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'19年3月9-10日(土日) 第9回 唐津・虹の松原 参加計画 | |||||
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これから、唐津に向かいます 途中 「がんばろう!倉敷・真備」 ・・ 開催が心配された 「倉敷2DM」 を通り過ぎます 懸念の2日目天気は、3〜7oと表示された瞬間もありますが 流動的 ・・ 当日 作戦決める事に 春のイベント予定もほぼ固まりました そんな中で 「旭川大雪2DW」 今年がファイナルの案内が届きました ・・ 参加検討する事に 参加予定・スルーするものでも 前回と会場やコースが変更されているものに気づきました いぶすき菜の花M ・・ 山川会場・指宿会場の分離開催→ 2日間同じ 指宿会場へ集約 つくば2D ・・ (臨時駐車場がある)市役所そばの「科学学園駅前広場」に会場変更 秋田鳥海眺望のみち2DM ・・ 第2回の今年は、JR仁賀保駅そばに、会場集約 ・・ など 遠隔地のイベントは何回も行きづらい ・・ 続けて貰えれば その内2回目訪問も |
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********************************************************* 03.11 記 2Dから戻ってきて 上記の 「コース略図」 1日目:45q 2日目:30q では 「唐津城」 には行かないと書いたが 参加して受取ったMAPは (1日目:25・15q)と 2日目:30q で行く事になっていた 我家に戻って確かめると 略図は 事前調査した「昨年のコース概要」 のままだった カン違いして 「唐津城見物」 したが 「けがの功名」?だった ・・ その詳細は当日レポで |
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3月8日(金) 唐津2Dに向け 移動日「唐津城見物」 | |||||
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この日は YRWもやめ、「唐津見物」だけにしたので 6時過ぎに我家を出て 新幹線で 「博多駅」へ 数回利用した 「博多駅」 は、やっぱり広くてウロウロ 昼食をしたら 1時間の乗り継ぎ時間でも あまり余裕は無かった 博多駅:1249 地下鉄空港線-JR肥後線 唐津:1409着 唐津湾が見えるようになって 車窓からの写真 ・・ 多分 手前が「羽島」 奥が「姫島」 |
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「唐津駅」まで 後20分ほど 唐津湾が大きく北にせり出してきた 海岸線の緑がどうやら 「虹の松原」のようだ 5qほどあるそうで、とても 長い |
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駅に近づき 対岸に「唐津城」が見えた (写真は少しズーム) 予想していたより、大きな天守閣 |
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唐津駅:1409着 右1/3の 赤い屋根の建物の右上に 「唐津城」が見えている 地方都市の駅前風景 ジパングを使って 我家から8時間 ・・ やっぱり遠い |
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駅には 「孔子の里多久」 ・・ 多久聖廟出張 巨大絵馬 隣には、「松ぽっくり」 のお人形 ・・ こちらは、「虹の松原」 に因んでいる? 奥の 「観光案内所」 で 「唐津城」のパンフレットを貰う |
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駅前の 旅館案内の 「唐津湾」の浮世絵看板 右手前が 「唐津城」 湾正面が「虹の松原」 その奥の弁当箱のような山が 「鏡山」 ・・ 2D:2日目に登ることになっている |
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その隣に 「唐津市観光マップ」 宿が「市役所」の西にあるので 荷物を預けて 赤丸の観光ポイントを回ることに |
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「唐津市役所前」 入り口わきの石垣が すでに お城の石垣らしい 宿到着 1430 流石に、この時間では チェックインは出来なかったが 手続き(支払い)を済ませて 荷物を預けた ・・ 散策から戻ると 「荷物は、部屋に入れておきました」 |
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「県道347号(唐津街道):坊主町交差点」から北上し 「北坊主町」交差点で右折(東進) |
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ここも 城壁跡の石垣らしい | |||||
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「西ノ門館」 ・・ 「曳山の蔵」と奥に「文化財情報の西ノ門館」 出土文化財の管理保存のほか、文化財情報を中心に発信する場 唐津焼(各窯の作品展示販売)や「曳山」の紹介もあった |
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「埋門うずめもん・埋門小路うずめもんこうじ」 ほとんどの唐津藩士が住んでいた唐津城三ノ丸北側には、海に面して石垣が築かれていました この石垣の中程に埋門と呼ばれる海岸へ出るための出入口門が開いていました 門を入って西側には五間丁馬場があり、門から南側に向かって埋門小路と呼ばれる通路がありました この小路を通って、藩士が唐津神社や外曲輪の町へ出かけた事でしょう 唐津市 |
