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'18年11月17-18日(土日) 第16回海峡のまち下関歴史ウォーク 参加計画 | ||||||||
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1日目:東流れ 30qコース | ||||||||
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数日前まで予報は 傘マークが点滅していたが 「雨の心配はなくなった」 | ||||||||
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全コース 受付:8時〜 出発式:8:30〜 2DWでは ゆっくりした設定 宿を 805 に出ると、会場:海峡ゆめ広場にある 「海峡ゆめタワー」が ドーンと見えた 通りを2本越え 812 会場到着 受付で MAP・ゼッケン・ドリンクの 「meiji 即攻元気」 を受取る 「大会誌・記念品・バッチ ・・ 」 ・・ 何もないの? と 思たら ゴール時に 完歩賞と一緒に受け取った 持って歩かなくていいが、2日目だけ参加の人達にはどうしたのか ちょと謎だった |
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到着時 まばらだった、参加者も出発式が始まる頃には増えてきた この日は、おだわら・道後・おわせ・長崎 など 各地で2Dが開催されており 知っているWさんは 少なかった 「明治維新150年記念大会 時代を変えた維新発祥の地・下関を歩こう」 の副題 「祝 関門トンネル開通 60周年」 のコメントなどが ついている AJWC・CML(中国ML)・セブンハーバーズリーグ・500選-山口2.10 などの他に 「下関市 海響アスリート」 や「ふくふく健康チャレンジ2018」 など下関市独自の認定もある 「下関市 海響アスリート」 認定は、次の 3部門のイベントを完歩、完走された方 【歩く】「維新・海峡W:30q」 又は「海峡のまち下関歴史W(30q×2日)」 【乗る】ツール・ド・しものせき (130q) 【走る】下関海響マラソン (フルマラソン) 3回受賞 (3回目の歩くは 両イベントの認定要)すると 「ゴールドアスリート」認証 |
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MAPは A3 カラー 海と大きな公園だけの色分けで、地形(山や峠・市街地)は判らない 赤枠は 通過場所名と距離 黄色があるのは チェックポイントと開設時間 コースは 30q:左下の会場から 時計回りに「響灘」を北上後、東進して 「周防灘」沿いに南下 右下 関門トンネルを通って 船で戻る 薄青色ライン ・・途中:勝山御殿跡 や 調布市内 門司港などが見所 20q:会場を出てすぐ分岐、右上(北東)の長府市まで行って 30qと合流 緑色ライン 他に 10qやガイド付き(団体歩行)5qなどもある MAP しっかり見ると、「スタート印」は既に押されている (スタート フリー? ・・ 2日目の 帰宅を急ぐ人用?) |
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830〜 出発式 挨拶・コース説明 丁寧なストレッチ(ラジオ体操第2 ・・ 1回目練習 の後「曲を掛けて 本番」)・檄 900 「早鞆高等学校」 の皆さんの太鼓演奏に送られ スタート 20・10・5q も5分間隔でスタート 太鼓橋の上から振り返ると 半数以上が歩き出したようだ |
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会場広場隣の交差点を西に向かい 「A エディオン前エスカレーター」で 「ペデストリアンデッキ」 に上がり、「JR:下関駅」 北側で歩道に下りる 「下関駅」は正面建物の奥 右側は 「リストランテクラブヴィアージュ(結婚式場:教会)」 他 (20・10q) コースは 交差点から東に向かう |
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JR:山陽本線高架をくぐり抜け、 約 7q 国道191号(下関北バイパス)沿いを北上する 「C 白石正一郎邸跡」 を通り過ぎ 「高杉晋作 終焉の地」 (右側の通りで 80m) の案内を見ながら進む (薄青の)番号は、30qでの地点番号 |
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マンホール蓋は 当然のごとく 「ふく(フグ)」 | ||||||||
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「E 筋川歩道橋」 で 県道191号(下関北バイパス)の 西側歩道へ渡る ここから 4.7q ほど北進 前方に高そうな山が薄っすら見えているが、そこまでは行かない? ・・ だろう |
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緩やかに蛇行しながら 「竹久第1高架橋」 通過 響灘(日本海の入り江) ・・ 曇り空で 少しぼやけているのが残念 |
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国道脇の歩道 緩やかだが 案外アップダウンがある MAP 「自転車道」 となっているが、1台も会わなかった 4ヶ所ほど 浜辺の集落への 信号交差点を通過 ・・ 信号待ちで段々グループ分けされてくる 「I自転車道終点」で国道をくぐり |
