな坂みちの進んで 左カーブ 五条野町信号の先で 通り1本左へ |
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G ・・ 春日神社手前の細い道を左折し 植山古墳方面へ右折 (住宅地内の生活道路) 春日神社 直前の細い道で左折 |
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住宅地内の生活道路を進みながら 右手の植え山古墳へのみちを探しながら進む |
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G ・・ 植山古墳からは進んできた道まで戻り 案内矢印など無く 路地みちを 30m進んで 工事通行止め 以前は 階段で上に上がれたらしい 他に 登れそうな所は無かった |
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G ・・ 右折した後 突当りまで直進し左折 生活道路に戻り 西進 突当りを左折・南下 住宅地を離れると、工事中の 植山古墳(ブルーシート)が見えた |
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G ・・ 商店の前を通過したらすぐに右折し、 道なりに直進し 155号線方面へ(右手に丸山古墳あり) 畑と住宅が混在するみちを進んで 前方丸山古墳を見ながら 左手の 155号線に出る |
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県道155号線に出て 道路標識は 300mで 国道169号 その先に近鉄岡寺駅 |
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H 岡寺駅前で 169号(中街道)を横断し、駅前を右折し、すぐに 左折 近鉄の踏切を横断後、高取川の橋を渡る 神社の鳥居の前を右折し、神社を回り込むように左折 1341 近鉄踏切横断 その先に 橋:高取川があり 神社鳥居 神社の右側に回り込み 踏切を渡らず 岡寺駅から 北に500m行けば スタートした見瀬交差点 MAPに従い 最後の見どころ 益田岩船に回る |
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H ・・ 燈明田児童公園を左手に見ながら大きな道路沿いに左折し 横断歩道を渡る 燈明田児童公園角を左折し 歩道橋!を 渡って 台の上へ |
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I 横断歩道を渡ったら大きな道路沿いに進み、住宅街(白橿町)の 最初の角を右折し直進 住宅地の最初の角を右折:西進して 突当りまで |
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I ・・ 白橿近隣公園(WCあり)を左手に 見ながら突当りを右折し益田岩船へ この山に入った所に 益田岩船があるが 案内は? |
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案内を探しながら 110m進んだ所に 益田岩山 上の矢印と説明板 1356 案内の証拠写真を撮って 読まずに進んだら 急階段に続いて 短いが 激坂だった |
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史跡 岩船 石舟山の頂上近く 標高約130mに所在する 花崗岩の巨大な石造物で 俗に 益田岩船と呼ばれているものである 東西の長さ11m×南北8m×高さ4.7m 上面に大きな孔や溝が穿たれ 側面にも格子状の溝 ・・・ いずれにしても飛鳥地方に分布する特異な石造物のなかでも 最大の規模をもつものとして保存の必要がある |
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短いが 5分ほど 激坂を登り 頂上近くにあった ネットで カタチを見て 鬼の雪隠や洗濯板の類と想像していたが その大きさにビックリ |
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人と較べると大きさが よく判る 上の二つの穴は ほぼ同じ大きさで 東西1.5m×南北1.6m×深さ1.3m 声掛けしなかったが 岩の隣に 「登らないで下さい」の注記 岩船 横の説明には ・・・ このように 用途は明らかでないが 上部平坦面の溝や孔が高麗尺で計画され、花崗岩の加工技術が 終末期の古墳と共通するなど、すくなくとも七世紀代の特色をもち 飛鳥地方に分布する特異な石造物の中でも最大のものである 橿原市教育委員会 |
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1412 下の歩道まで戻ってきて この絵の意味が判った |
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I ・・ 益田岩船を見た後は、白橿近隣公園とは反対方向に直進 最初の信号を右折し直進 山登り前の 続きで そのまま北に向かい 最初の信号を右折 岡寺駅方面に戻る |
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I ・・ 近鉄岡駅手前の右カーブの入口で左折し、すぐ右折 近鉄線路の下をトンネルで潜り抜け、突当り(見瀬町)を左折 駅前の通りを左折 朝立寄った ASA橿原神宮店前を通って |
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1429 169号(中街道)見瀬交差点でゴール | ||||||||||
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明日 2日目は 前に歩いた 大和三山歩き | ||||||||||
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