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まっすぐ東に向かうと 「↑ 唐津城:600m」 「→ 旧高取邸:50m」 |
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その 「旧高取邸」 ・・ 中には入らず、前を通過 旧高取邸は木造(明治後期頃築造)で杵島炭鉱の経営者として知られる「高取伊好(これよし)」の邸宅 内部には能舞台や欄間などがあります |
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東に進んで 「唐津城」 が見える所に出た テニスコート・奥の建物は 「早稲田大学系属 早稲田佐賀中学・早稲田佐賀高等学校」 テニスコート・校舎を回り込んで |
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城跡は整備され 「舞鶴公園」 になっている 現在地は、図の右下 これから登る階段は 「中段まで176段」「上段まで231段」 |
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「舞鶴公園案内図」の反対側に 「唐津・虹の松原 ツーデーウオーク」 の幟旗 ・・ ここも、コースになっている |
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唐津城 秀吉側近の寺沢志摩守広高が慶長13年(1608)に築いた平山城 ・・ 寺沢氏以後 天保4年(1647)以後は代々徳川譜代の城主が入城 現在の天守閣は昭和41年(1966年)に天守台跡に慶長様式で 文化観光施設として完成した |
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隣に 「唐津城天守閣 再び開城!」 閉鎖されていたらしく 「平成29年(2017)7月22日 リニューアル オープン」 昨年(平成30年)の2DWには間に 合っていたようだ |
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上段広場に向かって 「中段まで176段」 〜 「上段まで231段」 階段を上る 結構足にきて ・・ 翌日からの山上りが不安になる |
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広場に上がると 五層五階、地下一階で博物館、展望所になっている |
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天守台の閉鎖は、かなり長期間だったらしい 石垣に 「はらみ(前面へ膨れ出ること)・ゆるみ」 が生じ、 石材自体にもひび割れや劣化が見られるようになった ・・ 伝統技法による積み直しをすることにになり、 築城400年を迎えた平成20年より石垣再築整備事業に着手した |
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天守台そばにも 「ツーデーウオーク」 の幟旗 階段の奥には ここから降りるの矢貼り 「25・15qコース」 と書かれている ・・ 1日目のコース設定だ 「中段まで176段」 〜 「上段まで231段」 の階段は結構きつい |
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天守台は1階(無料)の観光案内・体験フロアーを覗いただけで上(有料)には行かず 上段広場を一回り 唐津湾 西北側 「唐津港」 と その奥に 「大島」 |
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東側 海岸線の隣は 5qも続く 「虹の松原」 翌日歩いて判ったが、左奥 松原の端に 2D会場最寄り駅 「浜崎駅」 があった 観光案内所で貰ったパンフには 初代藩主の偉業 「虹の松原」 初代藩主の寺沢広高が慶長年間から植林したもの 約 100万本の黒松の群生は潮風を防ぎ、この地に豊かな農地をもたらすことになった |
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南東側 真ん中に 駅前で見た 「浮世絵」 に描かれていた 弁当箱さながらの 「鏡山」 山の右側は、2D1日目:45qで遡る 「松浦川」 (Wikiには) 標高 283.56m 別名:領巾振山(ひれふりやま) 頂上は平坦な地形のため、遠景からは台形の山になっており、 虹の松原と並んで、唐津市のシンボル的な場所の1つである 鏡山の名前は、神功皇后が山頂に鏡を祀ったことに由来するといわれている また、松浦佐用姫(まつらさよひめ)が山頂から大伴狭手彦の船を見送ったという伝説の地であり、 佐用姫が袖につけていた領巾(ひれ)を振りながら見送ったということから、 領巾振山(ひれふりやま)の別名でも呼ばれる 鏡山ができたとき、上を切り取って海に置いたのが高島、その上を切り取ったのが鳥島という言伝え 鏡山と高島はともに台形であり、見た感じの大きさも丁度よいものである 同様に、巨人が鏡山に躓いて転んだため怒り、頂上部を殴り飛ばしたことで高島などが出来たという 平坦な頂上を見て、人工的な感じがしたが 言伝えになるほどだから自然に出来たもののようだ |
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工事中の板塀には 各町の 「曳山」 写真 1番曳山:赤獅子 刀町:文政2年(1819) 2番曳山:青獅子 中町:文政7年(1824) 3番曳山:日目と浦島太郎 材木町:天保12年(1841) 4番曳山 呉服町:源義経の兜:天保15年(1844) ・・ 年号は制作年? ・・ 随分年期の入った曳山のようだ |