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国道の下を300m北上し 「綾羅木」の住宅地へ | ||||||||
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1019 「J 綾羅木1号公園・中山神社 」 第1C・P:7.5q 開設時間:1000-1130 GPS:7.5q /79分 + 4分 接待は バナナと 関露水 公園の向かいが 「中山神社」 大会誌みどころに 幕末の尊王攘夷派公家で、天誅組首領として大和五条挙兵に参加、事破れて 長州に逃れたが藩内恭順派により暗殺された中山忠光(明治天皇の叔父にあたる)を 祭神とする神社(国の史跡) |
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MAP担当の連れが 「距離表示が細かい!」 と 感心していたが 主要ポイント毎に 100m単位での距離表示 レポーターは歩いている時はMAPは見ていない ・・ このレポ作成で しっかり見ているだけ |
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リスタートして 直線6q 東の「周防灘(瀬戸内海)側」 へ 住宅地を東へ 松並木のみちを進む 松は 冬前で 手入れされているが、ちょっと 枝の詰めすぎ? |
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「K 中山神社入口交差点:8.1q 右折、右側歩行通行」 電柱に 「コース色の矢貼り→」 足元にも「石灰ライン」 |
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県道248号を 500m南下 途中 「JR:山陰本線・綾羅木駅」 前を通過 |
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「L 浜寿司前T字交差点:8.6q 左折横断し(県道259号)左側歩道通行」 陸橋の下は 綾羅木川とJR山陰本線 前方の なだらかなカタチのいい山は 「火ノ見山:137m」? |
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「県道259号」で 先ほど南下した分を 「道なり」に北上後 東へ 今度は 勾配のきつい カタチのいい山が見えてきた |
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「山陽新幹線:新下関」駅の下をくぐり抜ける 前日 この駅で 「山陽本線:新下関駅」 に乗り換えたが ホームは右端の更に先 ・・ 300m以上歩いて ちょっと焦った |
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新下関駅周辺の賑わいを通り抜け 「中国自動車道」 を通り抜ける この辺りが、響灘と周防灘の中間辺り 歩く前は もっと 「田んぼ」や「林や森」があるかと思ったが 人家の途切れる事がない |
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「N 勝山小グランド角:12.3q 左折、左側歩道通行」 先ほど見えていた 「カタチのいい山」に向かう 見える角度が変わり 少しなだらかに見える それでも、これから行く 「勝山御殿跡」 が、この山中だと かなりの上り坂? |
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ちょっと心配した 「カタチのいい山」 の前を通り過ぎ 東側を回り込むように北上 県道247号を外れ 前半の見所「勝山御殿跡」へ ・・ 坂の勾配がきつくなる このイベントのスタッフさん達は 薄青色の帽子とジャケット がユニフォーム 首に矢貼りを掛けているのは (副)リーダーさん達 主要場所で 誘導しては、凄いスピードで追い越しては 次の場所で ご案内 御かげで 同じ人に、何度も 誘導してもらう |
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「Googlマップ」の 口コミに 山頂に 「青山城跡」がある 長門富士と呼ばれる美しい「青山:標高288m」 地図では、城跡まで ぐるぐる回って行ける道路があるが 一般の人は進入禁止になっているようだ |
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山間の集落のみちを進む | ||||||||
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お屋敷の前の三差路 (左折して、短い 対面歩行区間:GPSでは 往復 1q足らず) 「勝山御殿跡」に行ったあと 戻ってきて 右に進む |
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田んぼの中の 上り坂を進み | ||||||||
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「勝山御殿跡」 に近づくと 先行者達とすれ違う ・・ 歩友さんと挨拶 | ||||||||
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見事な 石垣を見ながら 御殿跡へ 戻りは 石垣右の階段から下りるので ここは 上る人だけ |
