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'24.1.6(土)第10回 歩いて行こうお伊勢さん 2日目を歩く | ||||
2日目は曇りだが 最高気温は14℃となっている 風も 1〜2m/s と弱めなので 歩きやすそうだ |
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800 近鉄:伊勢朝日駅の前が 旧東海道 旧東海道の石碑があり 大きな 旭町史跡案内図も掲示されている |
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住宅地を 1.2q進んで MAPにもある 『東海道はこちらでござる ←』 コースは 国道1〜23号と JR:関西線や 近鉄:名古屋線と交錯しながら南下 |
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こちらでござる から800mで 伊勢湾岸自動車道と北勢バイパス:国道1号をくぐり抜け 朝明橋:朝明川を渡る |
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川から400m 松寺の立場跡 立場は 昔は大きな榎の木があり街道を往来する旅人や人足などが、 籠や荷物を降ろして杖を立て一休みした所を言う。 公の休憩所のことで茶屋などがあり立場茶屋とよんでいた |
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800mで JR:関西本線(足もと)と 三岐鉄道三岐線(頭上)が交差する 踏切を通り抜ける |
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住宅地の中を進み 西富田町で道なりに左カーブし 三岐鉄道三岐線を くぐり直し 続いて 近鉄名古屋線をくぐり抜けた所に 富田の一里塚址 ・・ 石碑だけになっていた |
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近鉄富田駅東270m 左の電柱に 右東海道→ の表示 |
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側道部分に目立つ オレンジの着色 これは 判り易い |
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富田の東海道マップ 3 電柱の案内で右折 現在地に この先に 2.富田の力石 |
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2.富田の力石は 東海道沿いに 北から西町八幡神社、北村町若宮八幡社、 茂福町證圓寺北新設用水道碑横の3ヶ所に保存されています 写真の茂福町は 大120s 小10sあります 西町、北村町はどちらも 100s |
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ポツンと残された立派な松は かわらづの松 の説明が付いていた 古くからこの地域は「かわらづ(川原津)」と言われていた ・・・ 戦前まではこの付近の東海道沿いに多くの松が植えられていて 松並木の景観が見られたが、 ・・ 道路拡幅と松くい虫で 姿を消した ・・・ 残された 樹齢二百年余りのこの松を 昔の地名をとって 「かわらづの松」と 命名して いつまでも 愛護していきたい 平成十九年四月吉日 保存会 |
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通りの玄関先に とうかいどう とくり抜いた傘 どうやら 暗くなると 明かりが入るようだ |
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光明寺(こうみょうじ)真言宗豊山派の仏教寺院 山号は 囲瀬山(いせいざん) 本尊は観音菩薩 聖武天皇(724年 - 749年)のころ、 行基菩薩によって、現在地の西側にある、泊山の高台に、開山されたと伝えられ、 本尊の聖観音像は、弘法大師(空海)一刀三礼の作といわれる 924 歩き出して90分ほど WCをお借りした 曇りがちの予報だったが 日差しがあり 歩きやすい天気 |
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930 レッドバロン四日市店にぶつかり 国道1号線に合流 この先 川越:橋もあるが 四日市駅や日永の追分を通り過ぎ 8.5q先の 河原田橋:内部川を越えるまで 国道1号線沿いを進む |
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なが餅の笹井屋前を過ぎて 海蔵橋:海蔵川を渡る 歩道が広くなり歩きやすい GoogleMapsを見ると この左手 100mの住宅地に 旧東海道が続いているようだ |
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四日市橋:三滝川を渡って 1002 諏訪栄町交差点 四日市の中心街通過 |
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そのまま 国道1号線沿いを進む 近鉄:名古屋線をくぐり抜ける この日初めて出会った参加者さん 桑名駅から 歩いてきたそうだ 万古焼のモニュメントのある 新正二南交差点を通り抜ける |
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1号線も 四日市市街を通り抜けると どんどん 道が狭くなる 毎年 この辺りは 渋滞 |
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1050 日永の追分 国道1号(東海道)は ここで右折して 鈴鹿に向かう 伊勢街道は 直進 ・・ 日永の追分の鳥居は 桑名の七里の渡しに建てられた一の鳥居に対して 二の鳥居と呼ばれました 伊勢商人渡辺六兵衛が東海道を往来する人のために 遥拝鳥居として建てさせたのが最初です |
