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'24.2.12(祝月)YRW ASA橿原神宮店を歩く | ||||
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2日目の予報は 晴れ:4〜11℃ 風:4〜5m/s とやや強め この時期としては 歩きやすい天気になりそう |
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耳成山公園の 無料駐車場に駐車 前方の山が耳成山:139.2m |
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812身支度を整え 登山口へ 右端に 神社へ直登する 階段が見えている |
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登山道は 神社から山頂に向かう最短ルートと 遊歩道でひと回りしながら 神社に向かい そこから山頂へ 神社から山頂まで 等高線1本分 20m+α 「そのみちしか無い」 というのを見落とした? |
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神社への 階段を進む 参道らしく 燈籠が並んでいるが 急勾配のみちだった |
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10分ほどで 神社境内に到着 先客が 参拝中で 写真を撮り損なった 神社の隣に 耳成山の説明 歴史的にも有名な 大和三山の一つで 標高 139.7mと三山の内で一番低く、死火山です |
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説明板の隣に 急勾配の沢道?が山頂へのみちだった 未明の雨で 岩が濡れているのが見えて敬遠 |
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隣の 遊歩道を行けば もう少し 歩きやすい 山頂へのみちがあるかもと 期待しながら 進んだら |
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842 神社から 20分で 山を一周して 登山口に戻ってきた 前に山頂まで行ったので 油断した? ちょっと 宿題残しの気分 もっとも、MAP原本:19qは 神社までで 頂上はスルーになっている |
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古池脇を通り抜け 近鉄大阪線を通り抜け |
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続いて 400m南の JR桜井線(万葉まほろば線)を渡り 次のみちで 左の住宅地の中へ |
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まちの入口に 醍醐町史跡 環濠跡の案内板 鎌倉時代から室町時代に、不当・過酷な支配者からの要求に反発したり 地方豪族等の争いを避けるため、次第に自衛の手段を構じ ・・ 環濠跡があるとなっているが 今回も判らなかった |
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原っぱの中を進み、醍醐池の脇を通り抜ける | ||||
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2Dで何度か歩いた 藤原京跡を通り抜ける | ||||
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朝堂院東門から 東に向かう 突当りの集落の |
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路地みちを通り抜け ほぼ 真っすぐ 集落を通り抜ける 前回は 路地みちを避け 大通に出て ウロウロだった |
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そのまま 集落の縁を500mほど東進 | ||||
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車道で右折:南進し 山際のみちを 300m進んで |
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930 天香山坐櫛真智命アメノカグヤマニマス クシマノミコト神社(天香山神社)に到着した |
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神社の隣に 香久山登山道の矢貼り みちは濡れていたが 舗装されて歩きやすい |
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が、坂みちは 階段になり これが 暫く続いて 途中何度か休憩 |
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938 山頂には簡素な 国常立命神社 天香久山:152m 三角点は判らなかった |
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西側に 畝傍山とその奥の 葛城山と二上山 |
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天香久山神社から まっすぐ南下してきた 946 慎重に方向を確かめ (現在地から) 更に南下 天岩戸神社の方へ 徒歩9分 となっている |
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勾配のきつい 濡れた草みちや土みちがあり 一歩づつ 確実に進んだが やっぱりスリップダウン 腰かけるように尻もちをついた |
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956 南の南浦町の集落に出た 天岩戸神社は探さず そのまま、 |
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南浦町の集落を抜け 1.3q南下し 前方右手に見えている 丘の北端へ 田んぼみちの 中間あたりに立っている 棒杭が目印の 史跡 大官大寺跡 |
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開基は舒明天皇と伝えられ 南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、 東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった 一昨日(土曜日) ブラタモリで 飛鳥の放送があり 蘇我氏が建立した飛鳥寺:本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院 などが取り上げられていた ググってみると 大化の改新による蘇我氏宗家滅亡以後も 当時の日本における仏教教学の研究機関としての機能を有した唯一の寺院であり 朝廷創建の大官大寺や薬師寺をもって 飛鳥寺に代わることができなかったとする説がある |
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あすか夢の楽市 レストラン 地産市場など 結構車が止っていた |
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何気にスルーしたが 飛鳥水落遺跡 『日本書紀』に記されていた日本初の時計(水時計)の跡 ここからでは、水関連の遺跡に見えない |
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飛鳥水落遺跡を通り過ぎ 甘樫丘東交差点を横断右折 130mで 隣の飛鳥川を渡る 正面の 甘樫丘の右手(北側)山道から上っていく |
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1023 前日歩いたみちの東側園路 緩やかな 階段みちだが 結構 長〜い |
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前日スルーした 甘樫丘展望台 頂上は標高148m。 古代史の舞台となった藤原京跡や大和三山、 遠くには生駒山、二上山、葛城山、金剛山系の山並みを一望できます。 ここで見えているのは 畝傍山とその先の二上山 |
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甘樫丘は 古くは『日本書紀』などの中にもその記述がみられ、 7世紀前期には当時の有力者であった 蘇我蝦夷そがのえみし、入鹿いるか親子が大邸宅を構えていたともいわれています 宮跡が点在しているのがよく分かる飛鳥宮絵図だった |
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展望台から 前日も歩いた 馬の背を通り抜け |