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大会誌の見どころには 勝山御殿跡(攘夷戦以降の長州藩の防御拠点) 文久3年(1863)5月の攘夷戦で海岸線に近い藩邸にも砲弾が撃ち込まれ、 地理的に優位な田倉の地に勝山御殿をわずか7ヶ月で築いた。 勝山御殿は防御面で様々な工夫が施された「城郭」であった(現在 勝山地区公園) ここからの眺望では海峡ゆめタワーが遠望される |
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1135 第2C・P 「Q 勝山御殿跡:14.6q 1100-1300」 GPS:14.6q /155分 + 9分 ここでも バナナを頂く スタンプが一区切りした所で 「何人ぐらい通りました?」 チェックマークを数えて 「ちょうど、100人目くらいです」 |
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「本丸跡」 は 一段高い 柵がしてある広場が残るだけだった リスタートして 石垣横を下りる 遠くの 正面山の右側 一段低くなった水平部分に 目を凝らすと塔が 写真を拡大して 何とか判るレベル (天気がいいともっとしっかり見えたかも) |
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「御殿跡」から坂を下って 「県道247号(長安線)」に戻り 東進再開 ・・ 再び 上り坂が始まる これが又 長〜い坂 道なりに大きく右カーブして 南下が始まる |
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山が迫り、とうとう 畑も人家も無くなった ・・ ここが峠? | ||||||||
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下りに入り 開けた所には人家や店 バス停は 「峠」 先ほどの峠みちで 「JR:山陽本線」 のトンネルを越えているが 最寄り駅は 「長府」か「新下関」 ・・ どちらも、3qほどあり 歩いて通うにはつらい? |
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「S 長安線より脇道分岐」 ・・ 国道2号線ガード下を通って 住宅街へ 住宅街での誘導は (長府高校?)の女子高生 途中で聞いてみると 「バスケット部員 先輩は一人で案内しています」 ご苦労様 ありがとう御座います |
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史跡群の中に入ったようだ 「中国自然歩道路」 「国分寺跡」は石碑があるだけ 右側にその説明文 |
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こちらは 「龍馬と下関」 関わりのある史跡説明 ここは、「龍馬の大親友 長州藩士:三吉慎蔵 生家跡」 |
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「武家屋敷?」 歴史を感じさせる建物が続く ・・ ポツポツと 観光客も |
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石垣の立派なお城のような屋敷は 「関ケ原の合戦 毛利軍総大将 毛利秀元」の幟旗があるが 説明看板には「長府毛利邸(長府惣社町)」として 長府毛利家十四代当主の毛利元敏公が、東京から帰住し、 この地を選んで建てた邸宅です。 明治31年(1898)に起工し、36年6月2日に完成した後、 大正8年(1919)まで長府毛利家の邸宅として使用されました。 ・・・ この説明では 幟旗の「毛利秀元」との関係は判らない |
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毛利邸を回り込んで 1218 第3C・P 「24.下関歴史博物館 :18.4q 1030-1300」 ・・ 20qコース(10.2q地点)と合流 GPS:18.4q / 198分 + 14 分 ここでも、バナナの振舞い 「(ここが)マンホールカード を貰える」 と、入って行くWさん トイレ休憩を兼ね ちょっと見学 |
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ホールには 「時代ときを拓ひらく」像 製作:田村 務 ガラス張りで ちょっと反射があり 判りづらい |
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右端から 三吉慎蔵・お龍・坂本龍馬・梶山鼎介などの像となっている 市立歴史博物館 下関と周辺地域に関わる歴史資料の収集・調査研究・展示活動をしていた 長府博物館を継承する博物館。 長府毛利家遺品や坂本龍馬起草の「新政府綱領八策」など、幕末維新期を中心に 多数の資料を収蔵・展示している。 坂本龍馬の手紙収蔵は日本一を誇る。 どれだけ公開されているか判らないが 龍馬直筆が見れるなら (読めないだろうが)もっとしっかり見学するのだった |
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その間に 連れが 「マンホールカード」 ゲット デザインは もちろん「ふく」 下関では「ふぐ」は、幸福の「福」にかけて「ふく」と呼びます 下関の頭文字「し」を造形化した「波」の中から現れる様子を表しています このウォーキングの C・P印 にも使われている |
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この日のGPS: 距離:31.3q (渡船:2qを含むので 実質:29.3q) ここまでは、MAP表示距離と ピッタリ同じ (全長距離も MAP:30qだから 誤差範囲) |