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こちらは 大正9年 病気療養を兼ねて滞在した 斎藤茂吉の歌碑 松浦河 月あかくして 人の世の かなしみさへも 隠さうべしや |
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お城見物を終わって、 表通りの地下道に 「唐津・虹の松原2DM」(矢貼りはウオークではなくマーチの文字) ?? 30q も ここを通過する? 30qコースは2日目の設定 ・・ 冒頭記載のように、カン違いしたままだったので イミ不明だった |
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「二の門」 交差点横の 「時の太鼓」へ | |||||
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とうとう 維持保存 出来なくなって 「電化」 されたかと思ったが 横の 「時の太鼓」 説明文(抜粋) 唐津城址整備計画の一環として、唐津藩絵図に基づき再現したものです からくり仕掛け時計で、午前七時から午後七時までの毎正時 ・・ もう少しで、16時なので 一服しながら 待つことに 2Dイベント中なら、ここを通過しても チラ見で 終わっていた |
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時間になると、電気時計と壁板が下におりて 武士人形と太鼓がせり出してきて |
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ドンドンと太鼓を叩いた ( ・・ ように 動いた) | |||||
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100m西に進んで 「埋門の館」 白壁の築地塀に囲まれた武家屋敷風の木造平家建で、 黒松や紅葉などを植栽した日本庭園を備えた、 城下町「唐津」にふさわしいたたずまいとなっています 館内には茶室、舞踊室などがあります |
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館内では ひな人形の展示も行われていた スタッフさんが「どうぞ見ていって下さい」と声を掛けてくれたが 靴脱ぎが面倒で 庭先から 覗いて次へ |
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隣の 「旧高取邸入口」交差点を 渡って西へ 「旧高取邸」 は歩きだして すぐに見たお屋敷 こちらの 長い塀に囲まれたお屋敷は ・・ |
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「旧大島邸」 明治18年(1885)に佐賀銀行の前身となる唐津銀行を創設 その後も鉄道(現在のJR筑肥線)や道路の施設、市街地の電化、唐津港の整備など 唐津の近代化に貢献した大島小太郎の旧宅 主屋の完成は、明治26年(1893)と考えられています 当時の和風住宅の庭を伴う建物構成や意匠の優秀さなどの特徴をよく示した建物です |
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隣りが 「唐津神社」 境内を通り抜ける |
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南側の 「唐津市民会館」 前を通過 講演やコンサート、演劇、舞踊、バレエ、歌舞伎等に利用できる1,200人収容可能な多目的ホールや 通常の会議室に加え、中会議室、大会議室も備えており、各種、会議、研修、催し物等に対応可能 隣には「曳山展示場」 豊穣の秋祭「唐津くんち」(毎年11/2〜4)で使われる14台の曳山がずらり勢揃いしています 多種多様な姿勢の造形美は、稀に見る優れた工芸品として、佐賀県の重要有形文化財に指定されています |
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「三ノ丸小路」 で200m ほど東に戻る 市内でも 昔の雰囲気が よく残っているみち |
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「大名小路」 交差点に南下し 交差点の先の 「旧唐津銀行本店」 へ |
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「旧唐津銀行本店」 佐賀県指定重要文化財 竣工 1912年(明治45年) 設計監修 辰野金吾 (唐津市出身 ・・東京駅設計) 旧唐津銀行は、 日本建築史に残る辰野金吾博士の弟子・田中実設計によるもので、 明治45年築のクイーン・アン様式建築です その優美なデザインに、唐津炭田の隆盛が偲ばれます ここでも スタッフさんが丁寧な説明だった 平成9年まで金融機関として利用され続け、佐賀銀行より唐津市に寄贈された |
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唐津市:人口 約13万人 旧東松浦郡 中心市街地は唐津藩の城下町が前身 唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちや 特別名勝の虹の松原、 呼子朝市などで有名で、広大な面積に多数の観光資源を有する 人口13万人と大きな都市ではないが、城下町の面影や明治期の建物も沢山残り いい雰囲気 福岡からの便が悪いのが難 ・・ だから、昔の面影が残っているのだろうが |
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翌日から いよいよ 「唐津・虹の松原2DW」 取りあえず、1日目(土)は 雨の心配はなさそう | |||||
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