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河原田橋:内部川を渡って 堤防へ右折 |
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100m西の住宅地のみち 伊勢街道を南下 1本 住宅地に入るだけで 車もぐっと少なくなり 静かだ |
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鈴鹿橋:鈴鹿川手前の 高岡町北信号で 1号線の左に渡り 正面 鈴鹿橋下をくぐり抜けるのが MAP(= GoogleMaps 伊勢街道) 追い越して行った 一人は信号を渡って行った |
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当方は 昔教えられた 鈴鹿橋右下を通り抜け JR:関西線踏切を越え 右折 伊勢街道に合流 追付いてきた3人は こちらで踏切を渡った 何人かは 旧道を歩いているようだ |
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堤防に上がり 右側の 高岡橋:鈴鹿川に向かうが 「1月4日(木)より 通行止め」 橋の上に 工事車両が止まり 強行突破も無理そう |
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堤防で鈴鹿橋に戻って 鈴鹿川を渡る 渡ったあと 堤防右折 高岡橋の先で堤防を降りる 高岡橋は 人も通れなかった ・・ 迂回が正解だった |
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1qほど 田畑のみちを進んだ後 鈴鹿市の住宅地に入り 近鉄:鈴鹿線踏切通過 |
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あぶい旅館前をみちなりに左カーブして通過 | ||||
1230 県道8号との矢橋一丁目交差点 向かいはラーメン屋さん 席があったので 手前のパスタ屋さんへ |
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伊勢鉄道をくぐり抜け 県道553号横断し南東へ | ||||
国道23号横断に ぱちんこ富士 玉垣店横の地下道へ 直前の肥田町信号交差点に 横断歩道がなかった |
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住宅地を800m進んで 国道23号:西玉垣交差点隣に出るが 国道に出ず 左折 東に向かう |
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国道23号の東 150mで南下 フジクラの広大な工場前を南下 (鈴鹿市)Suzuka ものづくり企業情報検索には 明治18年の創業以来、電線ケーブルの製造を続けています。 平成4年に電線ケーブル以外の製品が増えてきたため、 社名を藤倉電線からフジクラへ変更しました。 現在では、電子電装部品や情報通信関連製品など、 総合メーカーとして脱却を図りつつあります |
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当初の 熱田伊勢旧道歩きで 江島総合スポーツ公園(WC)への目印だった 2階のドラえもん まだ いたのには 懐かしく ビックリだった |
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WCスルーで 江島総合スポーツ公園-鈴鹿体育館に回らず フジクラ前から まっすぐ 江島本町に向かった |
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が 結局 1423 勝速日神社〜白子駅前に立寄った 予定の 千里駅まで約5q 駅にして 鼓ヶ浦と磯山の次の3駅目 時間はありそうだ |
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白子小学校北交差点から 道なりに南西に向かう |
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小学校から 250mに 伊勢参宮街道の道標 大正時代のものらしいが 下が埋まりかけている |
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堀切川沿いに西に進んで 近鉄:名古屋線踏切を渡り 国道23号をくぐり抜け |
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国道23号:堀切橋 右の歩道で橋を渡って 右折 堤防を250m進んでから |
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住宅地の伊勢街道に進んで 1.5q南下 | ||||
国道23号線をくぐり抜けて 国道に合流 津市に入る |
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国道沿い 中ノ川を渡って 500m南進 |
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東千里交差点の先で 近鉄名古屋線踏切を渡る |
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住宅地の伊勢街道を 950m進んで 国道に戻る直前に |
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1533 近鉄千里駅到着 普通しか止まらず 1520 の次は 1601 だった 昼間は 時間2本だった 明朝は 時刻表を見て宿を出ることにしよう |
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