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最大標高差:123m 獲得標高:471m コース最高点:勝山御殿跡が 100m無いのに ・・ いつもの、誤差 その後の 「峠」 まで、細かなアップダウンがいっぱいあったが スタッフさんに言わせると、「上りは 勝山御殿跡くらい」 広い平地(濃尾平野)のある 愛知県Wとは、感覚が違う |
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長め(15分)の休息後 リスタート 100mほど離れた所に 高杉晋作が 幕府恭順派政府の打倒を目指して決起した 功山寺がある 境内には 馬上姿の晋作 銅像もあるが ・・ スルーして 700m東の 国道9号に向かう |
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壇具川だんぐがわ 長府の歴史と共に流れつづけている壇具川は 清流に錦鯉が泳ぎ、初夏の夜は ホタルが飛びかい 「ほたるの里」として人々に散策をさそう ・・・ |
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「25.長府観光会館(下関スタンプラリー押印所):19.1q」 国道9号に合流し 1.5q ほど南で 周防灘に出る 駐車場には 何台も 観光バスが止まっていた |
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観光地 「城下町 長府」 を実感 | ||||||||
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国道9号を南下し 「26.美術館前歩道橋 :19.9q」 渡って、左(海岸)側を南西へ |
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C・P毎に バナナを頂き 昼食のタイミングを逃している 残り 10qとなり 受付時に貰った 「即行元気」 で スパート? ・・ 実際は、目を覚ます |
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海岸に出ると 「関門橋」が見えた 「関門海底トンネル」 はそのすぐ手前 ・・ まだまだ、遠い 周防灘(瀬戸内海)には 大小さまざまな船が行き交っていた 13時を過ぎたばかり 空が暗い 今日は降らない予報だった 「後 2時間 ・・( 多分)2時間 ・・ ゴールまで 降らずにいて欲しい」 |
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陸側の「前田砲台跡」 ・・ 看板を見ただけで 通り過ぎる 続いて 「平家の一杯水」 工事中で 石碑があるだけ?だった |
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海を見ながら 30分あまり 「関門橋(中国自動車道と九州自動車道を繋いでいる)」を渡る 車が判るようになった |
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「みもす川公園」 「海底トンネル入口」は ここで 道路横断だが 「遠方からの参加なら、是非砲台も見物して下さい」 |
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前に 「小倉 無法松2D」 の記念大会 オプション:50qコースで 一度だけ 海底トンネルを渡って 来たことがある 幕末の下関戦争時に活躍した長州藩の砲台跡であることから、攘夷戦争や 下関戦争で使用した長州砲のレプリカや ・・ |
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・・ 安徳帝御入水之碑・源義経と平知盛像等がある この日も、歴史 紙芝居もやっていた 道路を渡って 1337 「29.海底トンネル下関口:24.3q」 ゴール締切の関係だろう 「1450 以降海底トンネルコース閉鎖 海岸線沿いにゴールへ」 GPS:24.4q / 277分 + 33分 10qコースとも合流し 「門司港桟橋」に向かう |
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トンネル入口でエレベーターでトンネルへ 800m弱のトンネル (写っていないが) Wさん以外にも 大勢の通行人 中には、自転車の人達も 勿論 「山口県-福岡県」 県境を跨ぐ 証拠写真は撮りました トンネルは2階構造で、上を国道2号線が通っている トンネル内も 「GPS」 は動いており、コースは外れていない 高度 7〜8m になっているのは、ご愛敬 |
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九州! 「海底トンネル和布刈口」にエレベータで上がり 900mで 「関門橋」をくぐり抜ける 道路は 遥か上 |
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橋をくぐり抜け 「横断歩道を渡り めかり観潮遊歩道へ」 出ると、 海峡の先に ゴールの 「海峡ゆめタワー」 が見えた この後 トンネルへ入る 「門司港レトロ観光線踏切」 を通り抜け |
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「ノーフォーク広場」の 「(門司港)東港」を進む ここは、漁港 ・・ それらしき船で いっぱい 正面のビルは 鹿児島本線:門司港駅 |