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1032 東南のコンビニのある 交差点に出て来た 昨日は 交差点を通り抜け 国営飛鳥歴史公園館に向かったが この日は ここで右折 県道155号を西へ |
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300mほど進んだ右手に 次の菖蒲池古墳があるはずだが 目印や案内はない MAPでは 養護学校の向かい |
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4年前は 架設のような階段を上がったが きっちりした階段にするのか 工事中だった 古墳は 前回の 国内で最も優美な2基の家形石棺が納められていた古墳として古くから有名でした ・・・ 平成27年には墳丘としてその周辺の範囲が国史跡に追加指定されました という 案内板と石碑のままのようだった |
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県道 155号に戻って西進 600mで 昨日は左手から通った 五条野町交差点を 真っすぐ 西に通り抜ける |
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五条野町から 600mで 近鉄吉野線:岡寺駅前で右折 |
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1115 230mで このコースのWST ASA橿原神宮店(受付:8〜12時) 昨日のうちに W手続き(IVV受取りまで)は 済んでいるので スルー |
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近鉄吉野線踏切通過 300m先に 橿原神宮前駅が見えている |
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勘違いして 300mほど遠回りしながら 住宅地のコース 久米交差点通過 |
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2Dでお馴染みの 久米寺境内を通り抜け | ||||
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境内隣の 近鉄:南大阪線踏切を通り抜ける | ||||
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第一鳥居から 参道を通り抜ける 奥の 第二鳥居を潜り抜け |
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外拝殿には 今年の開運大絵馬が出ていた 三連休3日目 祝日月曜 参拝客は 少なかった |
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北神門の参道 150mに 畝傍山 登山口の案内板 |
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1152 東大谷日命神社に案内 赤の急斜面は避け 青の 上り45分へ 名勝 大和三山 畝傍山 199.2m ・・・ 畝傍山は大和三山の中で最も高い山で、瀬戸内火山帯に属する死火山が、 二次的な浸食をうけたことにより現在の形となったものです 記紀によると、畝傍山の麓には初代天皇と伝えられる神武天皇が 宮をひらいたとされ、万葉集にもそのような歌が残っています 玉襷たまだすき 畝傍の山の 橿原の 日知ひじりの 御代みよゆ 生れましし 柿本人麻呂 |
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足もとは 歩いやすい 緩やかな上り坂 | ||||
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1203 脇に 段差があるみち 手すり代わりの ロープがあり 近道のようだ |
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すぐに 立木や 木の根 に掴まりながら進む激坂に ロープも ちょっと心配になるくらい 擦り切れていた |
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1217 激坂のみちから 一般道に復帰 休み休み苦労して上ったので 早かったのかは判らない |
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更に進んで 畝火山口神社への分岐 橿原神宮へは どちらからでも行ける |
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右に進むと山頂 左は 山の西の麓にある 畝火山口神社へのみち 山頂から戻って 降りていく |
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1219 登頂 前方は 葛城山? |
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畝火山口神社社殿跡 現在は 山の西麓に移されているが 元はここに社殿があったらしい 温度計があり 8℃ 風が無かったので ここで昼食休憩 |
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頂上の広場に 時計や温度計(8℃) ベンチなどもあり 地元の人達の集いの場になっているようだ |
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1234 リスタート 足もとのいい 遊歩道をどんどん下る |
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畝火山口神社への分岐に入り 勾配がきつくなる 歩道は綺麗に手入れされ 歩きやすい |
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畝火山口神社 前を通過 | ||||
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畝傍山 山裾の集落の中を北側に回り込む | ||||
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梅林の先に 先ほどまで居た 畝傍山山頂が見えている |
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御陵西側の 林を400m進んで 御陵を通り抜ける | ||||
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県道126号に出て左折北上 南1q が橿原神宮 一の鳥居 |
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800m で四条町交差点歩道橋通過 右手に橿原警察署 その奥に 近鉄:橿原線 歩道橋を渡り終え 1本西(後側)の通りへ |
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左下の 華甍はないらか:今井まちなみ交流センター前 コースは 右に通り抜けるだけだが せっかくなので 「江戸時代の姿を残す」 町中を通り抜けることに |
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南尊坊門跡から入って 100mほど 中の通りを右折 |
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北尊坊門跡から出て コースに復帰 観光客が不思議に少ないのが またいい |
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JR桜井線(万葉まほろば線)を見ながら東に進み | ||||
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畝傍駅を通り過ぎて 踏切を通り抜け北進 | ||||
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街道筋の雰囲気を残した街並みを進んで 橿原市立 八木 札の辻交流館 |
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八木 札の辻 ・・ 日本書紀にもあるように大阪の難波津から竹内峠を越え藤原京につながる官道で、 当時は30〜40mもの幅の、いわば現代の国道一号線であったといえます 下ツ道は大和盆地の中央を南北に貫く三本の古道のひとつで、・・ |
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近鉄:大阪線踏切通過を通り抜け右折 左奥に スタート直後上った 耳成山が見えた |
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1409 耳成山 登山口に戻りゴール | ||||
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