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すれ違った 「レトロ観光列車」 は 半分くらいの乗客 手を振ると、多くの乗客が振りかえしてくれた |
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「門司港桟橋」への 「跳ね橋(ブルーウイング)」 は 橋が 「跳ね上がった状態」 |
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「国際友好記念図書館」などを 撮影しながら ゆっくり 「跳ね橋」 へ | ||||||||
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見えた時より 「橋は下りているようだ」 「お急ぎの方は 港側にお廻り下さい」 |
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建物の角を回って 「5分くらいの回りみち?」で、橋の袂に来た 「迂回」は 対岸を回り込む事になり 「橋が下がるのと差はない?」 |
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結局 8分ほど待って 橋を渡る 船の定員は判らないが まぁ この間 船を待っている人は居なくなっただろう |
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門司港でも 観光を楽しんでいた (10・)20 qコースの人達も一緒になって 桟橋へ 桟橋の直前で スタッフさんから 「乗船確認券」 を受取る |
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1424 「34.門司港桟橋:26.9q 注意:大会最終便 1530」 桟橋では 先着の人が20人ほど 中には子供連れも ・・ 一般客かと思ったら ゼッケンを付けていた 戻ってきた 船にもお客さんがぎっしり 波を蹴立てて進むためか、船首は上下に グワン・グワン 揺れていた |
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1430 船客が下りるのに時間が掛かったが 乗船して 見晴らしのいい 屋根に出ると すぐに動ぎだした 次の 船客が早くも 大勢並んでいた ・・ Wさん以外も結構いるのかも |
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港内で向きを変え 海峡を渡る あっという間に、門司港が小さくなっていく |
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約1q 北東に 「関門橋」 船が首を振る度に 飛沫が多くなり 上にまで飛んでくる その度に 「ウヮ〜! キャ〜!」 ちょっとした 絶叫マシン状態 しぶきに 瞬間 虹が掛かる |
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1436 「決闘の聖地 巌流島」 の横断幕が掛かる 「35.唐戸桟橋:26.9q」 到着 港の隣に「唐戸市場」があり、港に面する そのレストランはお客さんが大勢 「GPS」は止めてないので 29.5qになっている ( 渡船:2qで 正味:27.5q地点 ) 船での標高は -9〜3m 予想より 安定している? 遊園地:はい!からっと横丁 があり |
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こちらは、しものせき水族館 海響館 テーマパーク状態で 家族連れも多い |
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「ヘリコプター遊覧飛行」 では ちょうど 飛び立つ所だった | ||||||||
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「36.消防署角交差点:27.9q」 GPS:(正味)28.6q 会場の 「海峡ゆめタワー」 が 大きくなった |
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1457 ゴール 30q GPS:(正味) 29.3q / (船分除外した正味)345分 + 52分 ( = 5.10q/h) ゴール手続きで IVV:30q と 参加記念品を受取る 会場での お接待は ふく鍋 ・・ 私の3人ほど後は、「無くなりました」 と、代用の焼き物を渡していた 隣の 「晋作餅」は 私の前で終了 違う 「餅菓子」 を頂いた |
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宿に戻って 記念品を見ると 大会誌とは別に 前日!?の 山口新聞(主催者の一つ)が入っていた 中を開くと 大会案内に1頁 他にコース案内と 参加者名簿まで 3頁を使っての 案内になっていた ・・ ここまでする 新聞は初めてみた 1日目 初参加だったのもあるが 響灘〜勝山御殿跡〜長府・武家屋敷〜海底トンネルを渡っての 門司観光 見どころ満載で レポもモリ・モリとなってしまった コースは 海岸やアップダウンの峠越え 30才前後(と 思われる)若い人の参加も多く 面白いWだった |
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